あなたも本当は姦通に憧れている……。こう書きますとあなたたちの中には顔をしかめられる方がいられるかも知れない。顔をしかめられる方がいられても、私はそう断定することができると思っている。
私はこれを読んで下さっているあなたがまだ結婚していられないお嬢さんであるか、既に人妻になられた方かは知りません。だがお嬢さんであろうと人妻であろうと、あなたの心の奥には姦通をそっとやってみたいと思う衝動がたしかにあるのは事実です。
最近あるテレビの関係者から聞いたのですが、健全な主婦の中にも、朝、主人を会社に送りだしたあと、テレビのチャンネルをひねり、夫を裏切ろうとする妻を主人公にしたメロドラマを見る御婦人が非常に多いとのことです。
これは別にふしぎでもなんでもない。早い話、戦後のベスト・セラーの中でもっとも代表的なものといえば『美徳のよろめき』があります。『武蔵野夫人』があります。『氾濫《はんらん》』があります。これらの作品はそれぞれ何らかの意味で姦通を素材としていることは誰でも知っている。
テレビのメロドラマを見るにしろ、『美徳のよろめき』を読むにしろ、この際、あなたの心の動きはまず次のようなものである。
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(1) あなたは自分の主人、自分の家庭を裏切ったり、破壊してまで姦通をする勇気がないことを知っている。
(2) だが姦通という言葉は(たとえあなたが主人を心から愛されていても)なにかあやしい甘美な魔力をもってひびいてくるはずです。むかしのように姦通は女性にとってたんに不義とか御法度とかで単純に心から消すことができなくなっている現在、たしかに姦通という言葉は誘惑という文字と同様に、あなたの心を疼《うず》かせる要素をもっています。
(3) だがあなたはテレビを見ることによって、姦通を描いた小説を読むことによって現実にはやる勇気のない衝動をここで解放せしめることができる。
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「もしも家庭を破壊しないですむなら……もし世間体というものや他人の眼がなければ、……あたしだって姦通するかもしれないわ」
ひそかに、隠微《いんび》にあなたはそう思われるにちがいない。
もしそうでないという人妻がいられたら私は彼女をカマトト、あるいは立派な大聖女だと思う。だがいやしくも本書の読者にはカマトトがいられるはずはない。また大聖女ならばなにもこの本をお読みになる必要はない。あなたたちはこの私と同様、煩悩《ぼんのう》に悩む方たちであるはずです。
けれどもこうした最近の現象だけでは実証性はどこにもありません。私はそこでなぜ、「あなたたちの心に姦通をしたいという気持がひそんでいるのか」をもっとハッキリと、もっと論理的に説明しなければならないでしょう。そこで今日はこのことについて少し、しゃべりたいと思います。