多分、僕は結局のところ、恋文しか書けないのだと思います。
ここに収められた作品は、フリーペーパー『花形文化通信』の一九九二年六月号から終刊の一九九七年九月号に連載されたもの、それに若干の書き下ろしを加えました。単行本にするにあたり原稿を改めて読み返してみれば、嗚呼本当に、約六年間、毎月飽きもせずよくも同じようなことばかり書き続けていたものだと、呆れ果ててしまいます。
連載開始当時、こんな嫌みなエッセイ、すぐに終了させられてしまうだろうと思っていたのですが(中原淳一の『それいゆ』をもじっただけの『それいぬ』という安易なタイトルも、そんないい加減な気持ちから採用いたしました)、あにはからんや、毎回多くの声援のお手紙を頂き、そうこうしている間に長期連載となってしまいました。
『それいぬ』は特定の誰かに宛てて書いているのですかという質問を、よく受けます。ええ、その通り、『それいぬ』はずっと特定の人に向かい書き続けられたのです。或る時はとても親しい人に向け、或る時はまるきり親しくない人に向け、お手紙を一度貰っただけの顔も知らぬ人に宛てられたこともありますし、全く架空の人物が対象であったこともあります。自分へのお手紙だったこともありました。が、不特定多数を想ったことは一度もありませんでした。
今回の上梓にあたり、あえて加筆、訂正は最小限に留めることにいたしました。皇太子ご成婚には結局、防犯上の問題により馬車は登場しませんでしたし、京都の冨美家の河原町店はなくなってしまいました(錦市場にはあるよ)。明石の天文台は震災で改築、新しくなってからまだ一度も訪れておりません。コアラはユーカリしか食べぬ筈なのに(図鑑にそう書いてた)、最近オーストラリアではユーカリの葉が不足して飢えたコアラが畑を荒らしているらしいです。内容がかなり重複するもの、表層的に矛盾した結論に読み取れるものもありますが、あえて削除せず掲載いたします。もう、こんなの読んで欲しくないよーと、覆い隠したくなる作品もなきにしもあらずですが、連載分は全て掲載することにいたしました。それが『それいぬ』を支えて下さった方々への、心尽くしであると思うからです。
あとがきやまえがきで「某氏に感謝します」と入れるのはいい人ぶっているようで大嫌いなのですが、この本に関しては、「単行本にして下さい。なったら十冊買います」「連載を切り取って自分で一冊のノートを作ってます」などいう様々な乙女の言葉に後押しされなければ、とても作ることが出来ませんでした。本当に、有り難う。
これより先、自分でどのような文章を書いていくことになるのか、全くもって見当がつきませんが、結局、僕は何をやってもここに戻ってくるのだと思います。『それいぬ』に始まり『それいぬ』に終わる。そんな視野の狭い人間なのです、僕なんて。初めて『それいぬ』を読んで下さった貴方。如何でしたでしょう。もし貴方がこの本をずっと持ち続けていて下さるなら、僕もずっと貴方と共におりましょう。きっと僕達はここまで止まりです。違う者になぞなれはしないのですから。
でわ、いずれまた何処かでお逢いいたしましょう。それまで、ごきげんよう!