リカルド・ツムラは暗然とした気持で受話器を置いた。十三歳年上の長兄ロベルトからの電話で、サルヴァドールにいつまでいる気なのかと詰問された。言葉を濁していると、お前の医学部進学の助力をしたのは、サルヴァドールで働いてもらうためではなかったと兄は慨嘆した。
ロベルトの希望は、サンパウロの中心街に産婦人科の診療所を構えることだった。これから子供の数は増えるばかり、日系人医師の評判はいいので、日系人ばかりではなく白人たちも患者として来るはずだ。開業の資金くらいはいくらでも出すと、ロベルトは言った。建築資材の店を開き、従業員を二十人ほど雇って、外装や内装の仕事を手広くやっている彼らしい自信が、忠告には裏打ちされていた。
「もうしばらく、この病院で勉強しようと思っています」
「お前はまだあのことを気にしているのか」
兄が訊いた。
「気にしないでいられるはずはありません」
むっとしながら答えた。兄が相手だと、患者を前にしたときと違って、なぜか感情がむき出しになる。
「そうか。まだ俺《おれ》を恨んでいるのだな」
返事はしなかった。しばらく沈黙をやり過ごしたあとでロベルトが続けた。
「まあいい。しかし、サンパウロのど真中で開業するというのは俺だけでなく、ツムラ一族の悲願なんだ。そのために、俺たち親兄弟が力を合わせてお前を援助してきた。お前が戻ってくれば、みんながどんなに喜ぶか。すぐにとは言わん。頭の隅にでも俺の考えをしまっておいて、その気になったら帰って来い」
ロベルトは考えるように言葉を呑《の》みこんだ。「サルヴァドールというのは黒人が初めてブラジルに連れて来られた所だろう。言うなればアフリカ人の古里だ。日本人が初めて居ついたのはサンパウロだ。日系人の古里はサンパウロであることを忘れないように」
駄目押しをする感じで電話は切れた。
自分がサルヴァドールを州都とするバイーア州に来たことは、それまでさして自覚はしていなかった。あくまでもこのフォルテ・ビーチ病院の臨床研究の内容に魅かれたからで、サルヴァドールとは無関係だと思っていた。
しかしもしかしたら、ロベルトが言ったように、アフリカ黒人の古里であるサルヴァドールが、意識の底で手招きしたのかもしれない。
サルヴァドールの名は、死んだマリアから何度か聞いた。親類が何家族か、まだ市内に住み、自分も年に一回は行くのだと言っていた。
彼女がサルヴァドール行きを誘ったことはあったろうか。いやそれはなかった。マリア自身は、黒人文化が煮えたぎっているあの街を見せたくなかったとも考えられる。
彼女のことをまだ忘れられないのかと兄は訊《き》いた。忘れられるはずがない。空気のように、あるいは樹木の緑のように、いつも身体《からだ》と五感がその思い出をつかんで放さない。
マリアと知り合ったのは医学部にあったボランティアの会でだった。医師の卵や看護学生たちが集まって、孤児院や救済会、養老院などを訪問して診察するのが主な活動だったが、医療だけでなく、慰問団のような役目も果たした。診察が終わると、楽器の演奏をしたり、人形劇を演じたりした。会員にとっては、日頃は教えられる側だけの立場から、医療を施す側に立てるという喜びに加え、音楽も演劇も、あるいは詩の朗読さえできる魅力のある活動の場だったのだ。
教会の運営になる孤児院に行ったときのことだ。もう八十歳を越す尼僧の院長が、ツムラを日系の医学生だと知って話しかけて来た。昔は日本人の子供さんをよく預ったものです、と彼女は穏やかな表情で言った。日本人の移民にはそんなに孤児が多かったのですか、とツムラは訊いた。
「いいえ、家の中ではとても育ててはいけないような子供だったのです。父と娘の子供だったり、祖父と孫の間にできた赤ん坊だったり。そう、兄と妹の間に生まれた子供もいました」
尼僧院長の言葉に、ツムラはしばらく口もきけなかった。麻痺《まひ》した思考のなかで、日本の移民たちが置かれた惨状が、ある具体性をもって立ち現れた。外部との交流を断たれた閉鎖的な日本人社会。貧困、暴力、絶望などが、彼らをそうした近親|相姦《そうかん》の行為に駆りたてたのだろう。
「それらの子供たちはどうなりました」
やっとの思いで問い返していた。
「たいていは立派に育ちましたが、中には身体や知能に問題のある子が出て、早死にする子供もありました。ええ、もう戦争前のことですから」
尼僧院長はもう話は忘れなさいと言うように、ゆっくり首を振った。
その孤児院には、知的障害の子や身体の不自由な子供もいたが、みんなおしなべて明るい表情をしていた。車|椅子《いす》に乗った脳性マヒの男の子も、診察だというと喜んで衣服を脱ぎ、誇らしげに胸を突き出した。上肢の筋肉は意志の通りには動かないのだろうが、心音も呼吸音も異常ない。「はい、元気そのもの」と声をかけ、肩を叩《たた》いてやると、「ありがとう」と礼を言った。
その日、二時間の検診で、夜驚症の女の子と中耳炎の男の児が見つかった。診察のあと、十名のメンバーで指人形劇やマンドリンの演奏をした。自分が台本を書いた劇を披露するのも、舞台に立つのも初めてだった。人形に着せる衣裳《いしよう》は、女性だけでなく、男性たちも針と糸を持って縫い上げたものだ。
ブラジルにはコルデルと呼ばれる民衆本がある。八頁から十六頁程度の厚さしかない絵入りの小冊子で、韻律形式でさまざまな物語が綴《つづ》られる。恋愛話であったり、冒険|譚《たん》や宗教物だったりした。ツムラはそんな小冊子からヒントを得て、子供向けの小話《ピアーダ》を作った。
主人公は生まれつき足の悪い少年と、キリンと呼ばれた知恵遅れの背の高い青年にした。その二人が力を合わせ、キリンが足の不自由な少年を肩車にすると、向かうところ敵なしの活躍をするようになる。
二人は交代でガラス器具屋の店番をしているのだが、少年が店番をしているとき、すばしっこい泥棒がはいり込んで、店の物を持ち出す。少年が追いかけようとするが、足が不自由なのでとうとう逃げられてしまう。キリンが店番をしていると、別のずる賢い泥棒が来て、買物の合計をうまくごまかされてしまった。店の主人から叱《しか》られた二人は相談しあって、ひとりが店番をしているとき、もうひとりはカーテンの陰に隠れて休むことにした。
翌週キリン青年の店番のとき、計算をごまかした男が、髭《ひげ》とカツラで変装してやってきた。同じような手口でキリンを煙に巻き始めたのを、少年はカーテンの後ろで聞き、これが前の詐欺師だと感づいた。カーテン越しに、そっと青年に入れ知恵をして知らせ、計算も正確にしてやる。前回と違ってだまされないと知った詐欺師はレジの傍に来て、現金をわしづかみしようとする。それを青年と少年が協力して捕まえ、警察につき出すのだ。
次の日、足の不自由な少年が店番をしていると、客のいない時間を見計らって、髭の泥棒が忍び込む。少年が自由に歩けないのを知っているので、男は袋に高価な花瓶を詰め込み、逃げようとした。カーテンの陰に隠れていたキリン青年が少年を肩車にして追いかける。またたく間に泥棒に追いつき、これまた御用だ。
他愛のない筋書きだったが、最後のところで少年が青年の肩の上に乗ると、観客はどっと手を叩いた。二人して泥棒を追いかける場面も、子供たちが立ち上がって応援してくれた。
ツムラは少年の役で指人形を操ったが、青年の肩の上にひょいと乗る場面は何回も練習した。肩車で走るのも難しかった。すぐに追いついてもいけない。泥棒との距離が縮まるかと思えば、また広がる。子供たちが我を忘れて応援し始めたところで、ようやく追いすがるのだ。
