酒癖と言えば式亭三馬に『例之酒癖一盃綺言』という作があって、そのなかに酒癖のさまざまな生態を活写しているのだが、その項目は次の通りである。
一、わる口を吐いて嬉しがらす酒癖
二、酔いたる上にて愚痴ばかりいう酒癖
三、盃のとりやりのむつかしき酒癖
四、段々、気のつよくなる酒癖
五、おなじ事をくどくどいう酒癖
六、つれにこまらする酒癖
七、ひとりおもしろくなる酒癖
八、無益のことを争う酒癖
この八つの項目をじっと眺めていると、いずれも知人たちの一人一人に当てはまるようであり、飲屋の雰囲気、魚をやく臭い、人々のざわめき、一つ一つが甦るようで飽きることがない。
第一のわる口を吐いて嬉しがらす酒癖はよく飲屋で見かけるものである。
「課長。ぼくらは閉口しているんですよ」
「なにがだ」
「課長は強情だからね、こうと言ったら、絶対に押し通すからね。ぼくら、たまりませんや」
「強情は俺の性分だ、治そうたって治せない」
「わかってますよ。しかしよくまア、そんなに強情を上役にまで押し通せますね。我々、気弱な部下はあの一匹狼、また頑張っていると閉口と尊敬のまじった気持で見ているんですぜ。少しは並の人間になって下さいよ」
一見、わる口を言っているようで相手を悦ばす会話は酒席でよく見うけられるものだ。
おなじことをクドクド言う酒癖もこれまたぶつかるものである。
「ヒッ。(シャックリの音)俺はな、今はこういう安サラリーマンだが、俺の祖先は平家の残党なんだぞ。ヒッ。それをあの営業の山村の奴、人を馬鹿にしやがって、課長も課長だ。課長なぞいくら東大出かしらんが、俺の家はくにに行けば村会議員もやった家といって尊敬されているんだ。平家の残党の子孫なんだから。自民党代議士の甲田さんなんかとも親類づきあいしているんだ。ヒッ。それをあの山村と課長の奴、馬鹿にしやがって、世が世なら俺のほうが身分だって高いんだ。なにしろ平家の残党が祖先なんだから」
「わかったよ、わかったよ」
「わかるか。えらい。ヒッ。お前、陸軍少将にしてやる。ヒッ。自民党の甲田さんに言ってお前を陸軍少将にしてやる」
無益のことを争う酒というのも、これまた時々、ぶつかるものだ。
「勘定? 勘定は俺にもたせろ。ここは俺の縄張りだ。縄張りに来て、友人に奢られては俺の名誉にかかわる」
「すると、君、ぼくが金を持っていないと思っているのか」
「金の問題じゃない。俺がよく来ている店だから俺が払うというのだ。それが何が悪い」
「悪いさ。ぼくが払うと言ってここに来たのに、今更、払ってはいかんと言われれば、ぼくは死んだ父、母にあの世に行って申しわけがたたん」
「なにがあの世に行ってだ。犬だって自分の縄張りでよその犬がおシッコすれば怒るんだぞ。なあ、おばさん。ここは俺の縄張りの店だろう。この間も三人ぐらいで来た時、俺が奢ったろ。俺は人に奢られるのがイヤなんだ。俺はそういう性格の男だ。わかったか」
三馬が書いたように、要するに酒のみは憎めないということだ。酒癖のわるいのはその時は閉口だが、あとになってその当人の酔いがさめてからの悔恨を考えると、むしろ可笑しくなるのが普通である。