いつだったか信州から東京に戻る汽車に乗っていたら、うしろで大声でわめきちらしている声がする。ふりむくと、阿川とそれから、なんと新劇俳優芦田伸介氏とが夢中になってトランプをふりまわしているのである。話をきくと前夜、徹夜でトランプをやったが、まだ勝負がつかずに汽車の中まで試合を続行しているそうで、両人、山男のように無精髭をのばし、口も洗っていない。
「ヒッ、ヒッ、ヒッヒ、顔なんか惜しくて、顔なんか、洗えるかい」
「ヒッヒッ、ヒ、さあ、もう一勝負やるべい。やるべい」
二人は東京まで、わめきながらトランプをふりまわし続けていた。
食物やトランプだけではない。時々、航空会社などが、あたらしい飛行機に各界の人を招待して乗せることがあるが、ああいう時、文壇で必ずえらばれるのは乗物キチガイの阿川である。テレビなどで、そういうニュースがうつされる時、画面に彼がニタニターッとカラマーゾフの親爺のように笑いながらスチュワーデスのだした料理をパクついているのを読者は時々、御覧になるでしょう。航空会社はなぜ阿川ばかり招待して、品のいい私を呼ばないのか。
もし読者は阿川と列車などに乗合わせたら汽車の話など話しかけるのは避けられたほうがいい。たちまちにして眼を三角にして、貴方は言いまかされるであろうから。
いつだったか、同じ列車に乗っていて、私はしずかに本を読んでいた。本から顔をあげ、ふと空をみると、飛行機が飛んでいるのがみえたから、
「あれは大阪行の日航かなア」
こちらはわざと一人で呟いてみせると、瞬間湯わかし器はたちまちにしてわが作戦にのってカッとなり、眼を三角にして、
「何を言うか。あれは全日空四三三便十四時、大村行、型はフレンドシップだ。知らぬくせに、知ったような口をきくな」
私にとっては空飛ぶ飛行機が大阪行であろうが、熊本行であろうが、そんなことはどうでもいいのだが、彼には絶対にそれは間違っていてはならぬのである。すれ違う列車があれば、パッと腕時計をみて、
「ふーむ。十時、大阪発の急行だが、一分、遅れているな、ふーむ」
何が面白いのか一人でつぶやいている。一体どうして、こういう変テコな趣味が君にあるのかときいてみると、子供の頃、大人につれられて汽車を見にゆき「バンザイ、バンザイ」と叫んでいるうち、こうなったのだそうだ。私は何だか急に阿川が可哀相な気がして、じーっとその顔をみつめていた。皆さんも幼児体験ということを考えるとお子さまをあまり線路のそばなどにつれて行き、バンザイ、バンザイなどと叫ばさないほうが、およろしいのではないかな。
私の友人たちの中で一番早く自動車運転を習ったのは三浦朱門だが、乗物キチガイの阿川がやらずにすます筈はない。彼はいつの間にかオンボロのルノーを夢中になって乗りまわすようになったが、誰も恐れて乗るものはなかった。その運転が駄々っ子運転ですごいからである。温厚な三浦や慎重な吉行のそれに比べると、阿川の車は疾風のごとくビューッと走り、ギイーッと停るのである。
私は箱根で阿川の車に乗ったため、味わわさせられた恐怖の三十分を決して忘れることはできぬ。今でも夜、夢にみるくらいだ。
それは先に語ったマツタケ事件の三日後であった。講演旅行の最終日で最後の会場が小田原だったから、我々は箱根の旅館に休息をした。
夜の講演まであと三時間ある。陽はまだあかるいので、私と阿川とはその辺を散歩することにした。
しばらく歩くと左側にレンタカーの事務所があり、真赤なホンダのスポーツカーなどがおいてある。夕陽にあたり狐色に光る箱根の山々を眺め、芦ノ湖をみたいと阿川に言った。と彼は、
「そんなら、あの車、借りよやないか」
私はお前さんの運転はすごいそうだから、こわいと答えると眼を細めて、
「なア心配するなよ、温和《おとな》しゅう運転してやるから」
私は一度、赤いスポーツカーに乗ってみたいとかねがね思っていた。その気持と黄昏《たそがれ》の芦ノ湖をみたいという気持とが重なりあって、
「そんなら、乗せてもらおうか」
阿川が早速、借りてきたホンダのスポーツカーに腰をおろした。