詐欺師と泥棒には前科があった。警察署長は感謝状をくれ、店の主人も金一封をさし出したところで幕。大きな拍手が起こり、ツムラはほっと胸を撫《な》でおろした。
次の出し物が、マリアによる詩の朗読だった。リハーサルでは、マリアが舞台に出て、ここで十分間を経過と言うだけだったので、誰も詩の内容を知らなかった。ツムラもその時までは、彼女の詩など読んだことも聞いたこともなかった。
マリアは黒い衣裳をつけ、イヤリングとネックレス、ブレスレットだけが金色だった。薄暗くされた舞台には椅子がひとつ置かれ、マリアはそこに何も持たずに坐《すわ》った。
コルデルが口頭で演じられるのを見るのは初めての経験だった。もともとコルデルは、民衆詩人によって街角で詠じられた詩篇であることは知っていた。しかしツムラが接していたのはあくまで小冊子のほうだったのだ。
マリアは澄んだ静かな声で、この救済施設の周囲にある森の描写を始めた。
大きな木、小さな灌木《かんぼく》、そこに憩うさまざまな鳥。鳥は次々と池の端にやってきて、水を飲む。夜になってやっと鳴き出すフクロウもいる。
森を寝ぐらにした鳥たちがこの園にやってくるのは何故だろう。中庭のジャカランダの木にとまって、園児が遊ぶのを眺めたりする。なかには窓の外のバルコニーから、教室を覗《のぞ》き込む鳩もいる。かん高い声をあげて、屋根すれすれに飛び去る鳥もいる。何故だろう。
それは鳥たちの子供がこの園にたくさん集まっているからだ。鳥たちは自分の子供が元気でいるか、楽しく遊んでいるか、読み書き計算も勉強しているか、確かめるためにやってくるのだ。
そう、あの鳥たちは、みんなのお父さんお母さん、兄さん姉さん、妹や弟たちが、姿を変え、遠い所から飛んで来ているのだ。一日でもう帰ったり、一週間滞在したり、あるいは何ヵ月もあの森に留まっている鳥がいる。
でもみんな、園にいる子供たちを見に来ていることに変わりはない──。
マリアは脚韻を踏んだ詩句を次々と並べる。子供たちだけでなく、尼僧の先生たちや、職員、そしてツムラたち団員の気持を完全に掴《つか》んでいた。
マリアは森に住む鳥の名を二十種も列挙しただろうか。あるいは三十種だったかもしれない。ツムラが知らない鳥の名前ももちろんあって、そのひとつひとつの名が、森の豊かさ、生き生きとした鳥の生活を言い表わす効果をあげていた。
──ほらみんな、耳を澄ませてごらん。
マリアはそっと頭を傾ける。子供たちも思わず聞き耳を立てる。そこでマリアは再び鳥の名を呪文《じゆもん》のように唱え始める。まるで鳥の鳴く声がその名前に重なるように。
──みんなのお父さん鳥はどれかしら。お母さん鳥は?
──あれ、いま窓の外を飛んでいった鳥がいるわ。
マリアは立ち上がって窓の外を眺める。子供たちも、いまにも立ち上がりそうな気配だ。
──また夕方も、夜も、明日の朝も、鳥たちは、みんなの顔を見にくるはずよ。だからそのときは、元気にしているよと、手を小さく振ってあげるのよ。
マリアは子供たちの方に向き返り、手を振る。手を振りながら舞台の袖に消えた。
子供たちは大人たちの拍手で、ようやく我に返ったようだった。目を輝かせて手を叩く。車椅子の子も、一生懸命に左右の手のひらをぶつけている。マリア自身が鳥になっていた。
その詩が自作だと知ってツムラは二度驚かされた。
「半分はその場での即興なの。本当に紙の上に書いておくのは、三分の一くらいの長さしかない。舞台に上がって、その場の雰囲気で適当に継ぎ足していく。鳥の名前だけはしっかり暗記したけど」
マリアは笑いながら言った。「コルデルで大切なのは、一見くどいと思われる言葉でも、これでもかこれでもかというくらい並べたてることなの。それが一種の繰り返しのリズムになる。観客はリズムに酔うように、言葉の羅列に酔ってしまう」
なるほどと頷《うなず》くツムラに、マリアは再び鳥の名前を歌うように並べたてる。全部で二十八種あった。
ツムラがかつて読んだコルデルに義賊の物語があったが、その山賊の手下の名前が三頁にわたって書き連ねられていた。もちろんそれは本名に渾名《あだな》もつけ足したもので、ひとりひとりの特徴を表わしてはいた。読んでいるうちに、自分までが盗賊のひとりになった錯覚にかられた。
マリアのコルデル語りはその後も続けられた。老人ホームを訪れたときには、逆に昔話をしてやる。たいていはコーヒー農園で奴隷のように働いてきた高齢者ばかりだったから、マリアの口で歌われる農作業の辛《つら》さは心に沁《し》み入るようだった。このときマリアが単語を連ねたのは風の種類と雲の形だった。大風、烈風、雨風、そよ風、突風など、二十種あまりの風の種類を耳にしているうちに、コーヒー園での労働の苛酷《かこく》さが頭のなかに浮かんでくる。
雲は逆に浮雲、綿雲、鰯《いわし》雲、紫雲、飛行機雲というように、どちらかといえば農民の安息を表わしていた。仕事に疲れてひと休みするときに、顔を上げて空を眺める。雲がパンに見えたり、あるいはケーキの形になって浮かんでいる。
コーヒー農場の労働者にとって、雲は夢と同じだったに違いない。いつか農場を出て、自分の土地を持つか、街で小さな店を開くか、さまざまな形をした流れる雲に自分の夢を託したのだ。マリアの朗唱を聞きながら目に涙をためる老人がいたのは、その証拠だろう。
マリアは詩作だけでなく歌も上手だった。韻を踏んだ言葉を自在に連ねる能力と、リズム感は、もしかしたら根をひとつにするのではないかと思わせるほどだった。確かにそこには黒人の血が流れていた。
黒人のリズム感は民族の血だと思わされたのは、小学四年か五年のときだった。勉強ができなければ、小学一年生でも二年生にはなれない。三年たってもまだ小学一年に留まることもあるので、小学五年ともなると、十八歳か二十歳くらいの大人の顔をした同級生が、教室の後ろの席にずらりと並んでいた。昼休みになると、彼ら大人生徒が歌い出す。楽器なんてない。給食の食器とフォーク、木製の机、下敷、筆箱の蓋《ふた》を叩いたり、こすったりして音を出す。それが立派な音楽になり、歌の伴奏になった。
マリアにさらに親しみを覚えたのは、医学部卒業後、産婦人科を専攻するようになってからだ。しばらくしてマリアも小児科病棟勤務から産婦人科へ移って来た。てきぱきとした働きぶりはツムラの想像通りだった。
休日にはボランティアの会にも連れ立って顔を出していたので、一週間のうち会わない日はないくらいになっていた。二人っきりで会ったのは、翌年の暮のカーニバルの日だ。サンパウロから三百キロばかり離れた古い港町パラチに宿をとった。二人とも行ったことのない町だったが、ツムラが同僚から聞いていて、一度は行きたいと思っていた場所だ。宿はその友人を通して取ってもらった。マリアはツムラの誘いに顔を輝かせた。
「わたしも聞いたことがある。大潮《おおしお》の日には町中が水びたしになる町でしょう。月に一回そうやって町のゴミが海に洗い流されてきれいになる」
マリアの話は逆にツムラには初耳だった。「パラチというのは、確かその町の中を流れる川でとれる魚の名前ではなかったかしら」
細かいことまで知っているのは、さすがにマリアだと妙なところに感心もした。
サンパウロから四時間ほどのドライブは少しも苦にならなかった。中古のフォルクスワーゲンが途中で調子を崩さなかったのも幸いした。車を持たないマリアは、車窓から見える景色を大いに楽しんだ様子だった。
