江戸は雑司ケ谷に天真道|至心《ししん》会という道場があり、この道場では五十人もの男女を集め、悉くこれを催眠術によってコロリ、コロリと眠らせてしまう——。
こういうふしぎな話を耳にして、O青年が息切らせながら狐狸庵に駈けこんできたのは、二月にしては珍しく暖かい午後のこと。
折しも狐狸庵先生は例によって例のごとく、ひじ枕でうつら、うつらとうたた寝をしている。陽差しポカポカ、盆栽の梅ものどかに咲きほこりけり。
どうも、こういう書き出しは時代小説『旗本退屈男』か『人形佐七捕物帳』の真似みたいで、よくない。
「その至心会の道場主は田村霊祥と言われる人でね」
O青年はふところから紙を出して得意顔に読みあげる。
「なんでも、明治二十三年に生れ、若くして郷里館林を離れた後、官吏として朝鮮にあった時、徐晦輔《じよかいほ》という翁から、東洋古来の深遠にして高大な哲学を学ぶ。かくて官職を退き、現地の烽台山《ほうたいさん》にこもり修行すること数年、独自の信念を胸にひめて東京に戻り、昭和二年、霊感によって天真道教団を創立、道主となったお方である、と」
「その道主が五十人の人間を集めて、コロリ、コロリと眠らせるのかね」
はじめて狐狸庵は眼をあけ、何か考えこみながら、そう訊ねると、
「そうですよ。僕ア、この眼でチャンと見てきたんだ。バッタ、バッタとみな冬の熊のように眠っていったんです」
「ふむ。しかしその連中、道場でかり出したサクラではなかろうかの」
「飛んでもない。そんなことはありませんや。もし、そう疑うなら、こっちから人を集めて、連れていけばいいじゃないですか」
「同じ集めるなら、若い女の子がいいの」
「なるほど」
「コロリと眠った時、美しい娘たちがどんな顔で眠るか、それが見たいな。イ、ヒ、ヒ、ヒ、ヒ」
四日後の夜、狐狸庵はO青年と五人の若い女の子とにつれられて、雑司ケ谷は至心会の道場を訪《おとな》った。
五人の若い女性はO青年の言葉をかりるならば、いずれも彼を心の底から慕うている娘たちだそうで、世の中には奇特な女もあればあったものである。名前もキミ子にサチ子にヨシエにイスズにベレルと言う。
「キミ子やサチ子はとも角、イスズとかベレルとかは、少し名がつき過ぎているようだが」
「いや、あれは、僕が彼女たちを呼ぶ時の愛称で、マイ・ダーリンと言うような意味です」
狐狸庵はニッコと笑い、イスズとベレルとの二人をそばに呼びよせ、
「それではイスズちゃんにベレルちゃん」
「はい」
「もしもねえ。君たちがねえ、田村霊祥先生の催眠術にかからなければ賞金をあげるんだけど」
「ほんとですかア」
イスズは眼をかがやかせて飛びあがり、
「くれるの? 賞金」
「あげるとも。あげるとも」
「嬉しいな。ランランランラン。嬉しいな、ランランランラン」
狐狸庵の考えはこうであった。狐狸庵は今日まで催眠術が決して奇怪な魔術ではなく、心理的法則に則した技術であることを承知しておる。教育大学の心理学教室でもその実験をみたことはあるし、九大の医学部の心療研究室ではこの方法を使ってさまざまな病気を治療していることも聞いている。つまり催眠術に毫も疑うところはない。
だから、今日、狐狸庵が田村霊祥先生の道場で見たいのは、「かからなければ賞金をやる」というような一言が、若い女性にどういう心理的効力を及ぼすか——若き女性の物慾、はたして催眠術に勝つか——催眠術の暗示力、賞金を狙うイスズやベレルを圧するか——という興味しんしん、サスペンスに富んだ闘争なのである。
彼女たちは口々に、あたしたちが頑張れば賞金をせしめられるのよ、とたがいに励ましあっている。あたし耐えるわ、どんな術をかけられても耐えるわ。あたしもよ。頑張りましょうね。手に手を握りあって激励しあうその姿、まこと、大和《やまと》なでし子の雄々しさ、思わず胸うたれるのであった。
さて道場におもむけば、電燈煌々としたる大広間に既に二十人ほどの人々が集まっている。中年の婦人あり、学生あり、サラリーマンあり。この大広間の正面には天真道教の祭壇がある。
霊祥先生、羽織、袴に威儀をただし、片手に棒を持たれ、しずしずと着座し、先年、某所にて講演、実験されたスライドを白布にうつさせて説明をされる。狐狸庵はこれが、既に催眠術をかける前に必要な準備だとすぐわかった。
つまりスライドで誰もがコロリと催眠状態に入る模様をみせておき、この力の威大なことを暗示するのである。
「では、実験にとりかかりますかな」
スライドが終ると、そういわれた先生、我々の中から一人、椅子に坐るよう命じられた。さきほどのベレルちゃんが少し不安げな表情で、着座する。彼女に催眠術をかけるのは霊祥先生ではなく弟子のT氏である。
狐狸庵はポケットから急いで百円銀貨二枚をよりだし、ひそかに掌に握りしめた。(その理由はあとで書く)
「さあ、肩の力をぬいて。両手をこう、そろえて、指先をじっと見つめてごらんなさい」
