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ぐうたら愛情学119

时间: 2020-10-10    进入日语论坛
核心提示:「姦通」にある愛の宿命 あなたは今日まで小説のなかで無数の、いろいろなタイプの恋愛をお読みになったでしょう。その中にはせ
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 「姦通」にある愛の宿命
 
 あなたは今日まで小説のなかで無数の、いろいろなタイプの恋愛をお読みになったでしょう。その中にはせつない恋もあり、甘美な恋もあり、醜悪な恋愛もきよらかな恋愛もあったと思います。そしてあなたは一つの小説から次の小説を読むたびに世界には星のように無数の恋愛があると、お考えになったかもしれません。
 しかし率直に言いますと、文学にあらわれた一見さまざまの恋愛の大半は、実は一つの型しかふんでいない。その型とは——はっきり書きましょう——実は姦通心理の型なのです。
 これは少し大胆な意見かもしれませんが、日本文学はともかくとして、西欧文学のなかで初めて恋愛がはっきりと讃美されたのは、ローラン・ド・ルネビイユという人の説によると『トリスタンとイズウ』だと言われている。トリスタンの話はきっと皆さまも御存じだと思いますが、これは西欧中世紀にドイツやフランスなどで共通して語りつたえられた物語です。
 話とすじは簡単である。騎士トリスタンは王マルクの命令をうけて、自分の主君のために妃をさがしに旅に出る。さまざまの辛苦ののちに彼はイズウという美女にめぐりあい、彼女をマルク王の妃として連れかえろうとするが、魔女の媚薬《びやく》を口にしたため、彼自身がこのイズウに恋いこがれてしまう。そしてイズウ自身もこの騎士に恋情をおぼえるに至ったのです。
 だがこのトリスタンとイズウの恋愛は絶望的なもの、悲劇的なものです。今とちがって西欧の中世時代を支配していたのは基督教ときびしい封建主義でした。イズウはトリスタンにとっては自分の王の妃となる女です。一方、トリスタンはイズウにとっては自分の臣下ともなるべき騎士です。この二人が恋しあうことは、当時の制度や宗教からいってもっとも厳罰にあたいすることでした。
 したがって二人の恋愛は、苦難と障碍とをはじめから予想した悲劇的なものだったと言えます。はっきり申せば二人はこの地上で「結びあうことのできぬ」宿命をもっていたと言えましょう。
 結局——トリスタンとイズウは地上で果せぬ二人の愛を永遠の世界、死後の世界で成就するために自殺しなければならぬ。トリスタンが死に、イズウもそのあとを追う終幕は悲壮で美しいものですが、それは彼等がはじめて会った時からすでにきめられてしまった運命とも言えましょう。
『トリスタンとイズウ』の物語はふつう、中世の封建制にたいするルネッサンス的な人間主義の反抗として読まれています。あるいは結婚にたいする恋愛の讃歌として考える人もいます。
 その説の是非はここではどうでもよろしい。ここであなたが気づかれねばならぬことは、西洋文学で最初の恋愛讃美の物語が——ごらんなさい——姦通という形式をとっているということです。トリスタンのイズウにたいする恋愛は自分の主君マルク王の妃にたいする恋愛です。はっきり言ってしまえば主君の妻に道ならぬ思いをいだいたということになります。姦通なのです。
 西洋文学の最初の恋愛讃美の物語が、姦通という形式をふまえたことは、後々の恋愛文学に決定的な雛型を与えました。ローラン・ド・ルネビイユの説によると後世の恋愛小説の大半はこのトリスタンとイズウの恋愛のもつ二つの性格、
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(1) 引きさかれた恋愛、結びあうことの困難な恋愛
(2) その障碍や苦悩を油として燃えあがる恋愛
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 を、その作品の中にみちびき入れているというのです。祝福された、ひろびろとした男女の愛情を描くかわりに、苦しみ、嫉妬、不信、疑惑という心の悶えを描く恋愛か、あるいは、たがいに恋しあっていても、その恋人には簡単に結びあえぬ距離のあるような引きさかれた恋愛を、大半の小説は描いているというわけです。
 はっきり言ってしまうと、こういうことになります。つまり大半の近代文学は、姦通がその最も強烈なあらわれである≪情熱≫しか描かなかったのであり、ひろびろとした祝福された男女の≪愛≫を描くことはまれだったということです。
 どんな小説でも手にとってごらんなさい。百冊のうち九十九冊までは、一人の男が一人の女のためにどう苦しんだか(コンスタンの『アドルフ』のような小説)、一人の人妻が夫との安定した生活≪愛≫に充ちたりず別の男とのしびれるような関係≪情熱≫に走ったか(フローベルの『ボヴァリイ夫人』のような小説)のいずれかに属する、といっても過言ではないようです。安定すれば、色あせる≪情熱≫を描いたのが近代小説の性格であり、安定したのち、男と女とが、夫と妻が、一歩一歩、きずいていった≪愛≫を描いた作品はほとんど少ないと言えましょう。つまり、あなたたちはこうした多くの近代小説を通して、たえず≪情熱≫にふれているのであり——ここからともすると≪情熱≫を≪愛≫と混同したり、≪愛≫の中に無理矢理に≪情熱≫をひきこもうとしたり(これは不可能なことです。愛と情熱とは水と油とのように合致せぬものなのですから)する混乱が、現代人の愛情生活のなかに生れてくるのです。
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