此頃は探偵小説がやけに愉しく、江戸川乱歩や横溝正史を本棚から引っ張り出しては耽読する毎日です。渦巻く情念、逆巻く怨念、大袈裟な猟奇の心は実に素敵なものです。
先日、お手紙を頂きました。「私はA君のことが好きです。なのにA君はB子ちゃんのことが好きです。私はB子ちゃんとは大の仲良しなのですが、そのような事情なのでつい、彼女に意地悪なことを云ってしまったりします。こんな私は乙女失格でしょうか」──否々、失格でなぞあるものですか。確かに嫉妬というものはこの世で最も醜悪な感情の一つです。しかし、好きな男のコの心が他の人に動いているのに、嫉妬しないでいられましょうか。大いに嫉妬すべきです。そして、B子ちゃんの上靴にそっと画鋲を入れたり、お家にお寿司の特上にぎりの出前を勝手に二十人前注文したりしてあげなくてはなりません。嫉妬する自分を卑下してはなりません。やるからには常軌を逸し、とことんまで突き進むことです。どんな醜い感情だって、極めれば芸術にまで昇華するものです。猜疑を知らぬ無垢な心など頭の悪い動物と同じ、ウェットな感情こそは女性らしさのあらわれであり、前向きな嫉妬こそが貴方をよりいっそう美しくするのです。
乱歩の『地獄の道化師』は、恋の嫉妬に狂った姉が凄まじい執念により、自分の顔を劇薬で焼いてまで妹に復讐する物語です。嗚呼、何と切なきパッションでしょう! 僕はこの姉に無限のシンパシーと、激しき愛しさを感じずにはおれません。嫉妬に燃える暗い瞳の奥底の炎、闇の引力に加速する生理的情動は、もはや気高く、神聖でさえあります。乙女は常人以上に美しいものを美しいと感知する能力にたけています。さすれば、その反対に憎いものをより一層憎いと感じることも当然の理ではないでしょうか。思い起こしてみれば、昔の少女漫画の敵《かたき》役は皆、ことごとく意地悪でした。しかし、嫉妬に駆られて奸計をはたらくそれらアンチ・ヒロイン達のフラギリテートは、主人公の公明正大な輝きよりも、硝子の破片の持つ存在のあわれとして耽美であり、胸をしめつけるのです。断言致しましょう。嫉妬する乙女はなにものにもかえがたく美しい存在であることを。大いにねたみ、そねみ、ひがみ、それを動力として世界を変革するのです。負けちゃいけません。