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ぐうたら交友録87

时间: 2020-10-31    进入日语论坛
核心提示:変装人間の快感 もう、四、五年前になる。狐狸庵、ある日理由なく、突然扮装がしたくなった。知人にたのみ、茶の宗匠の着るよう
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 変装人間の快感
 
 もう、四、五年前になる。狐狸庵、ある日理由なく、突然扮装がしたくなった。知人にたのみ、茶の宗匠の着るような衣服に、白髪のカツラ、白い髭などを用意してもらい、それを身につけて鏡の前にたつと、一人のイヤラしい狐狸庵老人の姿がそこにうつった。
 妙な快感があった。その恰好で友人と一緒に東都に赴き、知っているあるビルの酒亭に入ってみようと思ったのである。ビルの一階でエレベーターを待っていると、ちょうど三階の酒場からおりてきた三、四人の中年紳士が、老人姿の拙者を見て、異様な顔をしたが、その一人が、
「こんな年寄りでも頑張っておる。我々も大いにやりましょう」
 と呟いたのは、甚だ可笑《おか》しかった。
 酒場では五分ぐらい、誰も老人が狐狸庵だとは気がつかなかった。声を出せばバレるし、動けば見破られそうだから、拙者はじっと椅子に坐り、友人が代って注文し、ホステスと話をした。周りの客もホステスたちもこんなところに場違いな白髪、白髭の老人の存在に困惑して、はじめはどのボックスも静まりかえっていた。そのうち、
「あれは——奴じゃないか」
 とヒソヒソ、わが名をあげて囁く声がきこえた。そして間もなく、全員がこの老人の正体を見破った。だが、見破られるまでの快感は言いようがなかった。扮装し、仮面をかぶることの興味を久しぶりに味わった。
 久しぶりにと言うのは、子供の頃、狐狸庵は、何かに化けることが好きだったからである。玩具の面、ひとつ、かぶれば自分がテングになった気がした。犬になった。セルロイドで作った犬の面をかぶり、四つん這いになってワン、ワンと言うと私は犬になり、我が家で飼っていた雑種の犬と話ができるような気持がしたのである。
 その楽しみは幼年時代が終ると消え去った。自由な変身を信じない馬鹿な年齢になったからである。少年時代とは俗悪な合理主義に一番おちいりやすい季節である。拙者は、テングになったり犬になったりするあの遊びを捨てた。それから歳月が流れた。そして狐狸庵、この年になって道を歩いている時、酒を飲んでいる時、ふと思うことがある。
「もし、自分が別の人間になれたら。もし自分が女になれたら……」
 扮装するということは、自分が別な人間に変るという……あの変身欲望のささやかなあらわれである。髭をつける。かつらをかぶる。道を歩く。向うから友人がくる、友人はすれちがった狐狸庵を狐狸庵だとは気づきはしない。その時の快感は言いようがない。
 この時の快感を分析してみると次のようなものになる。我々は他人という鏡を通して日常生活のなかで生きている。他人は拙者をみてそれぞれのイメージを持つ。Aは狐狸庵のことを「世俗を捨てた風流人」と思い、Bは拙者を「実は俗臭ふんぷんたる人物」と思い、C子は「イキで素敵なよい男」と思い——そういう風に私という存在は他人の持つ色々なイメージによって創られている(伝記文学の欠陥とはそんなものだ)。そうしたイメージの集積のなかで、拙者が「俺はちがうで。俺はあんたたちの考えている人間ではないでえ」と叫んでも、こりゃどうにもならんのである。
 変身したいという欲望の第一は、こうした他人の押しつけてくるわがイメージから逃れるということだ。
 それから、もう一つある。ある夕方、狐狸庵、ある女とぼんやり、窓の手すりに凭れて夕焼のうつくしい空に見惚れていたことがあった。
