ここ最近(二〇〇一年六月三十日現在)、いろんなトラブルが立て続けに起こって、ガクーンと落ち込んでいる女王様である。が、なんといっても目下の最重要課題は、七月十日引き落とし予定のアメックスの支払い(百四十万円也)をいかにして払うか、だ。
そうなのだ、諸君。『週刊文春』誌上に「買い物の止まらないバカ女王様」としてデビューして、はや三年。私は相変わらず、収入と支出の帳尻が全然合わない暮らしを送っている。この本の印税も、もはや前借りしてしまった。新しく出版予定の本も、今のところ確定していない。となると、こんな私に金を貸す出版社があるはずもなく(現に一昨日、MW社からキッパリと断られました)、しかしそれでもアメックスの支払期日は厳然と粛々と目の前に近づいてくるワケで、どーすりゃいいのさ、思案橋。まったく、四面楚歌の女王様なのである。
それにしても、なんと懲りない女であろうか。懲りないからこそ「病気」なのだが、こーなると、病気というより脳ミソの構造自体に問題があるのでは、と、疑わざるを得ない。小泉純一郎に頼んで、私の脳ミソの構造改革して欲しいくらいだわっ! いや、マジに。
で、このような逼迫した状況下、この「文庫版あとがき」をしたためているワケなのだが、たった今、「文庫版あとがき」と書こうとしてキーボードを叩いていたら、ミスタッチして「文庫版あがき」と書いてしまい、笑うに笑えない女王様なのであった。ああ、そーなのよぉ〜! 私の人生、いつもいつも悪あがきなのよぉっ!!!
「分け入っても 分け入っても 青い山」(by山頭火)
諸君、今の私の心境は、こんな感じである。いや、山頭火がどんな心境でこの句を詠んだのかは知らんが、私の場合、どこまで踏み込んでも我欲と煩悩はわさわさと丈高く覆い繁り、その密度の濃い草いきれに窒息寸前とゆーか、もはや帰り道もわからぬほど深く踏み入って迷路状態とゆーか、要するに、「誰か助けてぇ〜っ!」なのであるよ。
思うに私は、死の覚悟もないまま、物見遊山で青木ヶ原の樹海に踏み入ってしまったバカ女だった……いや、ちょっと違うな。現実の青木ヶ原には入り口に「ここに入っちゃいかんよ」的な警告の立て看板があるそうだが、私の樹海の入り口には、そんなモノはなかったよ。私の樹海の入り口には、シャネルやエルメスのきらきらしい立て看板が並んでおり、その樹海の遥か果てにはシンデレラ城とおぼしき宮殿の楼閣が、たなびく霞に包まれながら朧《おぼろ》に浮かんでいたのである。
それは、私にとって、「成功」という名の宮殿であった。野望の道を突き進み、途中でシャネルだエルメスだといった武器や防具を手に入れつつ、最後にあの華やかな宮殿にたどり着く……そんなストーリーを勝手に思い描いて意気揚々と踏み込んでみれば、この始末。「分け入っても 分け入っても 青い山」(by山頭火)なのであった。女王様、ハラホロヒレハレと腰砕け〜。仰ぎ見れば、もはや宮殿の姿など跡形もないし……ちょっとぉ〜、あれって蜃気楼だったの——っ!? 何よ、詐欺じゃないのよ、金返せっ! いや、お金はもう返していらんから、とにかく私をここから連れ出してぇっ!!!
と、まぁ、こんな次第なのでありますわい。
中村うさぎが「見栄と野望と自己顕示欲」の三種の神器を手放さぬ限り、この樹海から無事に生還する手立てはない。それはわかっちゃいるのだが、しかし、民よ。この中村から「見栄と野望と自己顕示欲」を取ったら、いったい何が残るとゆーの?
己の愚行を書き綴るという作業が、アリアドネーの糸のごとく、いつか私を迷宮から導き出してくれるのかと、本気で期待していた日もあった。だって、精神科医の先生も、そうおっしゃってたんだもん! が、今となっては、それもまたお伽話であったと、弱々しく苦笑するばかりである。人間の心の樹海は、生半可な迷宮ではなかったのだ。
それでも、中村うさぎは今日も進むわ! 徐州徐州と人馬は進む、女王様もまた進む。その行き着く果てに何があるのか、シンデレラ城か、はたまた地獄の伏魔殿か……どうか、笑って見守ってやってください。