世にも役立たず、人のためにも無益無用の我なれど、「年よりの古さよ」「時代遅れよ」と若い奴等に言わるるが悲しさに、時折、杖引きて、現代の空気にも触れてみんものと思い、モダン・ジャズ、モダン・バレーなど訪うてはみる。されど、
「爺さん、わかったかい」
唇まげたるO青年に言われ、苦虫かみつぶしたような顔になり、
「う、うん。オモチロかったの」
と答えてはみるものの、正直申せば何が何やらさっぱりにして、バケツ叩きたるようなエレキ・ギター、ドブ鼠の走りまわるようなモダン・バレー、これ悉く、わけのわからんことばかり。
諦めまして、世捨人、柿生《かきお》の里の草ぶかき庵《いおり》の中にたれこめて、古き書ひもとくか、小鳥の囀り聞くかしておりますと、頭はますます古くなる。
そこで本日、思いたちまして、東京の一角に住まわれます新しき抽象画家、交楽《まずら》竜弾画伯をおたずね申すことにした。
抽象画家は日本には雨後のタケノコのようにあるのに、なぜ交楽竜弾氏を選んだか。
このお方の絵に狐狸庵がホレこんだからか。さにあらず。実は狐狸庵、その日までこの御仁の絵は一枚も拝見しておりませぬ。
交楽氏を選んだのはまずその名が何やら舌を噛みそうな、それに何やら曰くありげな意味シンチョウに受けとられたからである。
第二には、聞きつたえると、このお方、頭の毛をジョリジョリと切られましてな、モヒカン刈りにしておられるとか。
それを知った時、狐狸庵、実は内心こう思いました。(ははア。このえかきサンはハッタリ屋さんとちがうかいな)
竜弾さん。ゴメンなさいよ。狐狸庵がそう考えましたのは時々、テレビや週刊誌に体中、絵具ぬって床にころげまわり、これを「芸術」と称するグループの記事などが出ておるからでございます。その絵をみた時、狐狸庵はこいつアハッタリだア、インチキだアと思うたものです。そのグループの一人に、やはり、あんたと同じようなモヒカン刈りをした青年がいましてな。だから連想作用がふと浮んだわけである。
一体、狐狸庵は、芸術家と称する青年がワケのわからん身なりや頭髪をするのが理解でけんな。あれは自分の実力をカバーするために人眼をひく恰好をするんじゃないかいな。いつぞや、やはり素っ裸になって、お尻の穴にロウソクを入れて「芸術だッ!」と称しているグループの写真もどこかで見たが、このお方たちのどこが芸術か、狐狸庵にはわからんばい。彼等、これをもって反俗反社会精神を、象徴しておるそうだが、われわれ俗人、社会人はこういう手合いを「阿呆か、キチガイか」と思うだけで、ショックを与えられぬ。ショックを与えられぬ以上、そこには芸術的要素がないのである。おわかりか、この原理。
それから洋傘さして、いつか宮城のお濠にドボンと飛びこんだ自称芸術家もいましたなあ。こんなのは、こっちに鑑賞[#「鑑賞」に傍点]しろと命ぜられたって鑑賞[#「鑑賞」に傍点]のしようがありません。もっともこのドボン氏、警察の干渉[#「干渉」に傍点]を受ける身とおなりだったが。
要するにモヒカン刈りなども狐狸庵みたい頭のふうるい爺イからみますれば、旧制高校生の長髪と同じこと——虚栄心か、ハッタリかのどちらかと思われる。
そこで、まず、こういうことを、あんた、どういう神経でおやりかの、という質問を用意しつつ、交楽氏のアトリエに伺ったわけである。
アトリエには煌々と電気が光り、四枚の大作が並べられ、赤いスポーツシャツ着た交楽氏のかたわらに、いずこより来られけん、三人の美女が腰かけておられましてな。聞けばお一人は交楽氏のフィアンセ。このお方は実にうつくしい娘御であるからO青年、例によって小声で舌打をした。
