われらがコンケイこと近藤啓太郎は『海人舟』で昭和三十一年の芥川賞を受けた。海や漁師を書く小説は現代日本文学にはあまりないが、近藤が海を書く時、その筆は色彩と生命感に溢れ、他の追従を許さない。彼はもう長いこと東京から離れ、千葉県の漁港鴨川に住んでいるので、この町で近藤啓太郎と言えば、まず知らぬ人はいないだろう。
それはともかく、コンケイに会うたびに私は「この世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば」という歌を思いだす。「泣く子と地頭には勝てぬ」という諺があるが、我々友人の間では「泣く子とコンケイには勝てぬ」と言うほうがピタリとするくらいだ。コンケイにはこわいものはないのである。
コンケイにはじめてあったのは、安岡が私をつれていってくれた「構想の会」だった。いわゆる第三の新人と今日いわれている小説家たちが、まだ芥川賞をもらって文壇にデビューしなかったころ作っていた会である。目黒の小料理屋の二階で毎月一回ひらかれるその会に私がはじめて出席すると、畳の上に寝ころんでいた日焼けした男が、
「おめえが遠藤かア。おめえのリヨンでの大学生活を書いた話、あれ読んだがよオ、面白かっただなア」
と大声で話しかけてくれ、私は彼に親愛感をもった。それがコンケイとの最初の出合いだった。
既に書いたようにこの会では高尚な人生論、文学論をする者ほとんどなく、もっぱら話題はウンコの話やオシッコの話ばかりであったが、近藤は自分ほどオシッコを遠くへ飛ばすことのできる者はないと言うのであった。そして誰か、俺に勝つ者はいないかと彼が言うと我々は自信なさそうな顔をして黙りこむのであった。実際、近藤の強そうな顔をみると誰もが肉体的に非力を感じるからである。