「詩人は何だって題材にできるから羨《うらや》ましいな」
ツムラはからかい半分に言った。赤土の上に一メートルの高さで突き出た蟻塚《ありづか》を、マリアが物珍しげに眺めていたからだ。円錐《えんすい》形をしたその形は、原っぱの中に置かれた野外彫刻のようにも見えた。
「蟻塚もそうだけど、わたしは他のことも考えていた」
「何を?」
「どうしてあなたが、わたしをこんなに楽しませてくれるのだろうかって」
「あなた呼ばわりはよくない。ドクター・ツムラというのもよくない。リカルドでいい」
「じゃリカルド」
マリアは白い歯を見せて首をすくめた。「リカルドといるだけで楽しいのはなぜかと考えていたの」
「詩人に喜んでもらえることだったら、何でもする」
「その詩人はやめて、よくないわ」
マリアはツムラの口調を真似た。「わたしはマリア」
自分の名を言ったが、彼女独特のアクセントがあって、マリーアという具合に聞こえた。
「マリアが喜ぶことだったら何でもしてあげたい」
答えながらツムラは、まだ自分の気持を打ち明けていないことに気がつく。その機会はきっと夜のうちに訪れる。そう思った。
途中、林の陰にあるカフェテリアで昼食をとった。湖がテラスの下に広がっていた。
「サンパウロ以外でのカーニバルなんて何年ぶりかしら」
マリアが考える顔つきになる。
「ぼくはサンパウロ以外は知らない」
実を言えば、カーニバルの時期にサンパウロを不在にする口実を、両親や兄たちに言わなければならなかったのだ。表向き、郊外の病院の当直に行くという理由をつけてごまかした。
「五年前、まだ看護学生だった頃、海岸の村で過ごしたことがあった。村の中でもカーニバルがあって、やっぱり踊ってしまった。村の祭も悪くないわ」
「村でも夜通し踊るのかい」
「もちろん明け方まで。でも年長者から少しずつ帰って行って、わたしたちが最後の組になっちゃった」
今夜はどんなカーニバルだろうかと、マリアは湖の方を見て深呼吸をした。
パラチの町に着いたのは三時過ぎだ。車は町の中心部にははいり込めないようになっていた。標識に従って車を進めると、川の傍の広場に出た。教会があり、その前庭に咲き誇るイペーの花が見事だった。
バッグを肩にして車を降り、土産物屋で道を訊《き》いてホテルまで歩いた。道は中央が凹《へこ》んだ石畳で、両側の建物のほとんどは一階建、中世ポルトガルの街並がそのままの形で保存されている。外壁も白漆喰《しろしつくい》で塗り直されていた。
予約したホテルは、かつては貴族の館だったらしく、プールのある中庭を囲んで、コの字形に回廊が巡らされていた。回廊の奥に大小の部屋があったが、クーラーはなく、備えつけの扇風機がひとつ、天井で大きな羽根をゆるやかに回しているだけだ。ホテルと名がついていたので冷房完備の部屋を想像していたツムラは、マリアに詫《わ》びた。
「この町にはぴったりよ。車を町中に入れないと聞いただけで、もう気に入ったの。ほらベニスがそうなんでしょう。島には車を持ち込めない」
どこか違う気がしたが、はしゃぐマリアには頷くしかなかった。
木製のベッドが二つ並び、その脇《わき》には古い木枠に入れられた鏡があり、箪笥《たんす》もみるからに年代物だった。
荷物を整理したあとで庭に出てみた。人の胴体以上に大きな木が何本もあり、庭の大部分が日陰になって涼しい。回廊に置かれているベンチに坐っていると、汗がひいていくのが分かる。
回廊にはさまざまな武器、農器具が無雑作に置かれていた。錆《さび》ついた槍《やり》、旧式の鉄砲、大鍋《おおなべ》、蒸溜酒《じようりゆうしゆ》を作る真鍮《しんちゆう》製の装置、石臼《いしうす》など、数世紀前の大農場の生活ぶりがしのばれた。
「リカルド、これを見て」
マリアが小さく手招きした。壁に鉄輪のようなものがはめられている。
「たぶんこれは奴隷を繋《つな》いでいたもの」
マリアはしゃがんで、床にころがっている丸い石にも手を触れる。「そしてこれは足枷《あしかせ》──」
なるほど、人間の頭大の石に鉄のくさびが打ち込まれ、そこに五十センチほどの長さの鉄鎖がついている。人の足を入れる輪までは残っていなかった。
「この足枷をはめられ、片手はこの壁に固定されたのかもしれない」
「なにかの刑罰だろうか」
窮屈な姿勢を思い描きながらツムラは呟《つぶや》く。
「罰ではなくて、農場から帰ってくると、ここに繋がれたのじゃないかしら。眠るのも、この不自由な恰好《かつこう》で腰をおろしたはず」
「家畜以下だね」
家畜だったら動ける余裕くらいはとってある。
「ここで眠るのだったら、雨の日は濡《ぬ》れるわね」
マリアは恨めし気に、屋根の上にのぞく空を見上げた。まるで自分が奴隷になったような目つきだ。
ブラジルで奴隷が解放になったのは一八八八年で、世界でも二番目に遅かったことは、誰もが学校で習った。まだそれから百年程度しか経っていないのだ。
「こんな道具を保存しておくのは、いいね。少なくとも当時の農夫たちの辛《つら》さが千分の一でも伝わってくる」
「思いやる心があれば──」
マリアはどこか泣き笑いの顔をした。
部屋に戻ってまずマリアがシャワーを浴びた。そのあとツムラもシャワー室にはいる。湯舟はなく、レンガで三方を囲んだ質素な造りだったが、湯はたっぷり出た。
白いレースのついたブラウスに着替えたマリアが鏡に向かっていた。金色のイヤリングとネックレスが光る。巻きスカートから出た褐色の脚は、陸上選手を思わせるように引き締まっている。
シャワーを浴びた身体《からだ》が熱く、ツムラは扇風機の前に立つ。首振りを停めようとしたがボタンが見つからなかった。
「その扇風機、首振りしかしないの」
鏡の中でツムラの動きを見て、マリアが言った。
「扇風機まで年代物だね」
ツムラは仕方なくシャツの前をはだけたまま、扇風機の動きに従って移動する。
「何だか変」
マリアが首をすくめて笑う。「まるでカーニバルの踊りのリハーサルね」
髪を上げ、薄化粧をしたマリアは、はっとするほど美しかった。
七時だったが、まだ外は充分に明るい。ホテルのフロントで簡単な街図をもらった。教会の位置と通りの名が記されている。小さな街なのに教会が二十近くあった。
「昔は、階級毎に教会が違っていたから」
マリアが言った。「昔ならリカルドとわたしは同じ教会に行けなかった」
「ぼくだって移民の子だよ」
「移民と奴隷は違うわ」
マリアが優しく否定する。
「まあね。たしかに、ぼくの祖父はあんな足枷はつけられずにすんだ」
「カーニバルは、そんな階級を全部なくして、みんなごちゃまぜにするために生まれたのよ、きっと」
カーニバルの起源は知らない。案外マリアの考えがあたっているような気がする。年に一度、暑い中でリズムに酔いしれているうちに、人と人とを隔てる人為的な垣根など忘れてしまうのだ。
町はまだ音を出していなかった。上演開始を待つ舞台のように静かだ。
通りには人の姿があった。土産物やレストランに出入りする様子に、残された時間に何もかも片づけてしまおうとする切迫感が感じられる。
色とりどりの布やレースを売る土産物店、帽子屋、ガラス器具店、革製のサンダルばかりを売る店、アイスクリーム屋。サンパウロよりはずっと小規模の店が並ぶ。建物の造りからすれば、昔はそこは馬小屋で、ひとつひとつの店が一頭分の厩《うまや》に相当しているようだ。
