「学校はどうした」
こちらは照れかくしにこの少女に説教をはじめる。
「学校に行かなくちゃ駄目じゃないか」
すると少女はツンと怒って、
「今日は日曜日です」
それがまだ中学生時代の村松英子さんだった。その英子さんがみるみるうちに大人になり、新劇の女優になろうとは、あの頃、私は想像もしなかった。
兄妹そろって秀才であり才女だが、どこか一点ソソッかしいところがある。兄の剛はたずねていくと着物を平気で裏返しで着ていて、話に夢中になってそれに気づかない。ある日、彼が大学に講義にいくために都電に飛びのったところ、乗客全部がヘンな顔をしてジロジロ見る。なぜジロジロ見られるのか、わからない。しばらくして、やっとわかってアッと叫んだ。アッと叫ぶも道理、彼はネクタイをしめ上衣を着、鞄をもって電車に乗ったはいいが、ズボンをはくのを忘れていたのである。読者諸氏も、電車の中に突然、ネクタイ、上衣をつけているが、下はモモ引きに靴という男がノコノコ乗ってくれば仰天してジロジロ見るでしょう。
いつだったか、村松たちと伊豆に旅行したことがあったが、帰りがけのバスが天城山にさしかかったところ、大きな声で、
「ここに国定忠治がとじこもったのか」
と言ったのには閉口した。天城山と赤城山とを間違えているのである。村松はヴァレリイの専門家としても有名だし、アルジェリア、イスラエル問題には詳しいが、「美空ひばりが別れた俳優は誰だ」ときくと眼を白黒させて「坂本九」と答える。小林旭も坂本九もこの男には全く同じなのであり、もちろん巨人軍の監督の名も長島選手の奥さんの名前もしらない。
妹の村松英子さんのほうも兄貴を上まわる方角音痴の上に笑い上戸で、だましやすきこと赤子の手をひねるごときお嬢さんだった。いつか私が夜店から買ったハンコを彫った指輪をしていたところ、ジーッと羨ましそうに見ているので、これはねえ、九州、島原で見つかった切支丹の指輪なんだよ。英子さんにあげようか、と言うと、感激して指にはめていた。彼女は長いことそれを信じていたらしく、いつか『サド侯爵夫人』の舞台を見にいったら、この指輪をはめて堂々と演技していたので、やった私のほうがビックラしたくらいである。