ビールを飲むとトイレに行く回数が多くなる。
ニューヨークの日本料理店で若い邦人画家とビールを飲んでいたら、その青年が、
「失礼」
三分か四分おきにトイレに行く。始めは何とも思っていなかったが、そのうち一寸、話しただけで、
「失礼」
トイレに駆けこんでしまう。向うも神経的に尿意を催すようになって、ちょうどシャックリと同様、おさえがきかなくなっているのだ。可笑しいやら、気の毒やらで五、六回目に彼が戻ってきた時、二人で笑いだしてしまった。
狐狸庵から東京の真中まで車で一時間半ちかくかかる。深夜など、飲んでタクシーをひろい、一時間半、車にゆられていると、トイレに行きたくなることが時折ある。
あれは、ちょうど産気づいた女性の陣痛とよく似ていて、痛みならぬ尿意が、次第に間隔をちぢめて波のように押しよせてくるものだ。
はじめは七、八分に一度ぐらい、その波はゆっくりとやってくる。
しばらくすると、これが三、四分に縮まってくる。一生懸命にこらえていると、やがて波は引き、やっと一息ついていると、ふたたび、遠くから押しよせてくる感じだ。
これが目的地ちかくなってくると、三十秒ごとにピッチをあげまさに波がしらがくだけるがごときだ。もうすぐ家だヨ、もうすぐ便所だヨと考えるともう抑制力もきかなくなってくるのである。
心のなかで、そういう時は唄を歌って、瞬時でも気をまぎらわしたほうがいい。
えっさ、えっさ、えさホイのサッサ
お猿のカゴ屋は
ほいサッサ
私の研究によると、この歌はかなり尿意と闘うのに効果がある。童謡にしてはテンポが早いからだろう。逆にのんびりとした曲はかえって波を助長させるようで、
命、みじかーし
こいせよ、おとめ
こういう唄で気をそらそうとしても絶対だめである。あまりにノンビリとしていて、気がまぎれないのである。
もう一つの方法は、これは宮本武蔵が発見した秘伝であるが、そういう時、膝関節の真中を人さし指でグッと押える。するとパッと烈しい尿意が消えるという。むかしの武士は城中でお殿さまがおられる時は、こうして恥をかかぬようにしたらしいのである。(しかし私の経験ではあまり役にたたない。むしろ太股をギュッとつねりあげたほうがいい)
車が交叉点などでとまり、赤信号がなかなか青信号に変らぬ時などは脂汗のにじむほどつらいであろう。そういう時はあたりかまわず叩いても必死にこらえねばならぬ。
そういう苦しい、苦しい過程を経て、ようやく家なり、公衆便所に到着し、そしてそこに駆けこみ、すべてが解放された時ほどシアワセでウレシクッて——生きていることの悦び、五月の春風そよそよと、ひろきを己が心ともがなという心境になる時はない。
我々は男だからお産の経験がないが、十ヵ月、重くるしいお腹をもった妊婦が安産した時の悦びにあれは似とるんじゃなかろうか。
今は夜中の三時すぎ
凸凹おやじが飛びおきて
便所と戸棚を間ちがえて
アーッという間に寝小便