馬小屋通りを過ぎると、二つの通りがひとつになり道幅が広くなる。しかし中央がへこんだ石畳は同じだ。レストランが軒を並べていた。どの店も人がいっぱいで、出てきた客と入れ違いに店にはいり、やっと席がとれた。
「値段はやっぱりサンパウロ並み」
メニューを眺めてマリアが言った。
「立派な観光地だから。まあ食事にありつけるだけでも、ありがたい」
周りの客が食べている皿を見渡し、魚料理と貝料理を注文した。飲み物はマリアも当然というようにカイピリーニャを希望する。
「酔っぱらって、人混みではぐれたときが心配だわ」
マリアが茶目っ気たっぷりに言う。
「ホテルの名前は?」
「忘れちゃった」
「侯爵ホテル」
「あ、そうだった。場所は川の傍」
「はぐれたら、すぐにホテルに戻ること。ひとりで踊っていては駄目」
ツムラも笑いながら念をおす。「マリアがひとりで踊ると、すぐにひとりでなくなる」
「心配だったら、紐《ひも》で結びつけておくべきね」
「腕と腕をね」
「ついでに足と足も。周りの人もきっと喜ぶわ。下手な仮装より、よっぽどいい」
「踊るのが大変。練習が要る」
「じゃ今年は諦《あきら》めて、来年めざして一年間練習よ」
「いいね。そんな恋人同士ばかり百組集めてチームをつくれば、グランプリ間違いなし」
恋人という言葉に、ツムラは自分ながら驚く。
マリアは何も気づかなかったように、もうひと口カイピリーニャを飲んだ。
「リズムはやっぱりサンバ。あなたの右手とわたしの左手がひとつになった。あなたの右足とわたしの左足がひとつになった。サンバのリズムで踊るうち、あなたの心とわたしの心がひとつになった──」
マリアが小声で歌う。舞台で朗読する詩と同じで、即興だろう。
「離れたわたしの右手とあなたの左手。離れたあなたの左足とわたしの右足。互いを探しながら、ひとつになっていく」
「上手、上手」
ツムラはテーブルの上で小さく拍手をする。
給仕が運んできた料理は、心焦るカーニバルの夜にしては、コックも浮かれ気分にならず、本腰を入れていた。ニンニクを利かせたフェージョの味も悪くない。
店を出るまでに、カイピリーニャを二杯ずつ飲んでいた。
街のどこからかサンバのリズムが響いていた。方角は人の流れで判った。見物人だけでなく、地元の踊り手たちも衣裳《いしよう》をつけて、十人二十人と連れ立って歩く。残念そうなのは子供たちだ。見るだけで参加できないとあって、羨《うらや》ましげに大人たちの晴れ姿を見ている。
「サンパウロの下町では、マチネーといって子供たちだけのカーニバルをしたわ」
マリアが言う。
「ぼくたちの地域ではなかったな」
「わたしの住んでいた地区は黒人が九割を占めていたから。子供たちだけが踊るマチネーがあったの。十人くらいが一チーム、学校の体育館で思い思いに踊った。コスチュームも、母や姉たちに習って自分で縫った。口紅がつけられるのもカーニバルの日だけ。体育館の中だけでは面白くないので、上級生が先生たちに頼んで校門の外まで出してもらったときもある。そのまま踊りながら街中まで出て行きたかったわ」
「サンバは先生が教えるのかい?」
「ううん、教える人はどこにでもいる。親戚《しんせき》のおじさんだったり、近所のおばさんだったり、それぞれが秘伝の振りつけをもっているのよ。相手が子供だから喜んで教えてくれるわ」
そういう具合に小学生のときから踊っていれば、大人になったときはもう誰もがいっぱしのダンサーになっているのは道理だ。
「来たわ、先頭のチームよ」
マリアが叫んだ。
黄色の装束が、薄明かりの中で花が咲いたように映える。イペーの花の色と全く同じだ。女性はわずかに胸と腰を隠しているのみで、黄色の編上げのサンダル、髪を束ねる黄色いリボンが何とも美しい。黄色いTシャツとパンタロンをはいた男たちが楽器をかきならす。女性の腰が激しく揺れ、肩が震える。リオデジャネイロやサンパウロのような大都市のチームと違って、小人数なのが幸いしている。狭い路地に舞う黄色い蝶と言ってもよいくらいだ。
ツムラはマリアの肩を抱いて歩道の上に立つ。見物人たちもサンバのリズムに合わせてその場でステップを踏む。もう街中が音と一緒に伸縮を始めていた。
次のチームは赤と白の斜め縞《じま》を基調にしていた。男性のなかには、顔と胸、腕に赤と白の塗料で縞模様を描いている者もいる。上体をのけぞらせてトランペットを吹く。その横で、斜め縞の衣裳をつけた女性たちが踊る。黒人もいれば、白人もムラータも入り混じっての踊りの輪だ。
チームとチームの間には隙《すき》ができていて、歩道の上の観客は自分の気に入ったチームのあとについて歩く。
四つか五つのチームをやり過ごしたあとで、マリアは石畳の上に飛び出す。腰を揺すりながらツムラを誘った。
前方のチームは黄緑のコスチューム、後方のチームは鮮やかな橙色《だいだいいろ》を身にまとっている。さまざまな皮膚の色にひとつの色がアクセントをつけ、その後ろに雑多な服装をした見物人が続く。踊りの形はさまざまだ。音楽にしてもチーム毎に違ってはいるが、混じり合ってまた別の曲が生じている。街全体が複雑な音を出すひとつの楽器になっていた。
踊りには休みがなかった。ツムラもサンパウロでのカーニバルは毎年のように見に行った。三十分か一時間だけ踊りの輪に加わったことはある。しかし今度は違った。踊りの輪ではなく、渦だ。一度はいってしまえば、街が動きをやめてしまわない限り、渦からは出られそうにもない。
向かいあって踊るマリアの胸元には、もう汗の玉が光っている。チームの女性たちが煽情《せんじよう》的に身体を震わすのとは対照的に、マリアは軽くステップを踏み、上体を動かすだけだ。あくまで自分たちは付録だという謙虚さが出ている。
「チームの中でやるよりも、こうやって気楽に踊るほうがずっと楽。今夜はリカルドとわたしでひとつのチーム」
マリアが言った。二人でひとつのチームとは言い得て妙だ。音楽はどれに合わせてもいいのだ。前方を行くチームの激しいリズムに乗ってもいいし、後方のチームの打楽器を主体にした音に合わせてもいい。疲れたときは、街全体がかもしだす大きな音のうねりに、身体の動きを任せればすむ。
マリアの首筋や胸元で汗の玉が大きくなる。身体を震わすたびに、汗は黒褐色の肌の上を滑って落ちていく。まるでフロントグラスについた雨滴のようだ。マリアの激しい動きがワイパーと同じだ。
「こんなに踊り続けることなんて、今までなかった」
ツムラはマリアの黒い瞳《ひとみ》に向かって言う。目だけが、動かずにツムラをきっちりと視野に入れていた。
「まだまだ始まったばかり。カーニバルは、一年間使わずに眠っていた筋肉を喜ばす時なの。少しぐらい動かしただけでは喜んでくれないわ。動きがすべての筋肉に伝わるには時間がかかる」
「知らなかった」
「わたしたちが持っている骨格筋は四百個。日頃使っているのはそのうちの三割くらいよ。リカルドも解剖学で習ったはず。わたしたちが獣《けもの》であったときは、その筋肉全部を使っていたのに。カーニバルは、わたしたちが獣に還る日」
「だから喧嘩《けんか》も人殺しも起こるんだ」
「あれはまだ一部だけの筋肉しか使っていない証拠。だから他の筋肉が怒って爆発してしまったの。ほら無心で踊っていると、どこの筋肉が動きたがっているか分かるでしょう」
マリアは微笑する。身体はすばしこく動いているのに、微笑だけはスローモーションのようにゆったりとしている。
ツムラはマリアの前で首をかしげ、どの筋肉が動いていないか測るような仕草をする。
「リカルド、後ろを向いて」
