それでも会がはねると、我々は暗い裏路の塀の前に一列にならび、近藤の指示にしたがってオシッコをできるだけ遠くへ飛ばす競争を無理矢理にさせられた。なぜなら「泣く子とコンケイには勝てぬ」からであった。
自分で自慢する通り、コンケイのそれはまるで宇宙ロケットのように大きな抛物線《ほうぶつせん》を描き、遠くに飛んだ。他の連中とくると、もう栓をとめた直後の水道ホースのごとく、力なく、かぼそく、弱々しい。と、近藤は顔を昂然とあげ、いかにも軽蔑したように一同を見まわし、
「なんだおめえらはヨオ。情けねえナア」
と言うのであった。
女性読者はここを読んで何とまア男たちは大きくなっても馬鹿馬鹿しいことをするものだと思われるであろうが、あなたたちの御主人や兄弟にきいてごらんなさい。この競争はたいていの男ならやった経験があるのです。そしてちょうど小さな犬が土佐犬の前でたちすくむように、オシッコの余り飛ばぬ男はよく飛ぶ男に劣等感を感じるものなのである。
閑話休題《それはさておき》、この競争で我々はすっかり「泣く子とコンケイには勝てぬ」という気持を植えつけられてしまった。のみならず、近藤には天衣無縫《てんいむほう》な一面があり、他の者のようにビクビクするところがない。阿川弘之が彼の師である志賀直哉先生の邸に近藤をつれていったところ、かしこまっている阿川の横で、近藤は出された食事をパクパクたべ、
「これはウマイねえ。もう一杯、くれないかなア」
と大声で志賀先生に言うので阿川はヒヤヒヤしたという。もっとも先生はかえってそんなコンケイが気に入られたようでニコニコ笑っておられたそうだ。
コンケイは当時、鴨川から上京するたびに吉行の家を常宿として三日ほど泊っては帰っていったが、自分の家にいると同じように吉行の家族の前でもフンドシ一枚で歩きまわり、
「茶が飲みてえ。茶をおくれ」
そして一日、フンドシ一つで吉行と花札をやるのであった。その吉行が私に語るところによると、
「コンケイは実に面白い」
「なぜ」
「あいつは俺の家から帰る時な、必ず、便器にちょっとだけウンコをつけて帰る」
「うーむ。それは面白い」
私は泊った家の便器に必ず、ちょっとだけウンコをつけて帰るという近藤に感心したのであった。
こう書くと傍若無人にみえるコンケイだが、必ずしもそうではない。この男には顔に似ぬやさしさと細い神経があって、喘息で時折苦しむ吉行に、鴨川から魚をポタポタ水をたらし、持ってくる。
「俺あ、お前に今度、ブリ、持ってきてやるからよオ」
時には、そのブリの半分はあるが、裏の半分はすっかりなくなっている。吉行がふしぎそうな顔をすると、近藤は、
「俺、お前によオ、このブリ持ってこようと思ったらよオ、あんまりウマそうなので、半分、食っちまっただ」
と言うのであった。