「社内で、上役の奥さんの寸評を若い連中がやっているのを、おれは今日、耳にしたがね」
「まア。そんな噂話をする青年なんて大嫌い」
「そうだな。決していいもんじゃないな。第一、若いくせに仕事の話ではなく、課長夫人や部長夫人の寸評をするなんて、志がひくいよ」
「本当よ。で、その人たち、何と言ってたんですの」
「なにを?」
「上役の奥さんのことを」
「なんだね。今、君はそんな噂話は大嫌いと言ったばかりじゃないか」
「噂話が嫌いと言ったんじゃないわ。男のくせに噂話をするのが嫌いと言ったのよ」
「同じことじゃないか」
「違いますよ。ねえ、聞かして。私にも参考になるんですから。私が若い方たちに悪口いわれたらあなただってイヤでしょ。だから聞いておきたいわ」
「いくら出す?」
「え? 冗談じゃないわよ」
「じゃあ、聞かしてやろう。おしなべて同僚や部下に評判の悪いのは、デシャバリ夫人とイバリ夫人だな」
「それはどこだって同じことですわ。わかっていますよ」
「それがわかってないんだなあ。君だって」
「どうして、ですの」
「よし、そんならよく聞け。二週間ほど前におれの課の高本君が、ここにやってきたろう」
「ええ。おぼえていますわ」
「その時、お前の高本君にたいする口調をおれはじっと耳かたむけていた。お前、彼にたいして、どんな口のきき方をした」
「どんなって……ごく当たり前のつもりだったけど」
「違う。君はね、まるで目下の者か、弟にたいするような口のきき方、態度をしたぞ」
「そりゃア——ひょっとしたら、そうしたかも知れないけど。だって高本さんはあなたの部下だし、あたしより年下だし」
「おれの部下だったら君の部下かね」
「そうじゃないけど」
「なら、なぜ、キチンとした物の言い方を高本君にしないのか。おれの部下だからといって、高本君は君とは何の関係もないといっていいんだぞ。いうなれば、高本君はおれにたいしては仕事上の部下だが、君とはまったく対等だということを忘れるな」
「どうして、そのくらいのことを、大声たてて怒るんですか」
「そのくらいのこと? これは大変、大事なことだ。よくおぼえておきたまえ。いいか。一般にバカな女房というものは、亭主が会社や職場などで地位が上がれば、自分も偉くなったような錯覚を起こすもんだ。若い者にたいする口のきき方、態度までがだんだん高慢ちきになる。これは部下から見て実に不快でイヤなことだ」
「でも」
「でも、何だね」
「やはり女房だって主人が偉くなるにつれ、それ相応の努力をしてきたことは認めていただかなくっちゃ」
「それは亭主一人が認めてやれば十分なことだろ。なにも外部から認めていただくことはないと思うね。とにかく本当に利口な女房とは、亭主が偉くなればなるほど、部下の人、若い連中に腰をひくくするものだ」
「社内でも、若い人たちはそう言っているんですか」
「言っているとも。A部長の奥さんが評判がいいのは、下役の連中がうかがっても、彼等に実に腰がひくいからなんだね。それに反して、B部長夫人が陰で生意気なクソばばあと言われているのは、彼女が亭主と同じように、自分まで上役気どりをするからさ」
「なるほどねえ」
「大事なことだよ、これは。それから特に、社内の女の子には態度をやさしくしてほしいね。これはもう、男の連中より、そういうことに敏感なんだから」
「でも女の子なんて、別にあなたの仕事を左右するはずないでしょう」
「いや、とんでもない。こういう女の子の評判というのを人事部長なんかは、じっと聞いているんだから。××さんの奥さんは本当に生意気よ、なんて、古株の清瀬益代君なんかがもし昼休みに言えば、そういう固定観念が意外に社内に広がるんだよ。
もし何かの用事で彼女たちが家に来たり、あるいは日曜日にデパートなんかで会ったら、特に愛想よくしてもらいたいね」
「なんだか、あたし、悲しくなってきちゃったわ」
「どうして」
「だって、男のあなたが、そんなミミッチイことにまで、神経質なんですもの」
「そうじゃない。そこまで気をくばらねば、男というのは安心して仕事に打ちこめないんだよ。これは君の一つの内助のあり方なんだから、くれぐれも気をつけてくれよ」