昭和四十年の師走。
時計は零時半をさし、世界の魔都、大東京も寝しずまったこの時刻、人影たえた路を今一台のボロ車が音をたてて走っている。この車は一体どこに向うのか。この車に乗っているのは一体だれであろうか。
言うまでもない。このボロ車にはおなじみの二人の男——シャーロック・ホームズならぬ、迷探偵、狐狸庵と仕事のためなら殺人も辞さぬという助手のO青年が乗っているのであった。
昼間からの疲れで、ともすればコックリコックリする狐狸庵を助手のO青年はこづきながら、ええ、また怠けようとすると舌打ちする。
可哀相なメリーさんは……じゃない……可哀相な狐狸庵は鼻から出たチョウチンを手でふきながら、
「眠たい、ひもじい」
と言ったがO青年は働けば眠らせてやるワ、働けば食わせてやるワと言わんばかりにジロリと狐狸庵を眺めるだけ。
「ああ、辛い。辛い……我輩は……今夜、どこにつれて行かれるのかね」
狐狸庵は鼻汁のついた掌を気づかれぬようにO青年の外套になすりつけ、ニタッとうすら笑いをうかべて訊ねたが、
「行けば、わかります」
そういう冷たい返事である。
権之助坂をおり、更に坂をのぼりガランとした住宅街に入った車は、やがてある辻で停車した。こんな時刻、もう人影は一つもない。どの家も真暗でシーンとしている。O青年は狐狸庵の手を引っ張り、その迷路のような住宅街をだまって歩いていく。すると、一軒だけ、コウコウと灯をつけた建物が見えたのである。O青年は、おお、これだと呟き、何やら謎めいたこの建物の前に立ったんである。
そも、この家は一体なんであろうか。しかしてこの家には一体だれが住んでいるのであろうか。眼をこすりながら何気なくそっと硝子窓に顔を押しあてた狐狸庵、内部の光景に接するや思わずアッと叫んだ。
見よ。狐狸庵がその時、目撃した光景は左の如きである。壁には裸でおどりまわる四人の男女の影がうつっている。しかもその四人のうち、二人の若い男は眼も鼻も新聞紙と紐とでグルグル巻きにして、まるで空飛ぶ円盤からおりた火星人のようにみえる。しかして彼等はあるいは靴を頭に乗せ、口にくわえ、感情ほとばしるままに時には床に寝そべり、芋虫のようにゴロゴロころげまわり、飛び上り、天井からぶらさげた破れ太鼓の中に首を突っこみ、あるいは号泣し、あるいは恍惚陶酔しているのであった。
時に昭和四十年十二月二十四日、午前零時半。
「ホワット、イズ、ディス?」
狐狸庵は思わず両手を高くさしあげて叫んだ。ホワット、イズ、ディス?
