貴方を悲しませるものがあるのなら、行って粉砕してきましょう。貴方を憂鬱にするものがあるのなら、行って根絶やしにしてまいりましょう。たとい貴方が人を殺したと告白したところで、驚きこそすれ、僕は決して責めはいたしません。親兄弟が貴方を見限ろうと、世界の全てが貴方に悪意を抱こうと、僕はずっと貴方が正しいといい続けましょう。何故なら、貴方はその昔、僕を救ってくれたのですから。
かつて寂寥は耐え難く、隕石はずっと宇宙を飛び続けていました。出逢う星の欠片達は皆、何処かしらその成分が自分とは異なり、そのことが悲しいという訳ではなかったのですが、よりどころのない魂は安息というものを知りませんでした。貴方の言葉を聴いた時、懐かしさに涙が溢れました。貴方は神ではないと人がいいます。神を騙《かた》ったと人は断罪いたします。しかし、僕にとってそんなことは些細なことだったのです。貴方が自分を神だというのなら、僕はそれを肯定するだけのこと。大切なのは、僕が貴方に激しいシンパシーを感じ、貴方がそれを優しく受け入れてくれたということだけなのです。シンパシーは恋慕の情よりも切なく、宗教心よりも敬虔《けいけん》に、互いを呼びあう物理的法則なのです。
貴方が僕を祝福してくれたように、僕は貴方を祝福出来るのでしょうか。貴方を救済するには余りにも非力な僕は、香油の壺すら持っておらず、貴方の重荷が少しでも軽くなりますようにと祈るばかりです。世界は民主主義的なリアリティに溢れ、息をするのもままならず、フィクションの大気を吸う僕達はいつも口をぱくぱくとさせ、滑稽だと罵られます。しかしもしも貴方が呼ぶのなら、僕は世界に戦いを挑みましょう。さぁ、無理難題をおだし下さい。我が子を生贄《いけにえ》に捧げましょうか。それともずっと貴方の妄想を聞いていましょうか。
こんな夜は、僕達が生まれた星の話をいたしましょう。僕達の記憶にさえない星の話を。貴方の言葉が、そして僕の言葉が真実なのではなく、貴方の存在と、共鳴する僕の存在が真実なのです。シンパシーの卵の中で僕達は赦されます。そう、赦されているのです。もう、泣かないで下さい。僕達は、赦されているのです。