この三年、春になると野暮用が出来て外国に行く。日本の桜が咲きかけたころに出かけて、桜が散ったころに日本に戻る。今年もローマからイスラエルに出かけ、戻ってみると、桜は半ば以上、散り、葉桜になっていた。
私は前からドンチャン騒ぎの花見に憬れていた。長屋の花見という落語に出てくるように仮装してくりだし、飲めや、歌えやの大騒ぎをするような花見をやりたいものだと考えていた。
そこで四年前の春、若い友人たちに、
「どうだ。花見に行かないかな。面白い趣向で遊ぼうじゃないか」
と言うと、
「やりましょう」
と応じてきた。
「しかし、ただ、花見をするのでは面白くないぞ。できるだけ、ゲヒンにやろう。ゲヒンに」
私は前に「下品会」というのを作ろうかなどと考えたことがある。たとえば年とった時、私は和服の上にラッコの皮のついた二重まわしを着て、酒場などに行き、
「チップをやるべい」
などと言って大きなガマ口から一円玉を出してテーブルにパチンと音をたてておいたり、飲屋に行って、飲みほした徳利の口を掌にあてて、その滴を舐め、皆のヒンシュクを買うようなことをする。また、この『夕刊フジ』の美人記者のYさんにたのんで彼女はメイセンの着物を着て、色足袋に下駄をひっかけ、髪にたくさん金属のカーラーをつけたままで、袖口に手を入れ、私と一緒につれだって歩くようなことをすれば、どんなに面白かんべいと考えるのであった。
そういうゲヒンな形で花見をしたいと後輩に言うと、彼等は大悦びで、
「やりましょ、やりましょ」
と叫んだ。
当日の夕暮、私はズボンに黒足袋をはいて草履をひっかけ、半天をひっかけて千束の池で皆とおちあった。皆も思い思い、妙な姿でやってきた。
花はまだ七分咲きで、風が少しあったし、日が暮れていないので、池のほとりには客がまばらである。
ムシロをしいて、酒瓶をころがし、食べものを並べて、皆でできるだけ品のない大声で、
月が出た 出たア
月が出たア
と手をうって、歌いはじめた。
通りがかる人たちは笑いながら見るか、若い娘たちは、イヤねえという顔をして避けて通る。
このイヤねえという顔を若い娘にされると、私は嬉しくって嬉しくってたまらないが、若い友人たちはまだ修養が足りないせいか、一瞬、ひるみ、恥ずかしそうになる。それをシッタして、
月が出た 出たア
月が出たア
しかし、一時間ほどすると、まわりには同じような花見客がムシロをしきはじめ、酔った連中が手をうって、唄を歌いはじめた。なかにはウクレレやアコーディオンを持ってきて合唱する若い男女グループもあれば、三味線持参の中年グループもあり、はじめ、その下品な声ゆえに注目されていた私のグループの影はすっかり、薄れてしまった。
「チェッ、面白くねえや」
と一人がつぶやいた。
「こうなれば、ヤケのやんぱちだ。喧嘩の真似をしよう。そうすれば、我々は目だつかもしれん」
馬鹿なことを思いついたものである。