「チェッ、アンチクショウ、うめえこと、やりやがったな、チェッ」
「これ、馬鹿を言うではない」
きびしく、たしなめておきました。
あとのお二人も可憐というか楚々というか、狐狸庵若かりしならばミルクホールか活動写真でもおつきあい願っただろうと、そう思うほど。ところがあんた、この二人のお嬢さまが交楽氏の大ファンだとおっしゃいます。
「ほう、大ファン二人に、フィアンセお一人」
早速、質問にとりかかる。彼女たちはモヒカン刈りに惚れたのか。それとも交楽氏の絵そのものに熱をあげているのか。もし前者ならば、諸君ら、今日より全て頭髪の両側をジョキジョキ切りてモヒカン刈りにされるべし。あの頭髪は猫にまたたび[#「またたび」に傍点]と同じこと、娘心のどこかをくすぐるのかもしれません。
「フィアンセさん。あんた、このモヒカン刈りに惚れなさったかの」
不躾《ぶしつけ》は百も承知でこの質問、申しあげましたるところ、フィアンセのお嬢さまは花もあざむく美しい顔をハッと曇らせ給う風情、秋の紅葉《もみじ》にふりかかる時雨《しぐれ》を思わせる。
「ちがいます、ちがいます。あたし嫌なんです。このモヒカン刈り」
「ほう。おいやかの」
「この人に、よして下さいと何度も頼んでいるんです。一度は切るなんて約束したんですけど、駄目ですわ」
芸術家だって別に人眼をひくような恰好をすべきではない。芸術家なればこそ、人眼めだたぬ服装風態をなし、作品にこそアッと驚くものを織りこむべきではないか。このフィアンセの言やよし。同感、同感。
「そちらのお二人のお嬢さん。いかがでござる。大将のモヒカン刈り」
「まア。大将なんてひどいわ。あたしたち気にしてませんの。気にもならないの。むしろ彼らしくて。彼ならおかしくないわ」
ファンというものは有難いもの。何でもかんでも善く良くとって下さる。ファンは大事にしなければいけんの。
モヒカン刈りは、彼らしくておかしくないと言われ、狐狸庵、つぶさに交楽氏をながむれば成程、世のアカじみた、靴下の裏の臭き芸術青年たちとちがい、交楽氏の顔にどこか育ちのよさ、おっとりとしたところがあり、そのモヒカン刈りもそう嫌味ではなくなってきた。
「で、しょう」えたりや応と二嬢は声をつよめ、「彼がしたら、悪くはたないの」
「いやいかん。こんな奇矯な頭髪はいかん」
国粋主義者の狐狸庵はあくまで強情、日本文化のために断乎として首をふる。
「あんた、そんな頭はよしなされ。悪いことは言わん。結婚式やられるなら、その時、一緒に断髪式もやんなされ。一体全体、なんのためにそんな頭をしておるのかね。ああ、身体|髪膚《はつぷ》これ全て父母にうく。そう思われんかの」
「でも剃ったあとに、生命力が残るかなあ」
やさしい、むしろ女性的な声で交楽氏は頭に手をやって、
「ぼくは、これを作品と思ってるんですよ」
「作品ならば人を不断に驚かせねばならんが、そんなものは馴れてしまえば見る人も阿呆らしくなる。さっきから爺もその頭を拝見して阿呆くさと思うてしまいました。阿呆くさと思われる以上はゲイジュツではなく軽術だ。お切りなされ。お切りなされ」
何やらブツブツ口の中で交楽氏、切ればかえっておかしいと、断髪すすめた人は皆言うたなどと呟いておられる。
「でもねえ、ぼくは昔、女性のパンティをはいてみたことがありましたが、途端に性の意慾がなくなりましたよ。それと同じでこのモヒカン刈りをしていると生命感というか、生《なま》な生き方というか、そういうもんを感じるんです」
