先週号で吉行淳之介と私とが伯爵令嬢と称する娘にだまされた話を語ったが、あれを書きながら、私は村松剛にも同じような事件のあったことを急に思いだした。
実をいうと、この連載が始まるや、先輩・友人たちの中には自分が今度は俎上《そじよう》にのせられるのではないかという不安がますます拡がり、中には「俺のことを書くと承知しないぞ」という葉書や電話による脅迫もしばしばであるが、ペンはいかなる暴力にも屈せず真実を語らねばならん。村松剛もおそらく、その不安に怯《おび》えた一人であろうが、私の連想が彼にとって運の尽きだったのである。
村松剛。立教大学助教授、文芸評論家、テレビでアルジェリアやド・ゴール問題について語っている彼を、もちろん読者は御存知であろう。たとえ彼を知らない方も村松英子という美しい女優ならすぐおわかりになるだろう。村松剛は、この村松英子さんの兄貴なのである。兄妹、隣あわせに住んでいるが、もちろん女優の英子さんの家はプールもあり、コッカースパニエルもすんでいそうな立派な家。それにくらべて隣の兄貴の家は、最近建てましをしたがやっぱり貧弱だ。
両者の収入のちがいは訪問した時に出してくれる酒によってもハッキリわかる。妹の村松英子さんのほうに遊びにいくと、スコッチを飲ませてくれるが、兄の剛のほうではいつもトリスである。
この兄妹とのつきあいも長い。村松は私が仏蘭西《フランス》留学から帰国した頃は、杉並区成宗の都電停留所近くに住んでいて、時々、御両親や妹さんのいる実家に帰っていた。当時、我々は「ヒトの家はボクの家」という考えをもっていた青年時代だったから、酔っぱらうと相手かまわず友人の家に押しかけ勝手に布団など出してグウグウ寝たものである。御両親や村松の奥さんは、今考えるとさぞかし御迷惑だったと思うが、彼の二軒の家にも幾度、泊ったかしれない。
酔っぱらって昼ちかく眼をさまし、水ほしさに一人、階下におりると、色の白い可愛い少女がコタツにあたり、英語の勉強をしている。こちらがゲップなどしながらその横に坐ると嫌アな顔をする。十三、四の少女には兄さんの友だちは皆、酔っぱらいで不潔にみえたのかもしれぬ。