翻訳しよう。それはこの家は一体何であろうかという意味である。はたまた、この家には一体、だれが住んでいるのであろうかという意味である。
「ホワット、イズ、ディス?」
流暢なる狐狸庵の英語にたいし、O青年も気張って、
「ディス、イズ、ザ、ハウス、オブ、ザ、マスター、オブ、アヴァン・ギャルド・ダンス」だが、何という下手糞な英語であろうか。読者諸君がおわかりにならなかったとしても、それは諸君の罪ではない。「これは前衛舞踊《アヴアン・ギヤルド・ダンス》の先生《マスター》の家《ハウス》だ」ときっとO青年は言いたかったにちがいない。
「君、前衛芸術って」狐狸庵は心細そうに「わかる?」
「え?」
O青年は肩をそびやかせて、
「当り前ですよ。前衛芸術がわからんようでは現代人とは言えませんからね」
そしてツカツカと、舞踊をやめた四人の男女にちかづき、このグループの指導者に是非お目にかかりたいと、臆面もなく言うたのであった。
待つこと、しばし、やがてグリーンのタイツの上に褞袍《どてら》を羽織り、襟巻を首にまいた三十七、八歳の男性があらわれる。これがリーダー土方氏。椅子の上にどっかとあぐらをかき、さきほどの男女や氏の片腕ともいうべきO氏にとりかこまれた。その有様は梁山泊《りようざんぱく》の面影あり。いや梁山泊というより秋田県の農家で生れたという氏の訥々《とつとつ》としたしゃべり方、その雰囲気はまるで冬の夜、東北の農家のイロリばたで若い衆たちが集まっている感じである。その話は深遠にして哲学的、かつ直観的にして飛躍的。前衛芸術などサッパリわからん狐狸庵はただ鼠のように小さくなり畏る。しばし、O青年と土方氏の問答をそのまま記述しよう。
土方「ぼくの考えはな……生活している状態そのものを、踊りへ移行しようとしているな。たとえば田舎じゃあ刈り入れと田植時だけが踊りだが草取りや水引きなどが踊りから除外されている。そのリズムはジャンプじゃないね。はじまろうとしてはじまらない状態だな。ぼくの踊りは祭りをぬき去ったようなものだ」
O青年(キョトンとした顔で)「リズムはジャンプでない? うんうん、リズムはジャンプでないことですね」
土方「つまりインポテントな状態だあ」
O青年「インポテントの状態。わかりますな。ぼかあ時々、酒のむと、そういう傾向になるから」
土方「そうだ……インポなリズム。田舎では……石の上に坐って……堕胎するぞ。その表現の踊り。だからぼかあ……黒人の踊りは嫌いです。……汗をかくような踊りや体中の血が逃げていくような踊りは好かないな」
O青年「インポなリズム。インポのリズム。うむウ」(顔をしかめて考えこむ)
土方「それにぼくは……ありがたさ、めでたさが物の中にないようなものを……表現したいね」
O青年「なるほどねえ。マルクス的な所もあるんだな」(うなずく)
土方「たとえば空腹。食い気の舞踊をやりたい。それから母親の背中におぶさられて寒くて、恐くて立っていられない恐怖。それもいい。また眠りね。子供がコタツの中で饅頭食いながらいつの間にか眠るような状態。ぼかあ踊りのクライマックスでも即興で眠るね」
O青年「ふむ。ふむ」
土方「棟方志功は行事や祭りと乳くりあっているところが気にくわんね。インポなリズムとは行事と行事の間に横たわっている草取りや労働ね……、その中で用意されている休息だね」
O青年「二十世紀の実存的な踊りだな。この考えは」
読者諸君はこのふかい問答をどこまで理解されたであろうか。O青年は成程、成程とうなずいている。一方、狐狸庵のほうはキョトンと狐に屁をかまされた顔をして坐っておるだけ。何が何やらサッパリわからんのである。狐狸庵には土方氏の前衛舞踊家というよりは、東北の農民的な表情を見ていると、そこに日本の農民の長い間の忍従というものがそのまま顔になったように感じられてくる。要するに土方氏は「インポなリズム」とか「めでたさぬき」というヤヤこしい言葉で言っているのかもしれんが、東北での幼い頃の感覚を手さぐりでポツリ、ポツリとしゃべっているように見える。重い石を背中に背負わされた男の恰好、そのにぶい苦しげな動き、それをリズムだと言うているのかもしれん。しかし、とに角、よくわからん。
