諸君はあるいはこの本の貴重な紙面を拙者が生理的現象の観察などによってむだに費やしておると憤慨されておるかもしれんが、この尿意によって人生の局面が一変することさえあることを諸君もよく考えていただきたい。
たとえばだ。拙者の友人で、Aという気の弱い青年は、かねてから心ひそかに愛しておったTという令嬢に何とか愛をうちあけんとして、ようやくデートを重ねること数回。向うもこちらを憎からず思うておるかもしれんと考え、ある日曜日、今日こそは心のうちを述べんものと、ビヤホールにつれこみ、
「T子さん」
「まアなんですの、急にコワイ顔をなさって」
「T子さん」
「ぼかア……」
ぼかア……と言いかけて勇気づけにビールをのみ、また、
「T子さん」
「まア、なんですの。そんなコワイ顔をなさって」
「ぼかア」
また、ビールをのむ。そのうちにこのビールが段々、たまりはじめ、烈しい尿意になり、
「ぼかア……ウ、ウウン」
「まア、なんで顔をしかめていらっしゃるの」
「ぼかア、失礼、ごめん」
たまりかねて、便所にかけだす。ああ、俺は何というドジをふむ男だと後悔、痛憤やるせないが、意地悪な生理現象は恋の思いも邪魔してしまう。彼女は彼女でせっかくロマンチックなところまでいったのに一目散、便所にかけこむような男にはもうすっかり幻滅し、
「Aさん、もう帰りますわ」
こういう実例が本当にあるから、生理的現象といえども、人間の運命をひっくりかえすことがあるのだ。
しかも諸君、この現象はわれわれのような凡人のみならず、カントにも訪れ、マルクスにも訪れ、ブリジット・バルドーにも、ビートルズの坊やたちにも、美空ひばりにも、司葉子にもみな訪れることを考えれば、寂しい時、辛い時、諸君の慰めとはならないか。しかり。諸君、さびしい時は次の唄を歌えよかし。
アア〜
ソオクラテスもウンコした
ドゴール大統領もウンコする
美空ひばりもウンコした
人間みなおんなじだ。