高橋さんがある夕方たずねてこられ、
「こんにちは」
そう言って手にぶらさげた大きな風呂敷包みを床におき、
「おもしろい鳥を持ってきましたよ」
と言った。
こういう時の高橋さんは実に嬉しそうな顔をする。
「何の鳥ですか」
「まア、そこにある、ここにあるという鳥じゃありませんね」
そう呟きながら包みをとくと金網のなかに黒い鳥の色がチラリと見えた。
(カラスかな)
と私は思った。前から悪戯好きのカラスが一羽ほしかった。三、四年前、近所の雑貨屋の息子さんが林のなかからカラスの雛《ひな》を見つけてきて飼っていたことがある。カラスという奴は非常に利口で、光るものをくわえてかくす癖があると彼から聞いたからである。
「カラスですか」
「ちがいますよ」
風呂敷をとりあげた時、私はびっくりした。カラスより少し大きい黒い鳥だが、くちばしがペリカンのように大きい。そして首が洋傘のように細長い。道化師のように物悲しげな憐れな顔をした鳥だ。
「ひやア」
と私は叫んだ。
「奇妙な鳥ですなア」
「奇妙でしょう。これは犀《さい》鳥と言って、アフリカの鳥です。日本の船員が手に入れて持ってかえったのを、バーのマダムが飼って、それから私の手に入って……ごらんなさい」
そう説明しながら高橋さんが洋傘のように長い首をなぜると、その首がうしろに弓のようにまがって、まがった儘じっとしている。
あちこち、羽がぬけている。尾羽うち枯らしたという言葉があるが、傘張浪人のように文字通り尾羽うち枯らした鳥だ。それに顔が滑稽なのだが、どことなく憐れな表情をしている。
「なんだか、みじめな鳥ですなア」
「ええ。今も話した通り、アフリカからつれてこられ、あっちの家、こっちの家を転々としていますからねえ」
私はアフリカの密林やくりぬいたような青空や原始色の花のなかで遊んでいたこの鳥が、日本まで連れてこられ、何処でももて余されてこうなった次第を高橋さんから聞かされた。
「何をたべますか」
「何でもたべます。タクアンでも林檎でも。しかも遠くから放ってやるとパクッと受けます」
試みに林檎を細かく切って五メートル先から放ると、高橋さんの言う通り、長い首を左右にのばしてパクッと嘴でキャッチする。まことにふしぎな鳥だ。
高橋さんはその鳥を私の書斎においていった。ストーブのそばで首をまげて気持よさそうに眠っていたが、しばらくすると妙な声をあげ、私のそばに歩いてきた。
私が夜ふけまで机に向って、仕事をする気もなく、読書をする気もなく、ただ漫然と人の世の面白くなさを仏頂面をしながら舌打ちしていると、この奇妙な鳥は道化師のような顔でそんな私をじっと見つめている。
素寒貧のようなこの鳥と向きあったまま、身動きもしないでいると、外が妙にシインと静まりかえってきた。
雪がふりだしたらしい。