O青年「ところで、銀座なんかで裸でおどられるが。あれは?」
土方「銀座では不幸になるからね。手当り次第、たべるものがない。人が多くいた方が安心して眠れるからな。素ッ裸になるのは衣装の欠落的過程を表現したいからです」
ますます、何を言おうとしているのか狐狸庵の鈍い頭では理解しがたくなっていく。
土方「要するにぼかあ、行為を含むものを一切、拒否したい……。一、二、三の号令で動くのでなければならないな」
O青年「なるほど、なるほど」
狐狸庵はおそるおそる舞踊のほうをみせて頂きたいとおねがいする。百聞は一見にしかずと思ったからである。
うむとうなずいて上半身、裸になった氏と、パンツ一枚の青年とが、さきほどと同じように床にころがり、両手をあげ、あるいは太鼓に首を入れる。時刻はもう午前二時ちかい。
「君、わかってんの」
狐狸庵はオドオドしながら、O青年にたずねる。
「何ですって!」O青年はまこと軽蔑したような眼で狐狸庵をみて、
「実存的じゃないですか、実に実存的だ」
「そんなもんかなあ……」
「これがわからんようではダメだ。あんたは二十世紀の芸術的感覚がゼロだ。時代遅れだ」
狐狸庵はこの舞踊の意味を理解せんものと、眼を両手でコスリコスリ眺むれば……。
土方氏は壁を両手で押してウンウンとうめき、今度はギターを持って外に走り出て、
「ホイ、ホイ、ウォーッ」
と咆哮する。この声におどろいて寝しずまった近所の犬がワンワン、ワンワン、近所の人は何が起ったかとびっくりしたのかもしれない。
更に女の着物をひっかけた氏は、台所に入り、水道の蛇口をひねれば、水はジャアジャア流れ出る。
頭も顔もビショぬれになって現われ、今度は広間にあった大きな風船の中にもぐりこみ、その風船で体をすっぽり包み、床の上のあっちをゴロゴロ、こうちをゴロゴロ。
「どういう意味なんだ.教えてくれ」
狐狸庵たまりかねてO青年にたずねれば、
「まだわからんか。二十世紀の反抗を表現しているんです」
「そうかなあ。しかしあの水をジャア、ジャア流しっぱなしにしているのは」
「リズムの破壊です。普通のリズムを水に流しているんです」
「ふむウ」
O青年の説明ではますます、ワケがわからなくなってくる。
「とめてこようか、水道を」
「なぜです」
「水を出しっぱなしで、水道料がもったいない」
「あんたバカですか。この前衛的雰囲気がこわれますよ」
「そんなもんかなあ」
「そうですよ。とにかく俗人は温和《おとな》しくして下さい」
風船の中で芋虫のように転がっていた土方氏が苦しそうな呻き声を出す。ウ、ウーッ、ウオーッ。これがそのインポのリズムという奴であろうか。はじまろうとしてはじまらん状態の舞踊的表現という奴であろうか。
やがて風船から出てくると土方氏は玄関に走っていって、そこに偶然おいてあった握り寿司をムシャムシャたべはじめる。
「ねえ。これはおどり[#「おどり」に傍点]? それとも本当に寿司を食べているだけのこと?」
「うるさいなあ、さっき空腹の表現と言ったでしょう。あれですよ。わからんのですか」
O青年に小声で怒鳴られても、ワケのわからんものはどうもワカらん。頭の古い人間は仕方がない。
「やめだ」
土方氏は踊りをやめ、O青年とみなは拍手する。狐狸庵も拍手をする。
「まだまだ続くですが、途中ではしょりました」
「なるほど、なるほど」とO青年。
「ぼくだけがおどったんじゃない。君たちもおどったんだ」
土方氏は我々にそう説明する。そうか。こちらもおどったのか。道理で、心も体もクタクタになったような気がする。ドブロク飲んだあとのように頭が重く痛い。
「俺、さきに帰っていいだろうか」
小声でそっとO青年にたずねると、
「帰んなさい、帰んなさい。あんたら俗人はさっさと引きあげればいいんだ。ぼくはね、朝までこの芸術とつきあうぞオ」
吐きすてるように怒鳴る。
コメカミを指でもみながら、そっと靴をはき外に出る。靴の中がビショビショだ。土方氏がさっき玄関に行った時、この靴の中に水を入れたのかもしれない。しかしそうであってもそれは前衛舞踊の一つの仕草だから、文句をいうすじ合いではない。ねしずまった路を歩きつつ、狐狸庵はふかい溜息をつく。