「きれいだのオ」と狐狸庵が言った。
「きれいねえ」と女が答えた。
 だがその時、狐狸庵、突然、こう思った。同じように夕暮の空をみて、「きれいだのオ」「きれいねえ」と同じ言葉を使いながら一人の女と一人の男の心理、別の思い出、いや、別の感覚でそれを受けとめているのかも知れぬ。ただそれを表現するには言葉があまりに貧弱で、言いたいことがあまりに複雑なため、同じように「きれい」と言っているのかも知れぬ。その時も狐狸庵、一生一度は女になってみたいと思った。女の感覚で一日だけでもいい、夕焼を、町を、世界を味わいたい好奇心に駆られた。
 
 前から興味ある人が一人いた。
 その人は美学者だった。狐狸庵が若かりし頃、学んだ三田の慶応義塾で美学を講じられている文学博士である。狐狸庵は不幸にしてその御講義には出席しなかったから、後輩にきくと、浮世絵と仏像の授業はとりわけ面白かったという。
「謹厳な先生で」とその後輩は言った。「時間通りピタリと来られ、最後まで授業をきちっとなさいます」
 その美学者、渋井博士は明治三十二年のお生れというから、今年、七十一歳になられる。だが博士に狐狸庵が前からお目にかかりたいと思っていたのは、もう一つ別の理由《わけ》があった。
 あれはたしか、昨年の春だったと思うがある女性週刊誌に先生のことが掲載されていたからである。それによると七十一歳の先生は、夜になるとカツラをかぶり、サングラスをかけ、細身のズボンをはかれて、二十代の青年の恰好をされ、夜の新宿に出て若い男女とダンスをされると書いてあったからである。その記事を読んだ後輩は「信じられぬ」と首をふった。教室でのきびしい御授業からみて、先生がそんな物好きなことをされるとは信じられぬと言うのである。
 だが狐狸庵には、それがなぜか本当のように思えた。先にも書いたように、扮装や変身に多少の興味も経験もある身だったから、先生が「昼は謹厳な」方であればあるほど、それと百八十度ちがった扮装をされる御気持もありうることだし、そうして楽しまれることもわかるような気がしたからである。
 それ以上、狐狸庵はむしろ感動した。七十一歳といえば、普通なら盆栽チョキチョキ、茶器でもいじるのが好きな年である。その七十一歳で、夜がくれば二十歳代の若者の扮装をして新宿を遅くまで徘徊する先生を何と好奇心のつよい人だろうと思ったのである。
 狐狸庵はその時、ふと、亡くなられた奥野信太郎教授のことを思いうかべた。奥野教授もまた周知のように、亡くなられるまで非常に好奇心の旺盛な先生だった。そして亦、先生は自分で楽しみを見つけることを知っておられた。狐狸庵は先生に二、三、酒と肴のうまい店を教えて頂いたが、それらはいわゆる食通などの書く本には絶対にのっていない、渋谷や新宿のガード横にある小さな汚い店だった。小さな汚い店であったが、実際、訪れてみると美味だった。その時、狐狸庵は先生がこの店を発見されるためには、自分の足で二十軒、三十軒の同じような店を歩きまわられたにちがいないと思った。そしてまた先生は他人の舌ではなく、自分の舌で味わうまでは承知しない本当の食通だと思った。
 渋井博士の話を聞いた時、同じことが狐狸庵の心に浮んだ。この人はタダ者ではあるまい。七十一歳まで好奇心を失わず、しかも自分だけで楽しみを発見する人は稀だからである。以来、渋井博士にいつかお目にかかりたいと思うようになったのである。
 
 その機会がやっと来た。狐狸庵がお目にかかった先生はその日は残念ながらカツラにサングラス、細いズボンという扮装ではなくて、しゃれた老紳士の服装であった。そして狐狸庵が先生のお話をうかがい、先生行きつけの店にお供する段になると、先生は、