マリアの指図に従って背中を見せる。マリアは動きながら、ツムラの背中に指を当てた。
「ほら、ここの筋肉が動きたがっている」
指摘されたのは斜腹筋だ。そう言えばマリアの踊りを見ていたとき、レースのブラウスの下で筋が細かに震えていた。褐色の滑らかな皮膚を通して、それが見えたのだ。しかしそんな脇腹《わきばら》の筋肉まで動かすには、どんな踊りをすればいいのか。
マリアに向き直ってツムラは訊《き》く。そのためにはまずこんな具合にすればいい、とマリアは笑う。ツムラも真似をする。左手を腰の後ろに回し、右手は頭の左で優しく動かす。あくまでもサンバのリズムに合わせてだ。そのあと、さっきと対称の姿勢をとる。右手を腰の後ろ、左手は頭の右。その間にもステップを踏み、腰を振る。
「どう?」
マリアの問いかけも、リズムになっていた。
「何だか、確かに斜腹筋が動いている気がする」
「そうそう。日頃していない動きをするためには、日頃していない姿勢をしなければいけない。何故って、運動は姿勢の連続的な変化だから」
「それはそう」
激しい動きのなかでも論理的に考えられるマリアの頭のほうが、ツムラには驚きだった。即興でコルデルの朗読ができるのと似たような能力なのだろう。
いつの間にか、海に面した広場に出ていた。小さな教会が正面に立っている。鐘楼も小ぢんまりとしていて、おそらく低い階級の住民が通った教会だろう。教会の正面が海を見据えているのは、自分たちの祖先が連れられて来た方角を確かめるためだ。
二千人ほどは集まっているだろうか。もう見ているだけの者はいない。観光客も住人に混じって踊っている。なかには、観光客だけでひとかたまりになっている一団もある。音楽は横にいるチームのものを拝借して踊る。音は無料だ。月明かりの下で、誰もが笑い、汗をかき、楽器をかなで、身体《からだ》をうち震わす。
「上手になったわ」
マリアが白い歯を見せる。「もうひとりでに身体が動くでしょう。今度は、その身体の言うことに自分を任せるといい」
音楽が響いているのはこの広場だけではなかった。町の方々に広場があって、どの地域の踊り手がどの広場に集結するのかは決められているのだろう。路地に居残って踊るチームももちろんあるはずだ。
すぐ傍で黄色い衣裳の男女が楽器を演奏し、踊っている。石畳の路上で見たときと、踊りの勢いは衰えるどころか、さらに激しくなっている。
ツムラもマリアと向かいあったまま踊る。頭を振り、腕を動かし、胸を震わせ、腰を揺すり、脚でステップを踏むのだ。これまで人並にサッカーをし、医学部対抗の陸上競技では四百メートルと八百メートルで優勝したこともある。瞬発力よりは持久力に自信があった。しかしこの踊りではその類《たぐい》の持久力はさして役に立たない。あれはあくまでも無音のなかでの動きであり、意志の力で筋肉を操るものだった。今は違う。動きの下敷になっているのはサンバであり、筋肉はそれに乗って動いているのだ。
マリアの表情を眺めていると、それがよく分かる。動く頭が、動く身体の上にのっかってはいるが、顔の表情はどこまでも穏やかだ。視線はツムラに注がれ、時折笑う。ツムラの息があがりかけると、腕をとり、少し動きを小さくしてくれる。動きながら休むことができるようだ。
マリアの汗びっしょりだったブラウスが、身体の温《ぬく》みで半乾きになっている。
踊りながら腰を抱くとき、彼女の小さな筋肉まで動いているのが感じられた。
喉《のど》の渇きを覚えた。どこかに飲み物を売っている店はないか、黄色い衣裳の男に訊く。すると男は片目をつぶり、踊りの輪の中央に置いてあった竹籠《たけかご》を開いた。楽器入れだとばかり思っていたが、中には飲料水のボトルがぎっしりつまっている。「あんたら二人は、俺《おれ》たちのチームに貢献している。特にあんたのフィアンセはスカウトしたいくらいだ」男はボトルを一本渡し、金を渡そうとするツムラを笑って制した。
ボトルからコーラを直接飲み、マリアにもさし出す。二人で全部飲み干す。男は空になったボトルを受け取ると竹籠の中に入れた。
「あの人たち、身体の中の水分を全部出し切ってしまうつもりだわ。いよいよ脱水状態になりかけたときに水分を補給するのよ。そうするとカーニバルを境にして、体液も全部入れ換わる」
「体液なんか、じっとしていても入れ換わる」
ツムラは反論する。
「それは医学的な知識。みんなは、そう思っていないの」
脱水状態は意識を下げるのにも役立つ。一種のトランス状態だ。いよいよフラフラになったところで水を補給する。その繰り返しで、踊り手たちはいつも恍惚《こうこつ》としていられる。
サンバのリズムは今が最高潮だ。演奏するほうも踊るほうもひとつになっている。リズムがひとりひとりの身体をつき抜けていく。どんなスポーツでもどんな音楽でも、これほどの運動量をもたないだろう。
腕時計を見る。零時半だ。踊りの輪がしぼむ気配はない。
「そろそろ帰ろうか」
マリアが言った。彼女のほうでも夜通し踊るつもりではないらしい。
「旅先で倒れたら大変」
「それも医師と看護婦がね」
黄色チームの男に合図をして列からはずれた。
町のいたるところに踊りの群があった。
「この分だと、みんな踊り明かすつもりだ」
ツムラは改めて感心する。
「ひと休みして、また出て来てもいいわ」
マリアが言った。
ホテルのフロントには中年女性が居眠りしながら坐《すわ》っていた。若い者は全員出払っているのに違いなかった。
部屋にはいってもまだ町中の音楽が聞こえる。
「リカルド、ありがとう」
マリアがじっと見上げる。思い切り抱き寄せて唇を合わせた。
抱きしめたマリアの肩は、踊りの最中のように息が弾んでいた。唇から首筋、胸元ヘ口を滑らせていくと、マリアは自分からブラウスを脱いだ。下着は簡単にとれて、マリアの乳房が露《あらわ》になる。
マリアの肌はかすかに塩の味がした。マリアの身体から噴き出た塩だと思うと、なおさらいとおしい。
「リカルド」
マリアがしがみつく。
マリアの乳房は、ベッドにあおむけになっても形を崩さず、ツムラはそこに唇を当てた。
「サンバが終わるまで、ずっとずっとこうやっていたい」
マリアが言う。彼女の腰、尻、そして脚を唇で確かめていく。踊ったあとの褐色の肌は光沢をもち、すぐ下に弾みのある筋肉が息づいていた。
「リカルド」
喘《あえ》ぐようにしてマリアが何度も声を上げる。
「カーニバルの続き」
ツムラがマリアの唇に口を重ねながら言う。マリアが頷《うなず》き、ツムラの胸にしがみつく。確かにまだサンバのリズムが耳に届いている。
「こんなカーニバル、初めてよ」
「マリア、カーニバルはすべての筋肉に動きの喜びを与えると言ったね」
「言ったわ」
「ぼくはカーニバルで、これまで使っていなかった感情が動いた。何だと思う?」
「何?」
「人を愛するということ」
「それが初めてなの?」
「これほど深くだよ。ぼくは誰を愛しているか?」
「誰?」
「マリアだよ」
「わたしもリカルドが好き。大好き。好きになってはいけないのだけど──」
マリアは問いかけるように目を見開く。「でも、好きなものは好き」
上体をもたげてツムラの胸板に顔を押し当てる。
「リカルド」
マリアがうわ言のように叫ぶ。
明け方までシーツにくるまって眠った。目を覚ましたのは、鎧戸《よろいど》から漏れてくる光のためではなく、サンバのリズムのためだ。音は今始まったような新鮮さで、細かいリズムを保っていた。
