それからしばらくすると彼は何を思ったか急に写真機にこりはじめ、いつもポケットにカメラを入れて人を見ればパチリ、道ばたで犬がウンコをしているのを見ればパチリ。そして私の顔をみれば、写真をやれ、写真をやれと言いはじめた。彼には自分の趣味を押しつける癖があるので私は渋々、古カメラを買い、教えをこうた。
正直いうと機械には弱い私はそれまで写真機の操作など全く興味なく、露出が何やらシボリが何を意味するのかもわからなかった。そして写真機について無知であることは人間として恥ずかしいことではないと思っていた。しかし安岡はその私を大声で叱りつけ、無知|蒙昧《もうまい》の代表のように取扱うのだった。
「え。いくら教えてもわからないのか。太陽の方にカメラを向ければ逆光になるんだ。え。逆光が何かも知らんのか。箸にも棒にもかからん奴だな。お前は」
私は心の中で「何をこの浪人三年めえ」と罵ったが(大きな声ではいえぬが安岡は私と同じように中学を出てもどこにも入学できず、浪人を三年しているのである)どこで憶えてきたのか彼からペラペラとレンズの種類や望遠とかフラッシュなどという専門用語をふりまわされると、頭が混乱して黙りこんでしまうのだった。のみならず私はレンズの蓋をはめたまま撮影していた現場を彼に見られたことがあるので、ことカメラに関しては反駁できぬのである。
「お前にはカメラを教えるのは諦めた」
安岡は遂に情けなさそうに言った。
「お前にカメラを奨めた自分の不明を恥じるくらいだ」
だがその頃、あるカメラ会社で我々文士に自社製品のカメラを渡し、それで撮った作品のコンクールをやる催しがひらかれたのである。
「俺も出してみようかしらん」
そう言った私を安岡はせせら笑って、
「お前が……。まあ、よしたほうがいいですよ」
「君は出すのか」
安岡は自信ありげに深くうなずいた。私は仕方なく、そのせせら笑っている安岡の顔を力ない手で一枚、パチリと撮って家に戻った。
だが、カメラ会社がそんな自信のない私にも作品を出すよう執拗に言うので、仕方なく私は『海辺の光景』の作者には内緒で「せせら笑っている安岡」と題し、この間の写真を手わたした。