長い間、仕事を手伝っていてくれた人がやめて、今度、大学を出たばかりのお嬢さんがきてくれることになった。三度の飯より車が好きだそうで、しかもスピード狂らしく、一緒に自動車に乗ると、こちらの心胆を寒からしめるような速度を出す。
のみならず、東名道路を走っている時、うしろから追越してきたり、こちらの運転を邪魔する車があると、車中で怒鳴るのである。
花はずかしき乙女が隣席で一人で憤激したり、追越しの車を罵ったりしているのを見ると、私は不安をおぼえ、すべての娘には赤軍派の女性幹部のNと同じ素質があるのではないかと考えたり、このお嬢さんがやがてお嫁にいったら、旦那を同じように怒鳴るのではないかなどと心配になってくる。
このお嬢さんだけではなく、実際、車にのると女はガラリと性格が変る。家内はもともと猛婦というべき女性だったが十年前、車の運転をおぼえてから猛婦、変じて蛮女になってしまった。
「バケヤロー」
とか、
「この野郎。危ないじゃないか」
とか、一本道ですれちがう砂利トラックに怒鳴るのであるから、私は隅で小さくなり、この女と私とは偶然、同乗しただけであり、まして全く縁もゆかりもないのでありますという顔をしたものである。
私も実は免許証は持っている。免許をとったのは、何としても女に運転してもらって、うしろにチョコンと乗っているのはサマにならないからだった。
教習所は二ヵ所、行った。
はじめての目黒の教習所では、ノロノロと前進していると、
「もっと勇気を出したらどうですか。人生には勇気が必要です」
と二十歳ぐらいの教習員が言うので、
「ぼくは君に人生について習いに来たのではない」
そう言いかえして、やめてしまった。
その後、しばらく習うのを諦めていたら、近所の畠をつぶして教習所ができた。
ここの教習員はやさしい人が多かったが、それでも、なかには、
「ああ、あ」
わざと窓に肱をつき、大きな欠伸をしてみせながら、
「春だというのに、ヘタクソに教えるのはかなわんなア」
などと嫌味を言う男もいた。
心のなかでは煮えくりかえるような気持だが、この時はぐっと怺えたものである。
始めて路上運転にでた時、この教習員は、
「なんだ。その運転は」
と言い、途中で車をとめさせて、
「今から模範運転をしてやるから、よく見なさい」
と言い、自分が運転席に坐り、私を彼の坐っていた助手席にうつした。
ところがである。
ものの百メートルも行かぬうちに、突然、警官があらわれ、われらの車を停車させて、私の先生である教習員を連れていってしまった。私もびっくりして、あとに従っていくと、なんと彼が机に腰かけた四、五人の警官の前でうなだれている。スピード違反をやったのである。
私は気の毒やら、可笑しいやらで車に戻った。
やがて引きかえしてきた彼は黙って車を運転し、私も黙っていた。時々、彼はチッ、チッと舌打ちをしていた。