先日、「石ふしぎ発見展」に行ってまいりました。これは内外からのミネラル・ディーラーが一堂に会する博覧市で、水晶ブームも一段落した今、会場を埋め尽くすのはアンモナイトのループタイをした老齢の熱心なマニアばかし。新参者の僕はこそこそと、それでも嬉しさに胸を震わせながら、各ブースを見てまわります。藍銅鉱《らんこうどう》の嘘のようなブルー、蛍石《ほたるいし》のはかなき発光、玉髄《ぎよくずい》のめくるめくミクロ・コスモス、隕鉄の不可思議な重量。僕達はいつも鉱物に憧れていました。鉱物は僕達に、美しさとは孤独であることを教えてくれたのです。言葉もなく音楽もなく、悦びも悲しみも寄せつけぬ純粋な質量としての唯美。人が宝石の為に命さえも犠牲にするのは、しごく当然のことです。何故なら鉱物の無機的な美しさは、人生の有機的な美よりも遥かに尊いものなのですから。
琥珀を専門に扱うアメリカ人のブースがありました。深きオレンジ色をした松ヤニの化石である琥珀よ。そなたは何故にこんなにも僕の心をざわめかすのか! 琥珀の中に封じ込められた昆虫。備えつけのルーペで覗き込めば、古代の魔法に虜とされたその姿が、ホルマリン漬けの残酷な衛生博覧会出展作品のように眼に焼きつきます。琥珀はその神話的形状に反して、手にのせると悲しいくらいに軽いものです。何千万年の牢獄がこれ程にこころもとないものであるとは……。星は終焉を迎える時に収縮し、最大の重量を持つといいます。それなのにこの樹脂の化石は天使のように軽い。化石と鉱石の間を揺れ動くような琥珀。きっとその薄い膜の下にはエーテルが詰まっているのでしょう。
草の欠片の入った琥珀のピアスがありました。ピアスの穴をあけてもいないのに、ピアスを買っていいものかと迷いましたが、これを機会にあけることにして購入いたしました。真っ青な眼をしたアメリカ人の店主が商品を包みながら、「これをつければ三千万年前の音が聴こえるのです」と流暢な日本語で云います。「本当ですか」と訊ねると「ええ、もし貴方がその時代をご覧になりたいのなら、琥珀のコンタクトレンズもご用意致しますよ」と真摯な眼差しで答えました。琥珀のコンタクトレンズは過去の光を抽出するのでしょうか。次の博覧市にまた彼が出ていたら、買ってみましょう。