私は印度にはもう三回ぐらい出かけたけれど、いずれも滞在期間が四日か、五日で、あのひろい大自然と国土をゆっくり見てはいない。
それでも私はその三回の間、夕暮の満月の下に白く悲しげにひろがったタージマハルの大理石の宮殿も見たし、ヒンズー教徒たちが死んだ時、ながされていく真昼のベナレスの町も訪れた。
昨年の十月頃、私はニューデリーのホテルで、二、三日ぶらぶらとしていた。タイのすさまじい暑さのなかを、泥河を遡って、山田長政時代の日本人町の跡を見にいったあとだったので、私は夏のスポーツ・シャツのままで印度に来たのだが、ニューデリーはくしゃみが出るくらい涼しかった。
バンコックの暑さのなかで私は毎日、酒を飲んでいた。私のジャンパーのポケットのなかにはいつもウイスキーか、ブランデーの小瓶があり、それを烈しい陽光のなかで口にふくむと一瞬、暑さを忘れた。
印度でも同じやり方をしようと思って機内でブランデーの瓶を買った。
ニューデリーのホテルにつくと、すぐシャワーをあび、そのウイスキーを冷たい水で割って飲むと疲れを忘れた。
その翌日から毎日、外を歩きまわった。
私には印度を語ったり、ここを舞台に何かを書く気持は全くなかったが、うすぎたないニューデリーの下町はいくら見ても見あきなかった。痩せた牛がねそべり、その横を自動車や人が避けて通る街路も片一方の靴やこわれた眼鏡まで売っている泥棒市も夕暮、モスクから聞える物悲しい声も私は一日中、見物して立ち去りがたかった。
いい加減つかれてホテルに戻り、さてウイスキーの瓶を見ると、何だか量が減っている。はじめはふしぎだなあと思ったぐらいだったが、二日目も、たしかに減っているのを見ると、
(ボーイの奴、飲んだな)
と思った。
廊下に出ると、ボーイが立っている。私がたちふさがって、
「飲んだろ」
と酒を飲む真似をすると、奇妙な笑いをうかべて首をふった。
翌日、部屋に戻ってみると驚いた。
今度は酒の量が増してあるのである。
飲んでみると、ひどく水っぽい。ボーイが、バレたのを知って、あわてて水まししたのだが、なんと水を入れすぎた[#「すぎた」に傍点]のだ。
私は寝床にひっくりかえって笑いだした。
こういうボーイ、どこかコソ狡いくせにヌケた人間を私は嫌いではない。むしろ言いようのない親愛感を感じ、肩でもポンと叩いてやりたい気になる。
(ようし)
私は考えた。
(あいつ、ビックリさせてやろう)
トランクの底から、小さな醤油瓶をとりだした。私は小さな醤油瓶をいつも外国旅行に持っていく。僻地にいる日本人にあげるととても大悦びするからだ。
それをウイスキーの瓶のなかに注いでクレオソートの粒を放りこんで、いかにもコハク色の液体のように見せかけておいた。飲んだら物すごい味だろう。
翌日、私が部屋に戻ってくると、量が少し減っていた。
廊下に出ると、ボーイの姿はみえなかった。彼があれを飲んだ時の仰天した顔を思うと可笑しくってならなかった。
翌日、私はニューデリーを去った。