これは賭けてもいいですがね。この「本」の読者の七十五パーセントは「気の弱い奴」でしょうな、なぜかって。理由は簡単です。気の強い男はこんな本など買って読まんからです。そうじゃ、ありませんか。諸君。
わが人間観察によると、気の弱い奴には必ず、一匹の虫がつきまとうものらしい。この得体のしれぬ虫めはあんたがその気の弱さのため何かをシクジルと、耳のうしろ側で、ケ、ケ、ケと奇妙な笑い声をたてるのです。
たとえば諸君にはこういう経験はありませんかな。駅のホームで電車を待っていると向う側のホームに部長が立っていられる。気の弱いあんたはこういう時、すぐ挨拶できないものです。部長が気づかぬのに、頭を下げるべきか、それとも黙っているべきか、あんたは心中ハムレットの如く迷う。そして思い切って頭をさげたが、部長は知らん顔をしている。なんだ、挨拶なんかするんじゃなかったとペロリと舌を出した時、向うの視線がこちらにぶつかった。部下に舌を出されたと錯覚した部長はムッとされ、あんたはこれはとんだことになったと思う。そんな時です、耳のうしろであの虫めが、ケ、ケ、ケと笑うのは……。
私はあんたのその時の気持がよくわかるよ。なぜなら、私もあんたと同じような経験が幾回、幾十回となくあったから。
あんたに仮に惚《ほ》れていた娘がいるとする。その娘は初心《うぶ》で清純であんたは本当に心から惚れておるのだ。惚れているのだが、悲しいかな好きだと言えないのだ。
「気の弱い奴ちゃなあ。そんなの、手ごめにするぐらいの勇気でぶつかれや」
悪友に励まされ、けしかけられ、
「よおし、今夜は必ず決行だぞオ」
清水《きよみず》の舞台から飛びおりる気持であんたは彼女を映画に誘った。
映画館の中で手を握ろう、握らねばならぬ、断じて握るのだ、そうあんたは心に誓いながら、いざ本番となると、どうしても勇気が出ず、そのくせ、心はスクリーンではなく右側の彼女と自分の腕にばかり集中して、モゾモゾ、貧乏ゆすりばかりして、
「どうか、なさいましたの」
彼女にそう言われると、イスから二尺も飛び上りそうになり、
「いえッ何でも、ありまッせん」
上官に報告する兵隊のような声をだす。情けない奴ちゃな、あんたは。
そして映画が終って、喫茶店。今度こそは心のすべてを打ちあけねばならぬ。断じて打ちあけるのだと思いながら、コーヒーだけいたずらにガブガブのみ、
「うちの伝書|鳩《ばと》はかわいいです」
愚にもつかぬことばかり口走っている。これではいかん。言え。男じゃないか。言うのだ。そう懸命にわが心に言いきかせ、
「道代さん」
「何ですの」
そういう時だ。気の弱い奴は突然、尿意を催し、どうしても我慢できなくなってくるのである。あの虫めがまた、意地悪をしだしたのだ。
「道代さん」
「何ですの」
「ぼ……ぼかア。たまらん。失礼」
びっくりしている彼女をそこに残して、あんたはW・Cに走っていくのである。そして何も言えず、何もできず、彼女を自宅まで送りとどけたあとは一人、舌打ちばかりしながらくやしまぎれに歌う歌は、
「松の木ばかりが、松じゃない」
どうです。ピタリでしょう。あんたには必ずこれと同型の経験があるでしょう。私はあんたのその気持がよくわかる。なぜなら、私もあんたと同じような経験が幾回、幾十回となくあったからです。