もう三、四年前にデビ夫人と対談したことがあった。
雑誌社が設けてくれた料亭に行くと、デビ夫人はまだ来ておられず、二十分ほど待たされた後に、彼女が愛嬌よい顔を皆にむけながら姿を見せた。
当時、この夫人にたいするジャーナリズムの気持は必ずしもいいものではなかった。私自身といえば、彼女とは始めての会見だし、迷惑も受けた憶えはないから、好悪の気持は全くなく、むしろ彼女にたいする好奇心のほうが強かったと言える。
しばらく話しているうちに、彼女が非常に魅力のある女性であることはわかったが、その話のどこまでが本当か嘘か、区別がつかなくなってきた。
「スカルノ大統領は夜、お休みになる時」
彼女はスカルノ大統領のことはこんな敬語を使って言う。
「片眼をあけてお眠りになるんです」
「へえ。片眼をあけて? 一体、どうしてです」
「私もふしぎに思って、何故ですの、とおたずねしたら、自分は夜もインドネシアのことを考えずにはいられない。だから肉体は眠るが心はさめている。それで片眼だけはつぶり、もう一つの眼は開いているのだ、とこうおっしゃいました」
ユーモアなのか、本気なのか、判断つきかねたので、
「本当ですか?」
と思わず、たずねた。すると彼女は一寸、気色ばんで、
「わたくし、坊主の髪と嘘とはゆったことがございませんわ」
そこで私は坐りなおして、
「それじゃ、あなたが嘘つきかどうか、テストさせて下さい」
「ええ、どうぞ」
「あなたは……お風呂のなかでオナラをされたことがありますか」
この時の彼女の表情は今もって忘れがたい。一瞬、沈黙し、うつむき、而して何かを決意したごとく顔をあげ、
「はい。いたしたこと、ございます」
蚊のなくような声で答えた。
私はこの返事とこの表情で彼女が一寸、好きになった。特にいたしたこと、ございますという言い方はユーモアがあり、なかなかいいと思った。
対談のあと、彼女をバーに誘った。
バーに行くと、デビ夫人は威厳をとり戻され、ブランデーを前において、控え目に私たちとホステスの話を聞いていた。
「デビ夫人」
と私は彼女にたのんだ。
「あなたもお子さんをお持ちの身。親の心はおわかりになると思います」
「まア、何ですの」
「実は小学校に行っている私のセガレが成績もわるいのです。親として困っています。それで……あなたのお膝は英雄スカルノのなでられたお膝……その光栄あるお膝を私に一度、さわらせて頂けないでしょうか。私はその手で今夜セガレの頭をなでてやりたいのです」
彼女はこの時も悪びれなかった。マジメな表情で、
「どうぞ」
そう言って自分の膝をさし出し、一度だけだが私になでさせてくれた。
それ以後、私は彼女のことが週刊誌で悪く書かれると、何かベンカイしてやりたい気になっている。そんなに悪い人ではないがね。