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ぐうたら愛情学120

时间: 2020-10-10    进入日语论坛
核心提示:「結ばれぬ純愛」の真理 以上のことはたとえ、純愛といわれている恋愛にもあてはまります。少なくとも純愛を描いたといわれる作
(单词翻译:双击或拖选)
「結ばれぬ純愛」の真理
 
 以上のことはたとえ、純愛といわれている恋愛にもあてはまります。少なくとも純愛を描いたといわれる作品にたいして適用できます。結論から先に申しますと、いわゆる純愛物語といわれる作品は、二人の男女がいかに長くそのほろびやすい≪情熱≫(≪愛≫では決してありません)を持続したかを描いたものにすぎません。
 早い話がどの純愛小説でもよろしい。たとえばジイドの『狭《せま》き門』でもいい、ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』でもいい、日本でいえば中河与一氏の『天の夕顔』のように評判の高かったものでもよろしい。こうした本に描かれているのは純愛ではなくて、主人公が自分のもろい≪情熱≫をいつまでも持続させるためにいかなる手をうったかということなのです。
 シラノ一つをとってもこのことはすぐわかります。御存じのようにエドモン・ロスタンが書いた戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』は満天下の子女の紅涙をしぼるに足る純愛物語です。
 シラノは剣をとっては無双、しかも哲学や詩に通じた文武両道に秀でたガスコン青年隊の剣士でした。しかし天は二物を与えずのたとえの通り、この男は顔が醜かった。その鼻があまりに大きく太かったのです。
 シラノは自分の従妹のロクサーヌに恋をしていた。だがおのが顔の醜さを思うと、彼にはせつない胸のうちを告白することはできなかった。
 この時、クリスチャンという凡庸なつまらぬ男が、シラノの所属する青年隊の一人になりました。その上この男はロクサーヌに夢中になってしまったのである。ロクサーヌもまた彼を憎からず思っているらしい。
 シラノは自分の恋を諦めました。諦めただけではなく、クリスチャンのために、この凡庸な男の恋が成就するよう、進んで彼を助けてやったのである。クリスチャンはシラノと違って無学無才なつまらぬ男ですから美しい恋の言葉を知らぬ。その男に代って恋文を書いてやり、時には闇を利用して美しい言の葉を彼に教えてやる。
 こうしてクリスチャンはシラノの助力でロクサーヌと婚姻することができました。だがシラノは決してことの真相を打ち明けなかった。自分の胸に秘めていたのであります。
 やがて戦争が起る。クリスチャンもシラノも出征する。クリスチャンは不幸にして戦死し、ロクサーヌは尼寺にはいる。未亡人になった彼女を、シラノは毎日なぐさめるため修道院にかよう。そして彼は自分が息をひきとるまで、自分こそ彼女を愛していた唯一人の男だったことを口には出さなかった……。
 これが有名な『シラノ・ド・ベルジュラック』の大略のすじであり、一読、満天下の子女の紅涙をしぼるに十分な「純愛物語」と言えましょう。
 だが待っていただきたい。この「シラノ」を読んだ時、私は少なからざる疑問を数ヵ所におぼえた。その二、三をここに書いてみましょう。
(1) まず第一にふしぎなのはシラノという男がロクサーヌをなぜ諦めたかという点です。鼻がみにくいから——だが鼻がみにくいだけで男は自分の好きな女を諦められるのか。少なくとも私なら鼻が三角であろうが四角であろうが、そのくらいのことで愛している女から身を引くようなことはせぬ。
(2) 第二にシラノがクリスチャンという男とロクサーヌとを結婚させた心理です。さきにも書きましたように、クリスチャンは凡庸なつまらぬ男だった。しかもシラノはこの男を軽蔑していた。自分が軽蔑している男を愛する女と結婚させるというのは、普通、よくよくすねた心か、復讐の心理がなければできぬ行為です。なぜなら、ロクサーヌはいつかはこのクリスチャンの凡庸さ、つまらなさに気づき不幸を感ずるでしょう。その不幸をシラノが予想しなかったはずはないからである。
 この疑問をみなさんはどう解釈されるでしょうか。答えは明瞭、簡潔です。シラノ・ド・ベルジュラックは≪安定は情熱を殺し、不安は情熱をたかめる≫という単純な、しかし人があまり気づいていない原則を知っていたのです。だから彼はたえず自分とロクサーヌとの関係を不安定[#「不安定」に傍点]にしておこうと考えたのであります。自分とロクサーヌとが結ばれない(ちょうどトリスタンとイズウとの間のように……)運命をつくるならば、彼はいつまでもその苦しみ、嫉妬などによって彼女への≪情熱≫を燃やしつづけることができるのです。
 クリスチャンにロクサーヌを嫁がすこと——そうすれば彼女は人妻になります。人妻に心を燃やすことはひそかな姦通です。自分は彼女と結婚できない。しかし、そのために≪情熱≫はいつまでも持続できるのです。もし逆にシラノがロクサーヌと結婚したとしてごらんなさい。安定は≪情熱≫を殺します。もう苦しむ必要はない。もう嫉妬する機会もなくなる。その代り≪情熱≫は色あせ、枯れ、いかなる夫婦も陥るあの倦怠と疲労の生活が続くでしょう。この点をシラノはよく心得ていたのでした。だから彼は結婚をクリスチャンにゆずるという一見、敗北の形式をとりながら実は情熱の世界で勝利をえたのです。『シラノ・ド・ベルジュラック』は外見、純愛の物語です。けれどもよく読めばこの純愛は≪愛≫の創造ではなく、≪情熱≫を不安定な男女の関係で持続させたにすぎぬ話だったことがおわかりでしょう。
「シラノ」だけではありません。世のいわゆる純愛物語のすべてが——たとえば先にあげた『狭き門』にしろ『天の夕顔』にしろ、私が今、申した情熱持続の話であって本当の≪愛≫を創造する本ではないことがこれでおわかりと思います。つまり、われわれが漠然と純愛と考えていたものも、姦通心理がそのもっとも強烈な表現である情熱しかとりあげていないのであります。
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