留学から戻って私は二冊の本を書いた。一冊は『フランスの大学生』という留学時代の記録であり、もう一冊は私が勉強している西欧の基督《キリスト》教作家を扱った『カトリック作家の問題』という本だった。
本が出て、しばらくしてからである。突然、私は亀井勝一郎先生から葉書を頂いた。君の本を読んで会いたいと思っていると先生は言われるのである。私は大変、恐縮した。
先生は御記憶ないかもしれぬが、私は戦争中に一度、そのお宅に伺ったことがあるのである。戦争中、私は親から勘当されて、あっちこっちを転々としたが、一番ながくいたのは哲学者の吉満義彦先生が舎監をしていられた学生寮だった。吉満先生はジャック・マリタンの弟子で、東大の講師をされていたが、終戦直前に亡くなられてしまった方である。
この寮で私は今、キリンビールの社員になっている東大生の松井慶訓と仲がよかった。私はその松井に日本浪曼派の人たちの色々な本を教えてもらったが、その中に亀井先生の『大和古寺風物誌』や『美貌の皇后』があったのである。
のみならず、この寮には偶然、亀井先生の近所に住んでいる安井君という学生がいた。安井は松井と私とが先生の本を読んでいるのを見て、
「なら、僕が亀井さんのところに、つれていってあげようかな」
と言った。その口ぶりは、まるで親類のオジさんに会わせようというようなので、私たちはびっくりして彼の顔をみつめ、
「本当かね」
「本当だよ」
しかし私たちは半信半疑だった。亀井先生が学生にたやすく会ってくださるとは、とても考えられなかったのである。けれどもそれから一週間ほどすると安井は、
「亀井さんのところに今度の日曜、行こうよ」
とこの間と同じように平然と言った。
日曜日の午後、その安井につれられて吉祥寺の先生のお宅に伺った。門の前に防火用水や火たたきがおいてあったのを今でも憶えている。
「僕はね」と安井は得意そうに言った。
「亀井さんと防空演習の時、一緒に屋根にのぼることがあるんだ」