イエスさまが死んだエルサレムのゴルゴタの丘はもう丘ではない。それは今日、あとかたもなく削られ、そこに黒い大きな教会がたっているからだ。教会の前の広場には観光客のグループがひっきりなしに訪れ、その客にスライドや絵葉書を売りつける行商人たちが右往左往している。
ゴルゴタの丘にくるたびに、私はいつもその俗っぽさに幻滅し辟易する。人類のもっとも悲劇的な場所が、こんな観光の地に変ってしまっていることが、私のようなグウタラな男の心もやっぱり傷つけ、悲しませるのだ。
今年もまた、ここにやってきた。そしてイスラエルの強い日ざしのなかで、様々な色のスポーツ・シャツを着たアメリカ人の観光客や、鳥のような顔をして写真機をぶらさげた神父たちが大教会から出たり、入ったりするのを私は憂鬱な眼で眺めていた。
もう昼ちかくだった。春のイスラエルの空はあくまでも碧く、雲一つない。その時、私は突然、やかましい女たちの声を背後で耳にした。
黒い服を着た年をとった女たちが十人ほど、リーダーらしい男につれられて、絶えまなくしゃべりながら、今、大教会のなかに入ろうとしているところだった。
彼女たちの話す言葉は英語でもなければ仏蘭西語でもなかった。ひょっとするとギリシャのキプロス島のあたりから来た巡礼の女たちかもしれなかった。そしてその日にやけた、皺のよった顔は、彼女たちが都会の生れではなく、田舎で育った女たちであることを示していた。
好奇心にかられて、私は彼女たちのうしろから、大教会の入口に入った。その話す言葉はわからなかったが、私には彼女たちが善光寺まいりをした昔の日本の老婆と同じように、なけなしの貯金をはたいて一生一度の巡礼に来たのだとすぐわかった。
さて——
彼女たちは入口にちかい地面に急にひざまずいた。そこは十字架からおろされたイエスの死体が置かれた場所と言われていて、今では手足と胸に血の流れたイエスの像が横たえられているのである。老婆たちはそのイエス像にしきりに接吻し、それから自分たちの持参した幾つかの十字架をその上においては祈っているのである。
私も背後にたって、そのイエス像を眺めていた。これはどうにもほめられぬ俗っぽい像だった。
あまりの俗っぽさにイエスさままでが、憂鬱そうな顔をしておられるように見えた。それでも老婆たちはその憂鬱そうなお顔や手に接吻し、小さな十字架をその上におくのである。そこにおいた十字架を故郷に戻った時、巡礼できなかった村人への何よりの土産ものにするのだろう。
私は、彼女たちの迷信じみた態度を笑うよりも、その素朴な敬虔さにむしろ感動していた。自分もまがりなりに基督教信者だが、その自分に一番欠けているものがこの素朴な信仰だと知っていたし、それを今日まで辛く、やましく思ってきたからだ。
だが、私はある光景に接したのである。しきりに像に接吻している一老婆の十字架の一つを、となりの老婆が素早く、チャッカリと失敬したのを目撃したのである。
失敬したあと、この老婆は何くわぬ顔をして歯のない口を動かしながら祈りつづけた。私は驚き、そして苦笑した。けだし巡礼にまできて、しかもゴルゴタの丘で友人のものを一寸、失敬するとは何ごとであるか。
だが、その時、私は俗っぽい、憂鬱げなイエスさまのお顔が一瞬、私と同じようにニヤッと笑ったのをたしか見たのだ。そのニヤッと笑った顔は子供の悪戯をみつけた父親の嬉しそうな顔に似ていた。よし、よし、と言っているようでもあった。
(主よ)と私はつぶやいた。(今日、私は私にとって一番、うれしい光景を見ました)と。