もし憲法で「何人とも必ず何らかの宗教を選択しなければならない」と規定されたなら、僕は迷わずキリスト教を選びます。カトリックでもプロテスタントでもオーソドックスでも、統一教会(やっぱり、これはちょっと嫌か)でも構いません。新約よりは旧約、つまりはイスラム教の教理にシンパシーを感じる神秘主義的な僕ではありますが、とにもかくにも僕はファッションとしてキリスト教が大好きっ。MY宗教を持つならキリスト教に限ります。
自分のお葬式のことを考えます。今、このまま死んでしまえば、きっと僕のお葬式は通例通り、仏教で仕切られるでしょう。それはとても困ります。終わりよければ全てよし。ならば、乙女のハードボイルドにこの身を捧げし僕が、南無阿弥陀仏で葬られて成仏出来る筈がないのです。ハゲ頭の坊主が木魚を叩き、御影石のお墓に入れられるなんてゾッといたします。お葬式くらい自分の趣味を反映してもよろしいでしょ。教会でキリスト教式に、モーツァルトの『レクイエム』をBGMに、お墓は十字架にして下さいませ。棺桶に菊の花なんて入れないで下さいね。白い百合かかすみ草、でなければ化けて出ますよ、本当に。
先日、自分が死んだ時のことを真摯に想い、洗礼を受けておけばちゃんとキリスト教式でお葬式をやって貰えるだろうと、初めて教会の日曜礼拝にまいりました。憧れの礼拝に参加しとても愉しかったのですが、いかんせん、真面目な信者の集う処。初めて礼拝に参加する僕を、皆がとても暖かく歓迎してくれ、その暖かさにいたたまれず、僕は逃げるように教会を後にいたしました。これでは洗礼を受けるまでには至りますまい。洗礼を受ければ、毎週朝の日曜礼拝に出席しなければならないし(起きられない)、バザーにも参加しなくてはならないでしょうから。
でも、お願いです。僕が死んだなら、キリスト教式のお葬式と墓標にして下さい。それだけが決して譲れぬ僕の遺言です。クリスチャンネームなぞペトロでもユダでも何でも構いはしません。僕は真面目なクリスチャンにはなれませんでしたが、ちゃんと賛美歌も歌えますし、聖書だって読んでおります。その証拠に、僕の一等好きな新約聖書の一節をここに書き写しておきましょう。お手間でなければ、墓標に刻んで下さっても結構です。「朝早く都に帰る時、イエスは空腹を覚えられた。そして道の傍らに一本の無花果《いちじく》の木があるのを見てそこに行かれたが、ただ葉の他は何も見当らなかった。そこでその木に向かって、今から何時までもお前には実がならないようにと云われた。すると無花果はたちまち枯れた」(マタイによる福音書)
あ、そうそう、お葬式に際してはこれを使って欲しいという写真があったんだ。まぁ、それはまた今度、ちゃんと説明いたします。