この間、小田急に乗っていた時のことである。子供をつれた母親がすわっている私の前にたった。その子は「かあちゃん。腰かけたいよオ」と叫び、母親はジーッと私の顔を見るのである。つまり、あんた、早くうちの子に席をゆずりなさいよという意思表示であった。
私はなにクソ、負けるものかと思った。今まで何回、こうした母親のために、せっかく苦心してとった席をゆずり渡したであろう。私の考えでは、子供が電車やバスで腰かけるのは体育向上にも、また平衡感覚をとる訓練のためにもよくないことであり、おとなといえばみな丈夫で子供は弱いと考える習慣は断じてやめるべきなのである。私はだからなにクソ、ここで席をゆずっては御先祖さまに申しわけないと思い、がんばったが、やはり真正面からジーッと見つめられると戦闘意欲が少しずつ萎《な》えて、ついに刀折れ矢つきたのであった。
私は無念で仕方なかったが、しかし同時にわが子のためにジーッと私をにらみ倒したこの母親の強靭さには感心したのであった。これは神かけて誓うが、男には絶対にできない粘り強さと度胸である。
かつて私はまた同じ満員の小田急で、私とからだを押しつけ合っている若いオフィスガールが、あきらかに自分で放屁したにかかわらず、さきほどの母親と同じように私をジーッと凝視し、この責任を私にかぶせた苦い経験を持っている。
こういう強さは女のどこから来るのか。いかに人が言おうと私は女は男より弱い存在だと思っている。戦後、強くなったのは靴下と女だとか、現代の女は男よりハルカに強いなどとよく言われるが、私はああいうことばは信じない。女は女である以上、本質的に男より弱い存在であると私は確信をもち、男は女性をいたわらねばならぬと主張する一人だ。
しかし弱虫のヤブレカブレの強さというものがある。私が前に住んでいた家にドラねこがすみつき、こいつが犬に追いかけまわされているのを見たが、縁の下に追いつめられるやヤブレカブレになり、歯をむいて逆襲し、びっくりした犬は飛んで逃げていった。私は女の強さはこのドラねこのヤブレカブレの強さだと思う。
ヤブレカブレの強さ
ヤブレカブレの強さとは言いかえれば恥も外聞もない強さである。ヤブレカブレの人間ほどこわいものはない。女は男から見れば強いとは思えぬが、ヤブレカブレになるから男にはこわいのである。歯をむいたドラねこの顔、あれがいざという時の女の顔である。
女はヤブレカブレになることができる。なぜなら女性はヤブレカブレになるほか、たたかう武器がないからだ。男にくらべれば腕力だって弱いし、知能だって弱いからだ。腕力や知能が弱いから彼女たちは窮するとヤブレカブレになる。恥も外聞もすててむしゃぶりついてくるのである。男は多少は腕力も知能もあるから追いつめられても、何とかきりぬける術を考える。ヤブレカブレになるということはあまりない。
女のくそ度胸とは結局、このヤブレカブレのことである。これは文字通り本当の度胸ではなく、くそ度胸である。
ジェントルマンの深慮
私の友人がこぼしていたが、この友人の細君は夫婦げんかになると、庭にとびだし、
「御近所のみなさん、聞いてくださーい。うちの主人は、あたしをたたいたんですよ。それも三度たたいたんですよ」
そう大声で叫んだそうである。友人は恥ずかしくて、よしてくれ、オレが悪かったとあやまったそうだが、こういう行為は男には決してできない。男は女より知能もあるし社会的名誉も考えるし、虚栄心だってあるから、夫婦げんかの時に隣に助けを求めるくそ度胸はとてもない。
女は何をするかわからない。だからこわい、とは男が女にたいして意識下にばく然ともっている恐怖である。
だから男たるものは決して女をヤブレカブレにしてはならぬ。ヤブレカブレにならぬ以上、女はわが家のドラねこのごとく、やさしい声でニャオーと鳴き、のどをゴロゴロならしている。だが窮すればグワーッと歯をむいてむちゃくちゃをするのだ。西洋の男が女性を外見はやさしくしたり、いたわったりしたのは真心からではなく、女をヤブレカブレにしないほうが安心だという保身の策だったのである。
そういう意味でもわれわれは女をあまりいじめないほうがいい。最近、女性を罵倒して得意になっている文化人がふえたが、あれは火薬にマッチを近づけるような危険な行為である。