それから、また時間がたって、別の文壇のパーティがあった。たしかそれは吉行淳之介が文学賞をうけたパーティだったと思う。
「君、切支丹《きりしたん》の本を貸してくれないか。ぼくの日本人の精神史研究もいよいよ切支丹時代に入らなければならないんだ」
私は先生が病床にあってもこのライフ・ワークにとりくまれていることを知っていた。切支丹時代を背景にした『沈黙』を書いた私は、先生がこの時代をどう分析されるか心待ちにしていた。悦《よろこ》んで持っている文献はすべてお貸ししますと申しあげながら、私はふと、先生に強者と弱者の問題をうかがいたくなった。
「切支丹時代というのは、基督教のきびしさを強者でなかった弱者がどう受けとめたかという点に——私の興味の一つがあるんです」
私はそう言って先生の顔をみつめた。
「それは、切支丹だけじゃない」先生は肩をそびやかすようにして答えられた。「すべての宗教が結局、ぶつかるところだよ」
だが私が心待ちにしていた『日本人の精神史研究』の切支丹時代は遂に完成されなかった。先生は亡くなられたからである。
私の書斎には先生の描かれた北京の風景画が飾られている。五月の樹木のむこうに北京城の赤い壁がみえる。その風景画を御存命の頃、私は文春主催の「芥川賞作家展覧会」に出品したことがある。係の人が書斎にあるものを何でもいいから出品してくれと言ってきた時、ふと悪戯《いたずら》心を起し、先生には無断で出品したのだ。
「君、びっくりしたよ。あれを出すなんて」
先生は半ば恥ずかしそうに、しかし半ば嬉しそうにそう言われた。