去年の夏、たしか君は一週間夏休みをとったと記憶しているんだが、今年は二日休んだきりだったようだね。
会社に対して遠慮のある新入社員のときに目いっぱい休んで、会社に馴染《なじ》んできた今年になって君がその半分も休まなかったというのが、私には興味深かった。
日本人は働き過ぎだ、という世界各国からの非難をなんとかかわそうと、政府が先頭に立って“休め休め”と民間企業を煽《あお》ったその効果が出てきて、今年あたりは夏期休暇連続一週間という企業が普通になって、会社一斉休業に踏みきるところも結構ふえてきた。
おかげでいわゆるお盆休みの東京はゴーストタウンのように閑散として、空気が澄み、夏雲が眩しかった。ということは、とりも直さず私は今年もまた夏休みをとらずに毎日会社に出ていたということになる。会社の若い連中や君の母親にいわせると、私のような人間は昭和ヒトケタ特有のワーカホリックで、きっと死ぬまで治らないのではないかと、呆《あき》れて文句を言う気にもならないんだそうだが、必ずしもそうとばかりはいえないんじゃないかと思うんだ。
去年の秋から今年にかけて仕事で三度もパリに行ったのは君も知っての通りだが、それでだんだん分ってきたことがいくつかある中の一つは、パリは七月に入るとほとんどの人間がバカンスで田舎へ出かけてしまうというのが我々日本人の常識だが、実は必ずしもそうではないということを知ったことだ。
それはたしかに日本のお盆休みのように七月から八月にかけてのパリの街は閑散として人通りも少ないが、私のように休むわけにはいかず居残って仕事をしている人も結構いる。それはなにも観光客相手の店やサービス業者だけとは限らず、意外にも企業のお偉方に多いのだ。常識的にはそういうお偉方こそ田舎に別荘などを持っていて、そっちへ行きっぱなしではないのかと考えるのが順当なのだろうが、現実にはそんなノンキなことをしていられるのはごく一握りのオーナービジネスマンで、働き盛りのエグゼクティブは、家族は別荘にやっても自分自身は一人パリに残って、ほとんど人気のないオフィスで孤軍奮闘を強いられている、というのが珍しくない。
フランスの大企業の経営トップである知人を見ていると、朝パリの本社で会議をやっていたかと思うと、午后一番のコンコルドでニューヨークヘ飛び、その翌日にはロンドン、夕方にはパリというハードスケジュールを至極当然のように日常的にこなしていて、それは七月も八月もないのだから、私なんかそれと較べればほとんど怠け者の部類に属する。
ニューヨークのエリートビジネスマンもそうで、何日からバケーションのスケジュールになっていると聞いて会うのを諦《あきら》めていたら、向こうから電話があって「会いたい」といってきた。「バケーションじゃなかったのか」と聞くと、「家族につき合って二日だけ行って帰ってきた、ひと夏田舎で過ごすなんて贅沢はリタイアするまでお預けだな」と笑い飛ばしていたが、働き盛りというのはいずこも同じなんだと、ホッとしたものだった。
君の会社の社長や専務はどうしているか知らないが、日本の企業トップもそんなにたっぷりと夏休みをとれる人はごく稀らしい。
夏の軽井沢あたりは、一流企業のトップや財界人がそっくり移住しているかのようにいわれるが、あれも実状はだいぶ違う。
軽井沢で財界人のためのセミナーが開かれ、ゴルフ場は政財界人が目白押しのようにマスコミは伝えるが、夏じゅう行きっきりでそんなことをやっているのは、相談役といった事実上引退した人くらいなもので、ほとんどは車かグリーン車で往復していて、軽井沢に居ついて華やかにやっているのはその家族だけというのが実態だ。
だから、日本のエリート階層と呼ばれる人で夏を軽井沢でずっと過ごせるというのは、学者か画家、小説家といった人々だけであって、ビジネス社会に現役で身を置く人にはそんな時間のゆとりなどなく、それは現在も将来もたいして変わりそうにないということは、バカンスの本場のパリやニューヨークの連中を見れば納得がいくはずだ。
こう書くと、何やら夏休みをとらない私の自己弁護めいて聞えるかも知れないが、そうではないのだという理由をもう少し書く。
世の中というものは、なんによらずタテマエとホンネがあるもので、この企業における夏期休暇というものにもそれがある。つまり「休め休め」というのは、いまの日本企業のタテマエなのだ。さっきも書いたように、労働時間の違いが経済競争の不均衡を生むとして欧米は日本の労働時間短縮を強く要求し続け、それを無視するわけにもいかないということはたしかにある。それに加えて日本の労働市場がすっかり売り手市場化し、若い質のいい労働力を確保するためには、賃金だけでなく福祉や有給休暇の面で優遇しないわけにはいかず、この夏の休暇もリクルート戦略の一つの目玉となって、競って長期化の方向にあるのもまたたしかなことだ。
しかし、飽くなき成長を目標とする企業とすれば、一日でも余計に働いて利益を追求するのは当然のことで、社員のモラルを損なわないために夏期長期休暇は実施するものの、それで指をくわえているというわけにはいかない。となれば、貢献度の高いエグゼクティブクラスくらいはそれとは関係なしに頑張って貰わなければということにどうしてもなる。
といって一人だけ出てきて飛び回っても仕事ははかどるものではなく、頼みになる連中には「悪いが頼むよ」と夏期休暇の返上を求めることになるわけで、この手紙の冒頭に、君が今年二日しか休めなかったというのを興味深いと書いたのはそのことなのだ。
要するに、夏期休暇という権利を自分の都合で好きにとれるのは、女子社員やOA機器のオペレーターといったルーティンワーカーと呼ばれる社員で、これは電源を切って機械を止めるように、そうときまったら当てにしないで済む人々だ。それに対して、そこを百も承知で出てきて貰いたいと上に言わせるのは、その人間にそれだけの期待があるからで、言い替えれば、認めていない人間にはそんな掟破りまでして物を頼まないということでもある。
だいたい平均労働時間などというものは、その他大勢のためにある労働者の権利保護の思想から発想したもので、社会の仕組みとしては大切なことではあるものの、自己完結的な仕事に携わっている人間が百パーセントそれに縛られていてはとてもその遂行は難しい。
こういうことを言うと、労働組合側の人からは激しい反撥を受けるだろうが、平均労働時間が日本よりはるかに低いアメリカやフランスの仕事師達のあの猛烈な仕事ぶりを見ていると、タテマエだけをまともに受けて、休んではいられない連中までがいい気になって休んでしまうことの怖さを感じるのだ。
イギリスの貴族は、ひとたび指揮官として戦場にのぞむと、最も危険な先頭に立って闘い、兵士達は休ませても自分は寝ないという。つまり、人の上に立つほどの人間は、等しく並な安息を求めるようでは務まらないという自負を彼等は幼い頃から植えつけられているからだ。
私にいわせれば、夏休みをたっぷりととって家族とそれを楽しめるのを羨《うらや》ましいと思う人は、そちら側の人生を選択すればいいし、皆が休んでいるときにキリキリ働いている自分を格別哀れだと思わない人だけが休暇を返上すればいいと思うのだ。
もっとも今度生まれ変わってきたらどちらを選ぶと聞かれれば、ためらうことなくゆるりと人生を楽しむ方を選ぶと思うが、いまはこれを変えるわけにはいかない。こういう私をやっぱり偏っていると君は思うか?