それは今世紀で一番、素晴らしい一日だったのかもしれません。遅蒔きながら恥ずかしながら、先日僕は初めて東京ディズニーランドに足を踏み入れたのでした。僕にとってそれは余りにも巨大な妄想となっていたものですから、実際、そびえたつシンデレラ城を拝んだ時には、何だか物足りなさを感じてしまったことは事実です。しかし、広い園内を足を棒にして歩き回るうち、次第に僕の細胞はこのはりぼて帝国のエッセンスを吸収し、眼の前にかぶりもののハンプティ・ダンプティや、映画さながらのメアリー・ポピンズが現れた頃には、すっかり我を忘れて駆け出していたのです。
冬の夕暮れは早く、五時になれば辺りはすっかりイルミネイションの都に様変わりいたします。建物という建物、樹木という樹木は小さな幾千の電球で彩られ、いつかいた筈の架空の国を想い起こさせます。そう、僕達はきっと、この国で生まれたのです。資本主義的なグロテスクの虚構と非難する人もいます。しかし、それが美しさにとって何の意味をもつでしょう。僕は呆然と立ち尽くしながら、乱歩の『パノラマ島奇談』を想い出していました。人工美の極致、精神のユートピア、それは人類が創造しえる至福の風景でした。勿論、銀河系の壮大な美しさには及ばぬものなのかもしれません。が、僕は鳥の美しさより飛行機の美しさを愛します。人体の美より人形の美に心揺らぎます。そしてその想いこそが、真のヒューマニズムだと信じているのです。
時計は九時を回り、エレクトリカル・パレードが始まります。大勢の人々に混じり道の傍にしゃがみ込み、息を殺してパレードを待ちます。耳慣れた電子音楽が場内に鳴り渡り、闇の彼方から突如、福音を告げる救世主の舟のように眩い光に包まれた隊列が現れました。かぼちゃの馬車、巨大な玩具の兵隊、ダンボ、海賊船……。死んでもいいと思いました。音楽が止み、パレードは終わりを告げます。パレードの最後尾にはその名残を惜しむ人達がハーメルンの笛吹きさながらについていきます。いてもたってもいられなくなり、僕もその後を追いかけました。僕は泣いていました。男のコが泣いちゃいけません。しかし悲しさでもなく嬉しさでもなく、只、純粋な美の衝動に涙を流すことは、恥ずかしいことではないといいきかせながら。