この間、社員の結婚披露宴があって出てみたところ、君と同年輩の、そう、新郎の友人達なんだろうが、彼等が挙《こぞ》ってタキシードを着込んでいるのにはびっくりした。
三時からの披露宴だから、夜の略礼装であるタキシードでは場違いだというような非難をここで改めてするつもりはないが、なんでタキシードを皆持っているのかというのがその驚きの理由だ。
私なんか、つい去年、海外出張の予定の中にブラックタイ指定のパーティーがあってよんどころなく初めてタキシードを新調したんだが、それ以外はほとんど着る機会がなくて、タンスのこやしになっている。
つまり日本では、いまのところタキシードでなければならないという場面というのはごく稀なのに、なんで若い人達が先を争ってタキシードを作りたがるのか、それが分らないのだ。
だから意地の悪いことをいえば「その他にいったいどんな服を持っているの」と聞き糺《ただ》してみたい気になる。
しかし、礼装に対してまったく無頓着《むとんちやく》というのよりは、タキシードの一つも作っておこうという心掛けの方がマシなのはたしかなんだが、それならそれで、もう少し礼装のなんたるかを知っておいて欲しいと思うんだ。
君も会社勤めをするようになって、葬式の手伝いとか、パーティーに顔を出すことが結構あると思うが、サラリーマンの礼装というのは、これでなかなかに難しく、デリカシーを求められるものなんだ。
よく雑誌や本に服飾評論家といわれるような人達が、礼装の心得について書いているけれど、あれもよく読んでみると半可通《はんかつう》でかなり怪しいところがあり、読み較べてみると書き手によってはかなりな違いがあって、どっちを信用していいのやら迷うことがある。
それも考えてみれば無理のない話で、いまの日本の礼装というのはほとんど洋式だが、その洋式の礼装というのも、イギリスとフランスでは必ずしもすべての点で一致していないし、新興国のアメリカだとまた随分と勝手が違うから、どれをスタンダードときめつけるわけにはいかないのが礼装というものだからだ。
しかも、同じアメリカでも階層によってはかなり考え方に差があるし、西部のスペイン支配を経験している地域と東部では微妙に食い違うところがあるというくらいだから、他所《よ そ》者《もの》に分るはずがない。
夜会だったらタキシードときめ込んでいると、正式な場ではいまでも燕尾服でないといけないといわれることだってなくはないし、甘く考えているととんでもない恥をかくことにもなりかねない。
しかしそれは階層社会がいまだに厳然と存在している国の話で、それも平均的庶民とすれば、そんなシンデレラになるような経験は一生に一度もないのが普通だから悩む必要など現実にはないんだが、いまの日本というのは困ったことに何につけ一流志向が強く、アチラの猿真似をしたがる傾向があって、その分われわれも苦労が多いというわけだ。
しかし、今日ここで君に言っておきたいことは、そんな洋式礼装のウンチクを垂れようというつもりはなく、現実的な礼装に関する気遣いについてだ。
まず葬式のことから始めようか。
通夜は訃報を知って慌てて駈けつければいいということで、着のみ着のままの平服でいいとされているが、サラリーマンとしては、せめてネクタイくらいは黒を常に用意しておいて締め替えていくくらいの気遣いは欲しいし、腕に巻く喪章もいつもデスクの抽出《ひきだ》しに入れておくことだ。
葬儀告別式は黒の上下に黒のネクタイが日本のスタンダードだが、外国人は必ずしもそうではない。先日も松下幸之助さんの来会者数万人という大葬儀に行ったが、そこへ外国からの来賓が多く見えていたけれどモーニングやダークスーツは数えるほどで、ほとんどは普通のスーツに喪章だけをつけていた。これでも分るように、黒い喪章さえつければそれで非礼に当らないというのが諸外国の一般的常識らしいが、やはり日本ではそうはいかない。
正式にはモーニングで、これも弔辞を読む特別な来賓はその方がいいが、一般来会者はそうした人達とちょっと差をつけて、黒の上下くらいにした方が妙に目立たなくていい。
その黒のスーツだが、タキシードに準じる略礼装として、冠婚葬祭すべてに通し、昼間も夜も問われない、剣衿のシングルブレストでいわゆるディレクタースーツと呼ばれる黒の上下を一着作っておくと、ほとんどの場所で通用するから便利だ。
君達のような若い社員は、会社関係の葬式というと、道案内や車の係、受付といった仕事をやらされるのが普通だが、このときもいかに下働きとはいえ、グレーのスーツで喪章だけというのはまずい。
その意味では、会社の自分のロッカーに、そのディレクタースーツと白のワイシャツに黒のネクタイを一揃い常備しておいた方がいい。なにしろ結婚式のような祝い事とは違い、葬式には予告がなく降って湧いたように礼装の必要に迫られるからだ。
結婚式は改めて言うまでもないだろう、君達は月に何回も友達の結婚式に出ているからだ。ただ気をつけて欲しいのは、新郎よりも目立つような格好をしないことだ。かりにタキシードを着るにしても、シャツの胸のタックは控えめの方がよく、タイもあまり大きめな派手なものは避けた方が、よほど人柄がよく見える。
そうなんだ、ビジネスマンの礼装ないし略礼装で最も気を配るべきなのは目立ち過ぎないということなのだ。
とくに若い人達は、控えめであればあるほどいいといってまずさしつかえない。パーティー会場などで派手に目立っていいのは、芸能人と政治家くらいなもので、彼等は存在をより強くアピールするのが商売だからしようがないが、その真似を若いサラリーマンがやったらいいことなど一つもない。
そのためには、パーティーなるものをよくよく研究しておくことだ。つまり機会があったら尻ごみせずに出来るだけ場数を踏んでおいた方がいい。そして、じっくりと観察することだ。(ああいうのはいやだな)と、服装にしろマナーにしろ見ていて気になるようなケースを反面教師としてしっかりメモリーするように心掛けるのだ。
そういう目で見ると、日本のパーティーというのはまさに反面教師だらけで、格好だけはタキシードでピシッときめていても、その飲食ぶりや人との対し方がまるでなっていないのが圧倒的多数だということがきっと分るはずだ。
もし君の目にそのように映る人がいたら、それも悪い意味での目立ち過ぎなのだ。パーティーというものは不思議なもので、その場面に頃合いにピタッとはまって無理のない人はほとんど目立たない。だから逆に目立たない人をじっと追跡観察するのもパーティー実学の一つの演習方法といえる。
できるだけ多くの人と話を交わし、それも長引かせずにさりげなく次の人に移っていく技術を水の流れのようにやってのけている人の服装は、おそらく実に見事にそのパーティーのレベルに適《かな》っているに違いない。
——要するに、礼装の極意をひとことでいえば、その場に紛れ込んで目立たないということではないか、と私は思う。
忍者の服装が風景の中に紛れ込んで目立たないように工夫されているように、練達のビジネスマンの礼装もまた保護色のように一見無個性であることこそのぞましいのだ。
一度君のワードローブを点検してみることにするか。