「ぼくのことは今から先生と言わないでくれ給え。ヨノちゃんと呼んでくれないか。新宿ではぼくはそういうことになっている」
 恐縮して狐狸庵がうなずいたあと、先生は一軒のスナックにまず入られた。外人をふくめた五、六人の若い先客で店はもういっぱいで、ステレオがガンガン鳴っていた。先生より若い狐狸庵が、頭が痛む感じなのに、博士は嬉しそうに、その細長い指でリズムをとっておられるのである。
「ヨノちゃん、この間、もう一度、くるくるって言って、来なかったじゃんよオ」
 若者の一人が言った。
「ヨノちゃん、あんた、土建屋だろ」
「土建屋か。そう見えるかい」博士は苦笑しておられる。「そう見えるかねえ」
「ヨノちゃんとゴオゴオ、おどったことあるかね」
 と狐狸庵、そばの女の子にきいた。新宿を夜おそくまでウロウロしている女の子の一人である。
「おどったわよ」
「うまいか」
「すごく、上手。ヨノちゃんは体がやわらかいんだわ」
 このスナックの若い男女はヨノちゃんが浮世絵と仏像を講じる謹厳な大学教授だとは知らない。もちろんヨノちゃんもそんなことを一言も言う筈はない。若い連中は一体、この七十一歳の老人を——そして毎夜、二時ちかくまで自分たちと同じゴオゴオ酒場やスナックや裏路を徘徊する老人をどう思っているのであろうか。
「やはり、午前二時になると、くたびれますねえ。だから帰りますよ」
「でも、毎晩、来られるんでしょう」
「ええ。毎晩、来ます」
 
 先生は下町っ子である。向柳原——と言っても今の読者にはおわかりにならぬかも知れぬが、浅草橋のあたりである。
 先生は子供の時から皆と一緒に遊べぬ子だった。一寸お目にかかっただけで、こんな想像をするのは失礼かも知れぬが、狐狸庵はスナック・バーのなかで先生の幼年時代のことを一寸考える。下町の裕福な家庭のなかでおそらくお祖母《ばあ》さんっ子だったから体もあまり強くなく、近所の悪童たちと一緒に遊ぶには、気だてがデリケートで、みんなから大事にされても結局はついていけないそんな幼年時代を先生は送られたのではないか。そんな幼年時代を送った子供は、たいてい自分一人だけの遊びをみつけたり、あるいは動物のなかに友だちを見つけるのである。
 こういう子供は小さい時から美しいものに敏感である。狐狸庵のところにくる一人の青年にもそんな男がいる。彼は子供の時から自分だけの夢の世界に逃避しよう、しようとしていた。その夢の世界とは、大人が決してこわしてはならぬ、大事な美しい世界である。
 先生はその点、何もおっしゃらなかったが狐狸庵はこんなことを空想する。下町育ちの先生の家の土蔵にはおそらく沢山の浮世絵や錦絵があったのだろう。子供の時先生はその土蔵のなかでこれらの絵のつくりだす幻想の世界を楽しまれたことだろう。先生はまた大人たちにつれられて小さい時から芝居小屋によく行かれたろう。今の東京都民にはそういう習慣はすっかりなくなってしまったが、下町の大きな商家では、巴里の人が週一回、芝居を見に行くように、歌舞伎に出かけたのである。そんな雰囲気のなかで先生の感受性がどう育てられたか、狐狸庵にもおぼろげながらわかるような気がする。
「ぼくは」と先生はふと言われた。「その頃、虫が好きでした。みんなとあまり遊べなかったものだから——当時の下町にはまだトンボや蝶々が沢山、とんでいまして……ある時、あの黄色と黒との鮮やかな女郎|蜘蛛《ぐも》に夢中になって、この女郎蜘蛛を家に持ってかえったんです。もちろん、叱られましたけれどね」
 女郎蜘蛛のうつくしさはどこか浮世絵の彩色に通ずるものがある。妙な生命力とそれからデカダンスの美とがまじりあったあの恍惚感が女郎蜘蛛の黄色と黒とのなかにまじっている。
「それ以後、ぼくは女郎蜘蛛をずっと忘れていましたが……年をこう、とって、ある夜、新宿に出て、ふたたび女郎蜘蛛のうつくしさを発見したんです」
