両親を亡くした少女は、人間嫌いの風変わりな叔父のお城に身を寄せる。陰鬱な光と影に支配された迷宮の城、夜毎聴こえくる亡霊の声。やがて少女は迷宮の奥に幽閉された車椅子の少年当主に出逢う。少年のユートピアへの鍵を握る少女は、召使いの弟と病気の少年を操りながら、残忍なコケットとして調教の快楽を覚えはじめるのだった──。
中世趣味、ゴシック、少年愛、ロリータ、オブジェ嗜好……、澁澤龍彦好みの高貴なエロチシズムが全編を貫くその映画は、アニエスカ・ホーランド監督による『秘密の花園』。愛と感動のクラシカル・ファンタジーと謳われたロードショー・ムービーです。謳い文句は大嘘で、よしなしごとにかまけて映画館に切符を買って入るなんて殆どしなくなってしまった僕が久し振りに、「この映画は絶対観て下さいね」と半ば脅迫まがいに勧められて足を運んだ今年(九三年)最大の収穫、十九世紀的眼の保養程度のつもりだったのですが、成人指定にしなくてもいいのかと懸念する程の見事なデカダンス作品でありました。一応、物語は病弱な少年が少女と花園に触れ、心身共に健康になっていくという原作の体裁はとっているのですが、あくまでそれはアリバイ。無垢なるドミナとその前にひざまずく二人の少年達の遊戯は、バタイユの『眼球譚』を想わずにはおれませんし、随所に鏤《ちりば》められた象徴的オブジェ(花園、鍵、写真機、マスク……)は、フロイト的フェティシズムを満足させるに充分なものです。こんなことをいってると、「そんな穿《うが》った見方をして」と叱られるのかもしれません。ですが、最後の感動的なシーンを想い起こしてみて下さい。少年は今まで自分を避けていた父親にその健康になった姿をみせ、親子は抱擁をかわす。瞬間、少女は急に泣きながらその場を走り去る。一人ぼっちで野原に座り込む少女の前に、一頭の白馬が現れて──。どうです。このシーンはやはりフロイト的に解読するしか仕方ないでしょう。「ドミナとして少年の上に君臨した少女は、自らの罠が少年のエディプス・コンプレックスを克服させたことに気づき、愕然となる。もはや少年が初期性愛の対象から自立してしまったことで孤独に陥った少女の前に現れるのは、男性器官の象徴である馬。白馬であるのは少女的観念の男性器官か?」。
澁澤龍彦、バタイユ、金子國義、ベルメール、バルチュス、クロソフスキーなんぞがお好きな『夜想』派乙女には強力ご推薦。下手な前衛映画を観るくらいなら、こちらのほうが数倍お得です。ビデオなら箪笥《たんす》の中で卵でも食べながら、じっくりご鑑賞下さいませ。