そのせいか、吉行は水商売の女の子にはひどく優しく思いやりがあった。ホステスの誕生日もよくおぼえていて香水をさりげなく出がけにやったりする。するとその女の子はたちまち吉行が好きになるのである。私はある料亭で吉行が芸者のすわりダコをなでてやりながら、
「タコができておる。苦労しとるなア、お前も」
しんみり言い、芸者が涙ぐんでいる光景をみて、モテル秘訣はこれだ、これだと考え、別の芸者の首の変色部分をなでて、
「タコができておる。苦労しとるなア、お前も」
と同じようにしんみり呟いたら、
「恥かかさないでよ。デキモノの痕ですよッ」
と言いかえされ腐ったことがあった。モテぬ男は何をしても駄目なのさ。
四、五年前、吉行は六本木の交差点ちかくに甚だ珍妙なマダムのいる小さなバーを見つけてきた。このマダムは小柄の美人だったが出所不明にしてその言動ことごとく素頓狂《すつとんきよう》で人が好く、店の酒を飲んで酔うと客にむかい「シトをバカにしないでよ。あたしは学問はありませんけどね。わかることはわかるんだから」と大声でわめく酒乱癖があると思えば、気に入れば客にタダ酒をのませて悦《よろこ》ぶという妙な性格であった。
ある冬の夜、旅館で仕事をしていた私は友人のKを誘ってこの酒場に寄ってみると吉行が止り木に腰かけ、向うのボックスに年ごろ、二十七、八のアストラカンの外套を着て真珠の首飾りをした令嬢風の女性がコニャックを一人のんでいた。
私は吉行とKとマダムにもう看板時刻だから俺の旅館で飲みなおそうやと誘い、くだんの令嬢風の女性にも「行きませんか」と声をかけると、大きな眼で人の顔を見つめてうなずいた。
あの女性は誰だと、そっとマダムにきくと、かなり酔ったマダムは、
「あのシトは伯爵のお嬢さまだから。お父さんだって支店長なんだから。あんたたちと違うわよ」
と言った。
吉行が車を動かし、私はマダムと伯爵令嬢の間におそるおそる腰かけた。車が走りだしてから、お名前はとたずねると、令嬢はキッと体を起し、
「妙子でございます。田子の浦……うちいでてみれば白妙[#「白妙」に傍点]の、富士のたかねに雪はふりつつ。その妙子でございます」
と一気に答えた。我々はびっくりした。
吉行もKも私も伯爵令嬢などと一度も交際したことがない。ないからただ恐縮して黙っていると、
「皆さま。ゴルフ遊ばしますの。父が御殿場にゴルフ場、持っておりますから何時でもお使い遊ばしてね」
と更に我々を心細くさせるようなことを言う。こちらは心の中でこんなやんごとない令嬢をむさくるしい仕事場などに誘うのではなかったと後悔しはじめた。
私の旅館についたがそんなわけで吉行もKも気勢があがらない。令嬢はオーバーをぬがず酒をしずかに飲み、
「私、ちかくソルボンヌ大学に勉強しにいきますの」
などと言っていたが、急にハンドバッグから扇を出し、立ちあがると部屋を出ていこうとした。そしてニッコリしながら、
「ちょっと、蛍をみに行って参りますわ」
と呟いた。季節は冬だし蛍などこの辺にいるはずはなく、我々がキョトンとしていると、やがて部屋の横にある水洗便所でジャーという音がきこえた。
「ふーむ。扇をもって便所に行く。しかもそれを蛍を見にいくと言うのか。やはり高貴なお方は違うなア」
と私が感心し、
「では、ぼくも蛍を見にいってくべい。その渋|団扇《うちわ》を貸しておくれ。蛍こーい。蛍こーい」
と部屋を出た。もっとも私の場合は当時、尻にタムシができていたから、便所でヨーチンをつけ、バタバタあおぐために団扇が必要だったわけである。