鎧戸は開かずに、リズムを耳にしながら再びマリアの身体を指で撫《な》でる。マリアはまだ目を閉じたままだ。
「サンバが聞こえる。リカルドが傍にいてくれる。光が射す。わたしはリカルドのもの」
マリアが途切れ途切れに言葉を口にする。まるで詩の朗読のようだ。
ツムラはマリアの乳首を間近に見る。固くサクランボのように鮮やかな色をしている。乳首を支える乳房も手のひらで愛撫《あいぶ》する。美しい形だ。
「この胸も、この手足も、この心も、みんなリカルドのもの。わたしはカーニバルの夜にリカルドのものになった」
マリアの黒い瞳《ひとみ》がツムラを見上げる。
「それは違う。ぼくのほうがマリアのものさ」
ツムラが言うと、マリアは目を開ける。
「本当に?」
問われてツムラが頷く。マリアは嬉《うれ》しそうにツムラの首筋に腕を回す。
自分の黄色い肌とマリアの褐色の裸が重なるとき、ツムラはサンパウロの動物園で目撃したヘビの交尾を思い浮かべた。黄色と黒のヘビが地面の上で、まるで縄を綯《な》ったようにからみ合い、身動きひとつしないのだ。係員が棒の先で持ち上げても、我関せずでひとつになったままだった。
マリアのしなやかな手と足がツムラの身体にからみつく。町のカーニバルの音はまだ続いていた。
三月になって、ツムラはマリアから妊娠したことを告げられた。
「カーニバルでできた子よ」
マリアは嬉しそうに言った。
ツムラが結婚の意志を兄たちに知らせたのは、その直後だ。相手が黒人女性だと知って兄のロベルトは、急に態度を変えた。
「絶対に許さない。ツムラ一族にそんな例はない。日本人の純血をずっと守り続けるのがツムラ家の方針だ」
説得で態度を改めるような兄ではなかった。マリアを引き合わせたところで、軟化は期待できない。ツムラは黙って引き下がった。兄たちとは絶縁覚悟でマリアと一緒になるしか、道は残されていなかった。兄たちが納得していない事実は、マリアの耳には入れなかった。
マリアが熱を出したのは三月の終わりだった。三十九度の熱が三日たっても下がらず、大学病院の内科に入院させた。ツムラの同級生が主治医になってくれた。妊娠三ヵ月であることもツムラの口から彼に告げた。真菌性の脳髄膜炎だと確定診断がついたのは入院の翌々日だ。
「抗真菌剤を大量に使うが、胎児への影響は無視できない。それだけは承知しておいてくれ。万が一の時は、胎児診断も可能だろうから、そのあとどうするかは君たちが決めることだ」
主治医が何を言いたいのかは分かった。奇形児かどうかは出産前に見分けがつくので、人工流産も可能である旨、それとなくにおわせたのだ。
しかし抗真菌剤の効き目が悪かった。熱は下がるどころか、四十度になるときもあり、マリアは何度もけいれんを起こした。抗けいれん剤が持続的に血管の中に投与された。
四十度前後の熱が一週間続いたとき、ほとんど連日の徹夜で治療してくれた主治医がツムラを呼んだ。
「まだ治験段階の抗真菌剤があるが、使わせてもらえないだろうか。彼女の家族に訊いたら、君にすべて判断をゆだねているというのだ」
マリアの母親と兄も田舎から出てきていたが、重態の彼女を目のあたりにしても取り乱す様子はなかった。あとで分かったことだが、母親はそれまでも子供を二人疫病で亡くしていた。身内の死は稀《まれ》な出来事ではなかったのだ。しかし、マリアの胎内に赤ん坊ができ、間もなく結婚するはずだったと白状したとき、母親は初めて涙を流した。
「あなたと一緒になれたなんて、あの子は幸福でした」
母親は言い、無口な兄も傍で頷いた。
主治医が試みた新薬も奏効せずに、昏睡《こんすい》状態をさらに一週間続けたあと、心停止がきた。午後四時頃で、ツムラがちょうどマリアの病室を訪れているときだった。蘇生《そせい》術を施す余裕さえなかった。同僚の看護婦たちが、泣きながらマリアの身体から器具をとりはずした。
力及ばなかったと、主治医が頭を垂れるのをツムラのほうが慰めた。真菌による脳炎は誰がやっても難物なのだ。むしろ二週間近く延命させてくれたのを功とすべきだろう。
マリアの母親と兄は病院の処置に何度も礼を言った。遺体はツムラが車を雇い、四百キロ離れたマリアの故郷まで一日がかりで運んだ。サトウキビで成り立っている村だった。ほとんどの村人が葬式に参列した。その村の女性で大学まで進んだのは、マリアが初めてだったのを知らされた。
「小さい頃から、年寄りの話を聞くのが好きな子でした」
と村の長老が言い、
「私の教え子のなかでも一番賢い子供でした」
と中年の校長が述懐した。
「あの子の夢は、この村に診療所をつくることでした」
片足を引きずる女性がツムラに耳打ちした。
「ドウトールを連れて来るのは無理だから、せめて自分が看護婦として常駐し、いざ重症のときはドウトールを呼ぶのだと言っていました」
マリアの名付け親だという彼女は、そうつけ加えた。
人の背丈ほどの深さに掘られた穴に、マリアの棺《ひつぎ》は沈められた。土をかけ、棺が見えなくなったとき、初めて涙が出た。もう生きているマリアを見られないのだと、自分に言いきかせた。マリアは記憶のなかにしか存在しないのだと、胸の内で唱えた。
これから先、マリアの記憶はどんな小さな断片さえも忘れてはならなかった。マリアの笑顔、白い歯、やわらかな声、白衣を着たときの清楚《せいそ》な姿、玉の汗を滴らせて踊る様子、コルデルを朗唱するときの真剣な横顔。全部の記憶がそのまま凍結されていれば、彼女は生きているのと同じだと思った。
翌々日から再び病院の中の生活が始まった。外来に出ても、病院にはいっても、ナーシングステーションに戻っても、マリアとの思い出が影のようにつきまとった。マリアの記憶は薄れるどころか、ほんの小さなきっかけで意識がたちのぼってきた。
同僚たちもそれとなく気づかいをしてくれた。ミスが出ても面と向かって責めずに、黙って埋め合わせをしていたようだ。
ボランティアのグループもしばらく続けていたが、マリアのいない活動にはどこか力がはいらなかった。舞台に立つたび、コルデルの自作自演をしていたマリアを思い出し、却って胸が締めつけられた。半年くらい通ったあと、正式に脱会した。
マリアの記憶は日毎に鮮明になっていく。忘れる心配はなかった。むしろマリアが生きていた頃には忘れてしまっていた記憶が、日々の生活のなかで唐突に立ち現れたりした。その意味では、マリアの思い出を身のまわりに貼《は》りつけて暮らしているようなものだった。
ただひとつマリアが生きているときと決定的に違うのは、新しい出来事が積み重ねられないことだった。過去のなかにマリアと生きた証《あかし》を掘り出すしか、手段は残されていないのだ。サンパウロにうまい寿司レストランが開店したと聞き、まだマリアに寿司を食べさせていないことに思い当たる。電話しようと思ったところで、マリアがいないのに気がつく。忘れはしない彼女の電話番号を押してはみたものの、使用されていない旨の音声が冷たく受話器に響いてきた。留守番電話とは異なる虚しい応答だった。六九一・三三四四──その電話番号は一生忘れないだろう。一九七六年一月二十二日という彼女の誕生日とともにだ。
二ヵ月ほどして兄のロベルトから連絡があった。こちらから長く音信を絶っていたので、気にしたのだろう。
「どうしている、顔を見せないが元気か」
兄から訊《き》かれて、さし障りのない返事をした。
「あれはどうなった」
兄は重ねて訊いた。
「マリアのことですか」
「ああ」
まだ決心がつかねば説教を垂れてやる、そんな無言の圧力が口調にこめられている。
