以来、この男は姿を消して行方不明となってしまった。しかし村松も私もなぜか、この男を心の底から憎む気にはなれない。ダマされたあとは腹もたっていたが、時間を経るにしたがって可笑《おか》しさがこみあげてくるのである。
青年が姿を消してから二年ほどたって、ある朝、私は私の兄の電話で仰天した。
「おいおい」と私の兄は言った。「困るねえ、お前さんは、仏像泥棒の一味になったのか」
「なんだって。冗談じゃないよ」
「今朝のM新聞をみろよ。仏像泥棒がお前のことを語っているぞ」
私はあわてて家人に命じM新聞を買ってこさせた。
するとその社会面に、「芝の増上寺の仏像泥棒がつかまる」という見出しと共にあの青年の写真が出ているではないか。その事件は私にも記憶があった。二週間ほど前、増上寺の大事な仏像がぬすまれて犯人がわからぬという記事を読んでいたからである。そして、この朝刊にはその仏像をもった男が会津若松で逮捕され、新聞社の人たちに、「遠藤周作もよく知っているが、今は何も語りたくない」
と言っている、という記事がのせられていたのである。兄が心配したのも無理はなかった。
私はその日一日、刑事さんでもやってこないかと少し張切って待っていたが、誰も来なかった。すると今度は、「何も俺一人の名を出さなくてもいいじゃないか。村松剛もよく知っていると、何故、あの男、言わないんだ」と腹がたってきた。
この男のため最大の被害?をうけたのは以上のように村松と私だが、この男のため最大の利益をあげた人がいる。それは梅崎春生氏である。彼は我々からこの話をきくや、早速それを新聞小説の主人公にしたからである。『つむじ風』という梅崎さんの小説に出てくる松平という青年は、この男をモデルにしたのである。