小心だから彼は家庭にあって除《の》けものになりたくない。家族のみんなから尊敬されたい。だが夜ふけにオモチャを買っても、それは一時的に子供の心を引くだけで、あとは相変らず除け者にされる。除け者にされるから彼は自分を注目させるために威張ろうとする。そして、彼が家庭で怒る時の心理は次のようなものだ。
たとえば長男がジャズレコードばかりかけているとする。それが気に食わぬが、気に食わぬとどなれば、たちまち家族中の大反撃に会うことも彼は知っている。
「古いよ、父さんは、頭が。横暴だよ、自分の趣味にあわないからって」
古いとか、横暴とかいわれるのが、家庭にあって亭主には一番つらい。その上、女房にまで子供の味方としてギャア、ギャアわめかれてはたまらなく不愉快だ。
だから、おおむねの亭主は子供を叱る時は、別のことを口実にして小言をいうものだ。
「なんだね、この部屋、だらしがないぞ。少しは掃除しなさい。みなさい、ホコリがこんなにたまっている」
彼が怒りたいのは部屋のことではなく、本当はジャズレコードのことだが、しかし、彼はこういう言い方によって自分の父としての権威をみとめさせようとするものだ。
亭主族の怒り方は、こうしてみると実に下手で、無器用だということがよくわかる。この無器用さを作っているのが結局、彼のたえざるコンプレックス——つまり自分は家族から除け者にされているというコンプレックス——なのである。
さっきあげた例のほかに、恩きせがまし怒り型という亭主がある。これは自分が家族に買ってやったものが一向に活用されていないのを見て腹をたてるタイプだが、
「お前、父ちゃんが買ってやったマフラー全然やってないじゃないか。やってないだけでなく、友だちにやったっていうじゃないか」
「やったんじゃないよ。バンドのバックルと交換したんだ」
「なぜ、そんなものと交換する。あのマフラーはな、千八百円もしたんだぞ。千八百円も」
息子や女房はこの言葉をきいて、自分の親父、自分の亭主は、何というケチな男だ、とますます軽蔑していく。
だが彼にとっては、千八百円がムダになったことがショックなのではない。彼は自分も愛されたい一心で買ったマフラーが、息子によって黙殺されたのが寂しいのだ。家族のものに、いい父ちゃん、やさしい父ちゃんと思われなかったのが腹がたってくるのだ。
日曜日の午後、家族がそれぞれ出かけたあと、縁側でねそべっているステテコ一枚の亭主の姿は何となく憐《あわ》れで、哀しくて、滑稽である。家族の誰からも煙たがられ、除け者にされている孤独な男。
そんな男に諸君はなりたくないだろう。しかし君はやがて、そうなるのだよ。
それもいいじゃないか。どうせ人生、どうころんでも同じだからな。