「死にました」
「死んだ?」
電話のむこうで兄が絶句した。
「もう二ヵ月になります」
「何でまた」
「病気です。大学病院でも救えませんでした」
「それは大そうなことだ」
兄は何か口ごもる。「まあ、結婚したあとに死なれるよりは良かったかもしれん」
慰めるつもりで吐かれた言葉だったろうが、ツムラは怒りに唇をかんだ。
「結婚していれば、こんなことにはならなかったと思います」
自分の激情が鎮まるのを待って言った。本当にそんな気がした。一緒に暮らし始めていれば、環境も変わり、脳炎の病原菌に侵入されることもなかったのではないか。マリアは兄たちの反対に感づいていたのかもしれない。その失望が病原菌への抵抗力を弱めたとも考えられるのだ。
「まだそんなことを思っているのか。済んだことは忘れろ」
兄は言った。返事はしなかった。
「とにかく顔を出せ。分かったな」
兄は命令口調で言うと電話を切った。
その後も兄とは会う機会がなかった。
夏になって、教室で日本での研修の話がもち上がった。主任教授は日本語ができるツムラに白羽の矢をたてた。いい機会だと思い、両親にだけ挨拶《あいさつ》をしに行って、八月の末にブラジルを発った。
半年の日本滞在中、両親には絵葉書を出した。帰国したことも兄には知らせなかった。その年の盆も正月にも、当直を口実にして実家には帰らなかった。兄から何度か催促があったのも無視した。
サルヴァドール行きの話が持ち込まれたのは、次の年の春だ。主任教授から、フォルテ・ビーチ病院の理事長を紹介され、大学病院のカフェテラスで会った。
理事長はドイツ系ブラジル人で、長身で艶《つや》のある肌からは、七十歳という年齢は感じられなかった。
驚かされたのは、その病院の水準だった。扱っている患者数はいわずもがな、胎児診断や遺伝子治療、不妊治療、疫学調査まで、こと産婦人科に限っても、並の大学病院では足元にも及ばぬほどの能力をもっていた。
「患者はブラジルだけでなく、北米、ヨーロッパ各国、アジア諸国からもやって来ます。リゾートホテルと先端医療、高水準の研究を三位《さんみ》一体として融合させたのが、私たちの病院なのです」
理事長は胸を張った。医療スタッフはブラジル各地の大学から、それも若手の有望株ばかりをヘッドハントしてきたものだという。
提示された待遇も破格だった。年俸は大学病院の二倍とまではいかなくても、宿舎支給などの条件を考えれば、実質二倍強の報酬に相当した。
しかし待遇がそれほどでなかったとしても、やはり赴任は決めていただろう。サルヴァドールは黒人の故郷だった。アフリカから連れて来られた奴隷は、まずサルヴァドールでブラジルの土を踏んだ。マリアの祖先もそうだったはずだ。病院への赴任の話は、死んだマリアの手引きかもしれないと思った。
病院に赴任した日は、ちょうど開院記念日で、大がかりな祝賀会が開かれた。カーニバル風の踊りも披露された。
職員の八割が白人、一割がムラータ、残りの一割が黒人という割合で、東洋人はツムラひとりだった。そのためか破天荒な踊りはなく、舞踏会のような優美なカーニバルで、内心落胆した。
しかし、飲み疲れて浜辺に出たとき、その美しさに目を見張った。星月夜で、海も凪《な》いでいた。マリアが傍にいてくれればと切実に思った。
マリア。
ひとりでに叫んでいた。レストランから響いてくる楽器の音にもかかわらず、声は海の上を遠くまで渡っていくような気がした。
マリア。マリア。
腹の底から声をふり絞って呼んだ。何度も叫んで全身の力が抜け、へたり込む。四つん這《ば》いになって泣いた。葬式のとき以来の涙だった。
気がつくと波頭が顔を洗っていた。渚《なぎさ》でそのまま寝入っていたのだ。
レストランでは踊りがまだ続いていた。濡《ぬ》れた衣服を誰も訝《いぶか》らなかった。全裸に近い姿になって踊る女性もいたし、頭からシャンパンをかけて濡れねずみになっている男性もいた。
「あなたを見ていると、どこかやはり日本人を感じます」
大学病院までスカウトに来てくれた理事長が近づいて来て言った。
「理事長は日本人と会ったことがあるのですか」
ドイツ系ブラジル人であり、まさか日本に住んでいたはずはないと思って、ツムラは訊いた。
「会った。もう五十年以上も前にね。ベルリンでだった。日本人は優秀だった。ドクター・ツムラはその頃の日本人を思い起こさせる。あなたの祖父がブラジルに移住してきたのでしたね。当時の日本人の気質が、そのままタイムカプセルのように凝縮されて、引き継がれているのでしょうね」
理事長がドイツ生まれであり、思春期までをそこで過ごしたことを、初めて知らされていた。それにしても、戦前の日本人と似ていると言われたのは意外だった。
「ドクター・ツムラはこんなジョークは知っていますか。次回は、イタリア抜きでやりましょう。ドイツ人と日本人が会ったとき、必ず言うセリフですよ」
理事長が笑うのをポカンとして聞いていた。意味が分からぬでもなかったが、どこか時代錯誤のような気がした。
「それもずっと昔の話です。私はユーゲントのリーダーでした。総統から話しかけられたこともあります」
理事長は総統というところで心なしか顔を上気させた。
「総統というとヒトラーのことですか」
ツムラは確かめる。
「そう、ヒトラー総統。あの人は偉大だった。あれほどの人物は数世紀にひとりしか出ない。キリスト、アレキサンダー大王、ナポレオン、フリードリッヒ大王──」
ツムラは本気かという思いで、理事長の顔を凝視する。真顔だった。
「その総統の側近に日本人の少佐がいた。武術の達人でもあり、ドイツ語がうまく、いかにもサムライの風貌《ふうぼう》をしていた。ある会合の席上で、その少佐が刀を抜いて技を披露したのです。葦《あし》の束を五本立て、少佐はその中ほどに位置していました」
遠くを見る目つきで理事長は続ける。「少佐は両手を垂らしてじっとしていました。身体《からだ》が動いたと思った瞬間、刀が宙を舞い、数秒後には刀は鞘《さや》の中におさまり、彼は最初の姿勢に戻っていました。五本の葦の束が真二つになって床の上に落ちたのは、その直後です。ホールに集まっていた全員が感激しました。ユーゲントの代表は私を入れて三人いましたが、少年の目に、その技が深く焼きついたのです。ピストルの早撃ちでも、あんなにはいきません。ピストルは音がしますが、日本刀は音もなく葦を切ったのです。
そのあとも少佐の姿は何度か見かけました。敗戦の色が濃くなるにつれて、他のドイツ人将校の態度が浮き足立ってくるのが、私たち少年には良く分かったのです。しかしその日本人少佐は違っていました。初めから最後まで泰然としていました」
「少佐と言葉を交わしたことはあったのですか」
ツムラは理事長の話にひき込まれるのを覚えた。
「一度だけあります。一九四五年の三月でしたか。総統官邸の中庭で、総統の謁見があったとき、特別警護にその少佐がついていたのです。少佐が近づいてきたとき、私は小声で話しかけました。少佐殿の刀の技を見たことがございますと。すると彼は頷《うなず》き、こう言ったのです。ドイツの興亡は、あなた方若い人の力にかかっている。我々が亡んだあとも志を継げば、必ずやドイツは永遠に栄えると──」
「我々は亡ぶと言ったのですか、その日本人将校は?」