だが、狐狸庵、アトリエに並べられた四つの大作品をそっと窺うに、色彩、構図で交楽氏の狙うところはわかるが大きなものが欠けている。それは芸術作品に必要な緊張である。どうも、しまりが一本、欠けておるようだな。
「爺はこの絵はあまり感心せん。お嬢さんたち、いかがかな」
二人のお嬢さんのうち、一人が、
「あたしもこの作品、余り好きじゃない。こっちの小さい方のがいいわ」
なるほど、このお嬢さんはなかなか絵をみる眼をおもちだ。彼女の言う通り、大作よりも小品のほうに生命感のみなぎったものがある。
「ほうれ、ごらん。あんたがモヒカン刈りをしても効験《ききめ》あらたかならずだ。いい絵はどんな平凡な恰好をして描いてもいいものだが、悪い絵はどんなモヒカン刈りをしても悪いもんだ」
交楽氏は掃除用のモップで絵を描いたことがあったといったが、こういうことはモダーンでも何でもない。実にクダらんことだと狐狸庵は考える。
しかし、今日は交楽氏の作品よりも、むしろ人間を観察にきたのであるから、美しいフィアンセと並んだ交楽氏をチラッ、チラッと拝見するに、なかなかの美男子である。美男子というのは元来嫌味なものだが、交楽氏にはそんな嫌味はない。むしろ育ちのいいお坊っちゃんの要素があるようだ。
狐狸庵が折角の大作に歯にキヌ着せぬ批評をしても、
「そうかな。そうかなア」
ニコニコしながら聞いているところは人柄のよさというか、つきあいやすいというか、お公卿さまの御令息といったオットリさが感じられるなあ。
「ところでフィアンセさん。交楽さんとはどういう風に、婚約なさったのでございますか」
悪びれず、恥ずかしがらず、彼女は、
「姉が彼と高校の同級生だったんです。家に遊びに来て、翌日、プロポしスされました、そしてその日すぐ婚約したんです」
「ひゃッ、翌日!」とO青年は感嘆して、「翌日にはもう婚約か」
「だまらッしゃい」狐狸庵、O青年をかるくたしなめて、「人には色々、生き方がある。ごぶれいしました。で、あなた、どんな気持でござったかな」
「あたし」
と蚊のなくような声で、
「何が何だかワカんなくて。無我夢中で」
「そうであろう。そうであろう」
この間、交楽氏、耳のあたりをポーッと紅くしてうつむいている。その二人をみて、狐狸庵、感ずるところあり。
「交楽さん」
「はい」
「あなた、芯は気の弱いお方じゃな」
本当は更に突っこんで、あんたにはファーザー・コンプレックスがおありじゃないかなと聞きたかったのだが、それは失礼ゆえ言葉をひかえました。
「そうなんです。実は」
「そこで、御自分の気の弱さと闘うために色々なことをされましたな。たとえばそのモヒカン刈りもその一つでありましょう」
「そうなんです。実は」
「それなら、ようわかる。さっきからあなた、そのお髪に色々、ゲイジュツだの何だの理窟をおつけだったが、今、言ったようなことなら、はじめからそう説明して下さればよかったに」
話をしているうちに、狐狸庵、この交楽氏の心やさしい部分もだんだん、わかってまいりました。きけば彼は精神病院の患者を慰めるため、色々な恰好を彼等の前でやってみせたともいう。
「いい方だなあ、あんたは」
狐狸庵は、訪問前、この交楽氏にチョッピリ抱いていた疑惑が心のなかで消えるのを感じ、むかし読んだ小さな物語を思いだしました。一人の男が貧しい子供たちを慰めるため、道化となって逆立ちをしたり、ひっくりかえったりした物語を。
「ところで、最後に一つ質問」
「なんでしょうか」
「あなたのお名前は、どういう理由でおつけになられましたのかな」
交楽氏、気の弱そうな笑いをうかべて、
「読んだ時のイメージで判断して下さい。まあ、そんなお固いことを言わず、麦酒でも飲んで下さい」