T氏はベレルちゃんの両手を合わせ、その指の先端を注目するよう命じた。あとでわかったのだが、これは催眠術の最初の準備で、一点を注視することによって心を集中させ、視神経に軽い疲労を与え、脳に一寸した貧血作用を促すのである。
「はい、カカろうとか、カカルまいとか考えず、楽ウな気分で……両手をこう……じいッと見ていると……おのずと……あなたの手は近づいていきますよ」
T氏はやさしく、しかし力ある声でベレルちゃんにそう命ずる。ベレルちゃんは必死になって両手を見つめている。
「さあ、だんだん、近づいていく。手と手に磁石がついたように……近……づいて……近……づいて」
狐狸庵、この時、掌の百円銀貨をベレルちゃんに聞えるようにチャラ、チャラッと鳴らした。つまり彼女の連想作用に訴えたのである。
この音がきこえるか。これは銀貨の音であるよ。彼女がこの催眠術にかからねば、獲得するであろう賞金の一部の音であるよ。
父よ、あなたは強かった。若い女性の物慾はすさまじかった。眼をとじかけたベレルちゃん、この銀貨の音を耳にするや、パッチリ瞳をひらく。
「だんだん、近づいていく。だんだん、近……づいて……いくウ」
T氏がいくら声を高め、声をひくめ、遠くから近くから暗示をかけるべく努力されても平気のヘイザ。ニタニタとうす笑いさえ浮べて一向に催眠状態に入らない。
「何をしておるのだ」
とたまりかねた霊祥先生、そばに近より、
「これまで」
T氏の術をそこで、ぴたりとさし止められる。ベレルちゃんはニッコリ、こちらをむいて指で丸をつくる。ショウキン、ヨコセの合図である。
「では、人まかせにせず、このわし自身が実験してごらんに入れよう」
今度は霊祥先生みずからの実験。キミ子にサチ子、ヨシエにイスズにベレル、五人の娘たちは円陣をつくって正座し、手と手をつなぐよう命ぜられ、
「わしが手を拍ったら、息を深く吸いこむ。また手を拍ったら、その息をしずかに吐く。わかったかね」
先生、手を叩けば五人の娘たち鼻穴ふくらませて息を吸う。また手を叩けば、口をあけて息を吐く。さながら金魚が水面にてパクパクしたような表情である。イスズの鼻の穴は鼻糞で真黒だ。これではお嫁にいけないであろう。
「かるウく……眼をとじ」
全員かるウく眼をとじる。
「両手を前にあげる」
狐狸庵ふたたび、この五人の娘たちにそれとなく聞えるよう二枚の銀貨をチャラチャラと鳴らせば、ふしぎや彼女たちの眼はパッチリとあき、玄妙なる先生の暗示に抵抗しようと必死である。
「私の眼をズーッと見て……ホッホッホー、まばたきをしない……ハイ眼をつむって、ホッホッホー、はいソレソレ、ソウソウ、よく分っておるじゃろ、ホッホッホー手が寄ってくる。ほれ、ほれ、寄ってきた、寄ってきた。ホッホッ、ホー」
寄ってきたと先生は言うが、五人の娘の手は相変らず動かない。その上時々、先生がホッホッホーと笛のような声を出されると、彼女たちの一人がたまらず吹きだしてしまう。まこと、こういう厳粛な場所で笑うとは失礼なきわみである。
「いかん。今晩はだめだ」
先生はうんざりした顔で、
「どうもワカらん。こんなことははじめてです」
狐狸庵は心のなかで先生に、申し訳ありませぬ。催眠術が決して非合理的なインチキではないことも、先生の術力の偉大さも充分、拙者、承知しております。ただ現代娘の物慾のすさまじさが催眠術を上まわったのです、とふかく失礼をわびたのであった。
それが証拠にはその直後、行われた集団催眠では大広間に集まった二十人の男女中、ほぼ七、八人が、先生の話をきいただけでコロリ、コロリと倒れていったのである。
この時はヒプノボックスという先生発明になる催眠器を一同、注目させられたのであったが、この催眠器はちょうど散髪屋の飴ん棒のように二つの色がグルグル絡みあって回転するもので、
「ほうれ、眠る」
先生、やがて促されれば、あっちでコロリ、こっちでドタン、中にはうしろの柱に頭をコツンとぶつける学生あり、あるいは狐つきのように体を震わせ、何やらわけのわからぬ言葉をつぶやく婦人あり、まことに催眠術の力の偉大さに我々も心をうたれた次第であった。
もっとも、かの娘たちはこの時も一向にかからず、会がすんだあと、
「賞金!」
「くれるんでしょ。賞金」
生れたての子雀のようにさわぎはじめたのには流石の狐狸庵もびっくりした次第である。
誤解のないようにつけ加えておくが、彼女たちが催眠術にかからなかったのは、先生及びT氏の術力の乏しさではない。
T氏はその後一週間ほどたって、狐狸庵の再度の願いに応じられ、別の五、六人の娘を相手に神技を披露されたが、その時はみごとやみごと、
「あなたは手が動かない」
そう一言、言うと、もうその娘の手は硬直して動かない。
「君はものが言えない」
そう言われると、その娘は金魚のように口をパクパクさせるだけで、言葉が口から出ないのである。
霊祥先生のお話によると、ノイローゼ、寝小便のたぐいはこの催眠術でピタリと治るそうであるから、先生が天真道という宗教に催眠術を普及させる仕事をやっていられるのは、計算された上ではあろうが、決して悪いことではあるまい。