「言った。もちろん他のドイツ軍将校の耳には届かず、私と近くにいたユーゲントの友人二、三人が耳にしただけです。日本人少佐は敗戦をしっかり覚悟していたと思います。私たちユーゲントはそんなことになるとは考えていません。偉大なドイツが負けるはずはないと、将校たちから吹きこまれていました。それだけに、その日本人将校の覚悟には驚かされました」
「信じられましたか、すぐに」
ツムラは訊いていた。お互いにシャンパンのグラスを手にし、レストランから離れた芝生の上に立っていた。サンバの音楽は相変わらず響き、頭上には形の良い月が出ていた。
「あのサムライの口から出た言葉です。ユーゲントの他の友人はいざ知らず、私は信じました。かと言って落胆したわけではありません。お前たちがいる間はドイツは滅びない、その言葉は胸に残りました。総統の後ろ姿を眼の端で追いましたが、涙が出たのを覚えています。ヒトラー総統もこの日本人将校もいなくなるのだと思うと、悲しくなったのです」
理事長の顔が月の光に照らされて白く浮かび上がる。口元に刻まれた皺《しわ》や、たるんだ皮膚は紛れもなく七十歳の老人のものだったが、眼光には、はっとさせられる若々しさが宿っていた。彼の脳裏には、五十年以上も前の出来事が昨日のような鮮明さで保持されているのだろう。
「その日本人将校は、その後どうなったのですか」
地下の司令室で自殺したヒトラーの最期については、ツムラも知ってはいた。
「分かりません。たぶん、最後のベルリンの攻防で亡くなったか、ソ連軍につかまり、処刑されたかでしょう。ずっとあとになって、個人的に日本側の資料も調べましたが、生きている証拠は得られませんでした」
理事長は黙り込み、シャンパンをゆっくり口に含んだ。「とんだ昔話になってしまいました。いや、あなたの顔を見たら急に昔のことが思い出されて──。あれからもう半世紀以上もたってしまった。私もあと十年は生きようと思うが、これからの十年が最も重要な年月です。それにはドクター・ツムラ、あなたの力添えは絶対に不可欠なのです」
さし出された手をツムラは複雑な気持で握り返した。
あれから七ヵ月経っている。この病院の良さは充分に分かったつもりだ。まず優秀なスタッフ。それも功成り名遂げて過去の人となった大御所ではなく、これから花を咲かせるに違いない若手の人材がブラジル全土から集められていた。第二は、最新の医療機器が揃《そろ》えられていることだ。磁気共鳴装置や超音波機械はむろん、遺伝子診断や胎児診断に欠かせない高価なキットもふんだんに入手できた。
それら二つを支えているのが潤沢な財政だった。世界各地から訪れる富裕な患者たちは保険外の診療を喜んで受け、なかには救命あるいは子宝を授けられたお礼にと、多額の寄附をして退院する者もいた。
もうひとつツムラが感心したのは、金に糸目をつけない自由診療のかたわら、貧しい地元民相手の診療所も併設している点だった。そこでは治療費はとらず、近辺の住民なら誰でも受診できた。評判を聞きつけ、地元民になりすまして治療を受けに来る患者もなかにはいるとの話さえあるくらいだ。
そしてリゾート地とも見間違うレストランや病棟の配置、滞在患者のためのレジャーやスポーツ施設、日々の催しなども、未来の医療はかくあるべしの青写真を既に実現していた。
赴任して良かったと、思い始めていた矢先の出来事だった。バーバラ・ハースの死は、そのまま見逃せば誰も疑問を抱かずに人々の記憶から消えていくに違いない。特に彼女の主治医だった自分が沈黙していれば、彼女の死は病院内にありふれている他の多くの死のなかに、ひっそりとおさまるものだった。
バルコニーから星空が眺められる。静かな夜だ。乾いた風が快い。
バーバラ・ハースの受診目的は、冷凍精子による膣内《ちつない》受精だった。心理学者のライヒェル博士によって得られた病歴が、産科の主治医であるツムラに渡されていた。精子は交通事故で急死した彼女の夫のものであり、生前に万が一に備えて採取していたのが、死後の受精を可能にしていた。事故および亡き夫に関する話題は一切回避するようにと、ライヒェル女史のコメントが付記されていた。心理的な傷口に触れないことが最良の精神的なケアなのだとツムラは納得した。
膣内受精そのものは性交と本質的な差はない。ただ正確な排卵日を知り、それに合わせて適確な子宮内の位置に適量の精液を注入してやらねばならない。しかもその前に、膣や子宮内の環境要因も整えておかなければならない。異常な環境では、せっかく精液を注入しても受精は起こらず、たとえ受精しても着床までには至らないのだ。
体外での受精は、そういう通常の手技が失敗したときの最終手段として考慮されていた。
バーバラ・ハースは何の障害もなく、初回の注入で妊娠した。その後の経過も順調そのもので、週に一回体調の変化をチェックすれば済んだ。
ライヒェル女史のほうのカウンセリングはほとんど一日おきに続けられているようだった。それは受精前からのもので、通常の妊娠と異なるハンディキャップをカウンセリングで補うのだとツムラは説明を受けていた。
妊娠したと知ってバーバラは喜んだ。その姿にはこれから先、女手ひとつで子供を育てていく労苦よりも、赤ん坊を得ることができた当面の喜びのほうが優って見えていた。ツムラは無理はないと思った。もし自分が女性であり、仮に死んだマリアが男性だとしたとき、その子供を妊娠できるのであれば、どんな苦労にも耐えてその子を育てていくに違いなかったからだ。
バーバラ・ハースのあとにフランスから来たユゲット・マゾーの主治医になり、彼女にも同様のやり方で成功裡《せいこうり》に受精を導くことができた。そして三人目の症例がマイコ・キタゾノだった。
日本人女性は日本留学中に知る機会があった。彼女たちは、日系のブラジル人女性とは姿形は全く同じでも、中身は百八十度対照的だった。言葉はもちろん、知識や自己主張、立ち振る舞いが違う。ひと口に言えば、本物の日本人女性は世の中を知らず、狭い世界で生きていて、自己主張をしなかった。自分の個性を打ち出すよりも、周囲の色にどうすれば程良く染まるかだけを考えているように見えた。ツムラにはそれが物足りなかった。
その点、舞子はどこか違っていた。あくまでも控え目ではあるが、自分の意志をもち、必要なときには自分の主張を口にした。
バーバラの死について質問をしてきたときもそうだ。
本当に簡単に自殺だと片づけていいのですか、と舞子は挑むような視線をこちらに向けた。
バーバラがある時期悩んでいたのは確かだ。妊娠四ヵ月の超音波診断で、胎児に形態異常があるのが判明した。上肢が通常よりも短いのだ。悩んだ末、彼女に正直に告げた。奇形には知的障害も合併しやすい。それも話した。主治医として申し訳ない気持でいっばいだった。手技がまずかったわけではなく、あくまで偶然の産物だが、こんなとき矢面に立たされるのは主治医なのだ。
しかし彼女は自分を責めなかった。それどころか、しばらくすると、悩みを克服したように、このまま妊娠を継続しますと言い放ったのだ。毅然《きぜん》とした態度に頭が下がった。最愛の男性の子供であれば、どんな障害児でもいとおしむ気持に心うたれた。
そんな彼女が自ら死を選ぶとはやはり考えにくい。彼女の死をこのまま見過ごせば一生悔いが残る。彼女が何故死んだのかつきとめるのも主治医の責務なのだ。
どうすれば真相が明らかになるのか。
死体のあった現場をもう一度検証し、あのとき傍にいた人間にひとりずつ確かめてみるべきだろう。
ツムラはそこまで考えると、バルコニーの手摺《てすり》の傍に寄り、暗がりの奥に黒いシルエットだけをさらしている六階建の本館を眺めやった。