もし故郷というものを、忘れがたい少年時代の思い出が数多くある土地とするならば、私には故郷がない。幼い日と少年の頃を送った大連は既に別の国のものとなっているからである。
私は随分、旅をした。いろいろな土地、いろいろな町をも見た。故郷のない私はその度毎、この土地、この町がもし自分の故郷だったらと考えることが屡※[#二の字点、unicode303b]あった。
信濃の山並が蒼くひろがり、千曲川のながれる小さな町を通った時、夕暮の灯がともり、家々の庭に胡桃《くるみ》の木が影をつくっているのを見て、こんな小さな町が自分のふるさとであったならと心の底から思った。その町の名は塩名田といった。
島根県の津和野を訪れた時も、あの盆地にひっそりと眠るこの静かな町に同じ思いを抱いた。
だが塩名田といい、津和野といい、もしそこが私のふる里であったとしても、生涯そこに住むわけにはいかなかったろう。町は私にはあまりに小さくあまりに静かすぎた。
もしそこで生れて、そこで一生、生活してもいいと思うような場所があるとするならば、私は盛岡と長崎とをためらわず、あげるだろう。秋の日に盛岡を訪れ、そのやわらかな澄んだ光のなかでまるで赤い宝石のようにみえる林檎の林を通りぬけ、雫石川の川原で身を休めた時ほど、私がこの町を美しいと思ったことはない。だが盛岡は私の心にはたまらない可愛く、美しいだけで、おいしいとは思えない。
長崎はそれにくらべて、おいしい街である。この東西交流の歴史を長い歳月の間に蓄えた長崎は味わえば味わうほど、おいしいのだ。
私と長崎とのまじわりはまことにふしぎな人との縁から始まる。八年ほど前に、私は三浦朱門と二人で長崎を何の気なしに訪れた。グラバー邸や大浦天主堂、出島というようなお決りのコースをまわり、銀嶺という古いランプや皿を集めた洒落たレストランで休んでいた。
「曽野綾子に、土産、買うていこうと思うねん。しかし女のものは何がええかなァ」
と三浦はさっきからしきりに思案していた。
私は自分の席のすぐ近くに二人のお嬢さんがジュースを飲んでいるのを横眼でみて、
「あのお嬢さんに相談してみたら、どうだ」
と言った。
「お嬢さん」
私が声をかけると、そのお嬢さんたちはびっくりしたようにこちらをむいた。
「我々は長崎が始めてなのですが……いい土産ものを買える店を教えて頂けないでしょうか」
お嬢さんたちは顔をみあわせ、二人で何かを囁きあっていたが、
「あの……よろしければ、私たちがお連れしますけど」
と答えてくれた。
律義な三浦は甚だしく恐縮し、ペコペコと頭をさげながら、
「有難うございます。有難うございます。われわれは決して怪しいものではありません。自分は三浦と言い、こいつは遠藤と言い、共に小説家であります。決して怪しい者ではありません」
お嬢さんたちはその三浦の念の入れ方に苦笑しながら、歩きはじめた。そして目ぬき通りの大きなベッコウ屋や食料品店に連れていってくれたが、彼女を見ると店員たちはニコニコとして、しかも三浦や私にまで値段の割引をしてくれるのである。私はふしぎでならなかった。
「あなたたちは、はい、一体どなた様ですか」
どの店もお嬢さんたちに案内されると割引をしてくれるので、私はふしぎでならず、そう訊ねた。お嬢さんたちはホ、ホ、ホと笑うだけである。
その夕方、矢太楼という宿屋に戻って長崎には親切な娘さんがいるものだと三浦と話しあっているところに電話がかかってきた。
「さきほどは娘がお世話になりましたそうで……」
と女性の声が受話器できこえた。あのお嬢さんの母上からの電話である。私は正直いって、不安になった。うちの娘に勝手に声をかけて……と叱られるのではないかと思ったのである。ところがその内容はそうではなかった。
「娘から聞きますと長崎はお始めてだそうで……もしお宜しければ、おいしいお寿司屋にお連れしたいと思いますが」
私と三浦とは恐縮し、びっくりし、そしてあのお嬢さんとその母上の見も知らぬ我々への思いやりに感激した。
とら寿司という寿司屋で私たちはお嬢さんの一家にはじめて紹介されたが、そのご一家は長崎で一番大きな婦人服の店、タナカヤさんの田中御一家であった。
始めて訪れた土地での印象は、その土地の人の親切で左右されることが多い。私があの日、あのお嬢さんに会わず、そして田中さんご一家と知りあいにならなければ、私にとって長崎は盛岡と同じように、美しい可愛い街でしかなかったろう。だがその日田中さんと知りあったため、またとら寿司の御主人に紹介されたため、私は長崎が好きになり、長崎の切支丹史を勉強しはじめ、やがて『沈黙』という小説を完成することもできたのである。人生というものは偶然の出会いが何を生みだすかもわからぬものなのだ。
それから幾度も長崎を訪れた。私は長崎はおいしい町だとわかったのである。とら寿司の寿司はうまい。魚はこの町では実にうまい。果物も実にうまい。しかし食べものだけではなく、この町の歴史は小説家にとって、こたえられぬほど、おいしいのである。私は長崎に魅せられたわけだ。
私が長崎にたびたび行くと聞きこんだ梅崎春生なる先輩作家がある日、電話をかけてきた。
「君はいつ、今度、長崎に行くのです」
「来週です。三浦とまた、行くつもりです」
「それでは君たちは長崎で花を買って、雨森という病院をたずね、そのお嬢さんにその花をぼくからと言って渡してください」
なぜですかと聞いたが彼はムニャムニャ言うだけである。やがてわかったのだがそれは梅崎さんが五高の生徒の頃、その雨森病院のお嬢さんに遠い憬れを持った思い出があったからである。
梅崎さんは一円もくれなかったから、私と三浦は自腹でバラの花を買い、雨森病院をたずねた。まったく知らぬ家を訪れて、理由もなくバラの花を渡しに行った我々も我々だが、それを後輩に命じた梅崎さんも梅崎さんである。
「えーと、お嬢さまにこのバラの花をわたしてほしいと小説家の梅崎春生氏からたのまれまして……」
私たちは女中さんにそう言い、お嬢さんがどんな方か見ようと玄関で待っていた。
姿をみせられたのは品のある、立派な御婦人だった。なるほど、梅崎さんが五高の生徒だったのは三十年前の話だった。それを私と三浦は忘れていた。御婦人は梅崎さんの名を聞いて首をかしげ、バラの花を受けとられて更に首をかしげられた。彼女の記憶に梅崎さんは全く存在してなかったようである。可哀そうな梅崎さん!