「化粧なんてするなよ。素顔の君が一番可愛いよ」なんていう男のコを信用してはいけません。そんな男のコは、軟弱な少年漫画に出てくる、優しくって、素直で、純朴で、おしとやかで、明るいけど実は淋しがりやさんな、とんでもない恋人像を貴方に期待しているのです。そのくせ、いざおつきあいを始めると、急に態度が横柄でだらしなくなり、「飾らない俺を愛してくれよ」なんてたわけたことを云い、デートの最中に平気でハナクソをほじったりするのです。
お化粧は乙女にとって重要なテーマです。明確な意志をもちノー・メイクを貫くもよし、バッチリと厚塗りするもよし。しかしそのことに関して男のコにとやかくいわれる筋合いはありません。何故なら、お化粧とは男のコの為にするものではないからです。勿論、世の中にはそのようなお化粧の理由も存在します。が、乙女のお化粧とはさにあらず、それはナルシスティックな自分自身の愉しみ、女性であることを手玉にとった美の遊戯に他ならないのです。「ナチュラルな、ありのままの私が一番」なんていう人達もいますが、なんと横暴な心持ちなことでしょう! ありのままの自分に自信が持てるだなんて、よっぽど完璧な御方か、さもなくば怠惰なおバカさんに決まっています。乙女は基本的に女優意識を持っていなければなりません。自分の理想とする容姿や性格、機能に憧れ、それになろうと模倣する女優的精神、これこそが正しき乙女の前向きさというものです。服を選ぶのも、髪形を変えるのも、お化粧をするのも、全てはプラトン的な向上心の顕れ。三面鏡の前に座り、「今日はハリウッド風、もしくは原節子のように清楚なイメージで」と顔面をいじくることの悦びは、武道にも通じる耽美主義の求道的実践なのです。剣の道が人を倒すことにあらず自分に討ち勝つことにあるのなら、お化粧も然り。人に綺麗といわれることは二次的な問題、いかに自分が自分の美に近づけるかということに誠の道があるのです。
かつて妻の鑑《かがみ》たるものは、就寝の際にも薄く寝化粧を施し、夫に一生涯素顔を見せることがなかったといいます。何たる不自然、これぞ女優の鑑だとは思いませんか。お化粧によって妻たるオブジェを一生演じきる演技者の生活は、真似をするには疲れてしまうので少し嫌ですが、その心意気は見習ってみたいものです。女優的生活は、「気負ってる」「わざとらしい」などと悪口をいわれるかもしれません。だけど全然平気です。だって、わざとらしさは知性の証し。自然体なんて牛や馬でも出来ますもの。水晶に憧れ、JUMEAU の少女人形に憧れ、スカーレット、ロリータに憧れる乙女な心。いつも心にお化粧を。気取りこそが我が人生です。