私がここに狐狸庵を結んだ頃は、周りにあまり人家もなく、雑木林と畠とにかこまれた散歩道が至るところにあったから、春、散歩の杖を引く時、そちらこちらの畠のあぜ道で土筆《つくし》をかかえ切れぬほど取ってきたものである。
土筆のほかに一寸した流れには芹《せり》がいっぱいあった。土筆はそのはかまをとり醤油で煮、芹はよく洗ってドレッシングをかけると、これだけでその夕方の酒のさかなになった。
晴れた日にはわが狐狸庵からは丹沢、大山がはっきり見える。とりわけ大山は江戸時代の人々が大山詣でをするほど夕陽のうつくしい山で、一風呂すませたあと、藤棚の下でその茜色にそまった山々を眺めながら、チビリ、チビリとやる時は何とも言えぬ気持だった。
酒のみは酒のさかななどなくても、海苔の二、三枚でもあればそれでよいと言うし、よく夕暮、町の酒屋の前を通ると、手に塩を少しのせて、それでコップ酒を飲んでいる御仁を見かけることもあるが、私の場合は酒のさかなが幾つか並んでいなければ、どうも酒がうまくない。
芹のドレッシングをかけたものは日本酒にはむかないが、しかしよく冷したコップにオンザロックのウイスキーでこれを味わうと格別のうまさがある。私は日本の洋食屋で何がまずいといってもサラダのまずさにいつも舌打ちをするのだが、自分のつくった芹サラダだけはうまいと思う。
長崎に「虎寿司」という寿司屋があってその家の主人が毎年、自家製のカラスミのほかに正月の橙《だいだい》をかげ干しにしたものを細くきざみ砂糖と醤油でクチュクチュと煮たものを送ってくださる。そのカラスミを薄く切り、大蒜《にんにく》を少しはさんで、これを舌の先で転がすように味わいながら、チビリ、チビリとやると、こたえられぬ。橙のほうも、これをあつい飯において食べるもよし、酒のさかなによしである。
ママカリは岡山の名産だが駅で売っているのはうまくない。吉行淳之介に教えられて寄った岡山の「魚正」という寿司屋のママカリは天下一品で、時々、送ってもらうが、これも私の酒のさかなでは最もおいしかったものである。
しかし酒というのは瓶づめだと、どうしてもまずい。私は時折、東京に行くごとに、上野不忍池の「藪」で、そば味噌をさかなに菊正を飲むが、あそこの菊正は樽の匂いがしみこみ、えもいわれず、うまい。
きだみのるという作家がいる。むかしこのきださんが八王子山中の山寺に住んでおられた時、たずねて酒を御馳走になったことがある。
きださんは鉈で竹藪の竹を切り、そのなかに酒をいれて枯葉であたためられた。そしてそれを欠けた茶碗でのんだのであるが、竹の匂いがそこはかとなく酒にしみこんで、文字通り、舌にしみる感じだった。
仙台に行った時、「いろり」という店で、朴の大きな葉っぱに味噌をのせ、それを炭で焼きながら酒をのんだ。うまかった。
家に戻って同じことを試みようとしたらどうもうまくいかなかった。二度目に仙台に出かけた時、その店をたずねたが季節はずれで焼味噌はできなかった。
毎日、酒をのむ。そして夕暮になると酒をのみながら、人生は面白くないと一人で仏頂面をしている。酒をのみ終ってから一人で食事をする。食事をしてから一人で自分の部屋に戻り、何もかも面白くないと仏頂面をする。