「え?」
「十六、七の少女たちですよ。真夜中の新宿に集まってくるあの十六、七の少女たちのなかに、子供の頃みた、女郎蜘蛛のうつくしさを見つけたんです」
 先生はこの言葉をまるで歌うように言われた。その時、先生のなかに大正時代のロマンチシズムの匂いを感じた。我々がもはや持っていない、あの大正から昭和はじめの文学に残っているロマンチシズムの匂いである。
 
 少年時代に先生を恍惚とさせた鮮やかな色彩をもった女郎蜘蛛、そのイメージを夜の新宿に群がる少女たちのなかに見つけて七十一歳の渋井博士は二十代の扮装をして、あちらのスナックや、こちらの酒場を歩きまわる。
 扮装をするのはもちろん、少女たちの世界に同化したい欲望からだ。だが同時に、先生の頭のどこかに死の意識がまつわりついているからだと狐狸庵は思う。七十一歳という年齢に死の意識がまつわりつかぬ筈はない。先生が少女たちと一緒に酒をのみ、ゴオゴオをおどるのは、御自分が今日、一日一日、失いつつある生命を少女たちによって忘れるためであり、そしてまた、十六、七の少女たちの持っている言いようのないあのエネルギーや生命力を吸いこみたいという衝動ではないかと狐狸庵は考える。
 そのことは、先生の次の言葉から感じられる。
「ぼくは十六、七歳の娘でないと嫌なんです」
「二十歳の娘では?」
「二十歳の娘は興味がないんです。ふけています。女のなかで一番、うつくしいのは十六、七の娘です。あんなにうつくしいものはない」
 子供から大人に変る十六、七の少女たち。まだ完全に彼女たちは大人ではない。なぜなら大人になるということは既に凋落と下降と衰弱が同時にはじまることだからだ。彼女たちはまた、固い、青くさい子供でもない。十六、七の少女は人間のなかで一番生命力と美とが花のように匂う短い期間である。先生がそれを本能的に感じられたのは、先生が美に生きる人であるからだが、同時に七十一歳のお年齢《とし》であるためだ。二十代や三十代や四十代には、まだ十六、七歳の少女の微妙な生命感や美しさを吸いあげようとする気持はない。
「ぼくがおどるでしょ。おどる時は向うもこちらも黙っています。声を出さぬから年齢も感じない。だから彼女たちもぼくを二十代と思いながらゴオゴオをおどってくれるんです」
「なるほど」
「やがて年齢を忘れて彼女たちがぼくに好意をもってくれる時がありますね。そんな時、変るんですよ。彼女たちが」
「どう変るんですか」
「首からあごにかけてが、ほのかな薔薇色になるんです。匂いも変ります」
 狐狸庵は感動しながらこの七十一歳の老美学者の話をきいていた。今日までこの事実を全く知らなかった。狐狸庵が感動したのは先生の話というよりは、自らの人生の短さを自覚した老人の感受性にたいしてである。
 先生はこの時も歌うようにしゃべられた。
「けれども……」
 けれども先生にはやはり勝てぬ瞬間がくる。扮装は結局扮装なのだ。仮面はやがてぬがねばならぬ、シミのついた皮膚、皺、肉のそげた四肢、そういう現実が悪魔のように嗤《わら》う瞬間がくる。
「その時、彼女たちの意識がさめます、彼女たちが離れます」
「その時、先生は孤独でしょう」
「ひどく孤独です」
 狐狸庵は背すじに震えが走るのを感じた。悪寒《おかん》ではない。先生のその時の孤独が自分にもなにやらわかったような気がしたからだ。
「そして?」
「そして、また翌日、あたらしい女郎蜘蛛をさがして新宿にくるんです」
 先生とその夜、その新宿でわかれた。狐狸庵は何やら一篇のすぐれた短篇を読んだあとのようた気持でふりかえった。先生は歌舞伎町の人ごみのなかに姿を消した。
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