その人は私のそばにいる「潮」編集部の若い人に説教しはじめた。
「あんたのような事をしてたら、金は貯らんで」
「なぜですか」
「本当はここに来るにも、駅から何もタクシーに乗らんでバス使《つこ》うても良かったのや。それをあんた、わたしをつれてタクシーの……それも小型やなく、中型に乗りましたやろ。小型の乗場に五人ほど客がたっとったさかい、わしはその時、思うたんや。ああ、ああ、僅か五、六分待っても小型に乗れば十円か、二十円、うくのに、この人、モッタイないことしはるなあ。こんなことでは、お金《あし》に羽がはえて逃げていきよるわ……」
編集部のその人は私の顔をみてマイッタという表情をしてみせた。私もさっきからマイッタ、マイッタと言う気持だった。
日本一のケチ男に会いたいと言うのが私のかねての宿願で、前からそれを編集部に申し入れていたのである。そしてその結果、編集部は、この西岡義憲さんに白羽の矢をたてたのだ。
何しろ西岡さんは現在、四億の資産がある人である。
それも若い頃は巡査をやっておられ、自分で衣料品問屋の店を持たれたのは中年をすぎてからと言われるから、いかに彼がゼイタクをせず、せっせと貯蓄に励まれたか想像できるだろう。
明日が大晦日という日、私は仕事で京都に来ていた。本来ならば、私が大阪の西岡さんのお店なり、芦屋のお宅に伺うべきなのであるが、どうしても時間が作れない。で、失礼とは思ったが、編集部の人に御自宅までお迎えに行ってもらって、私の投宿しているホテルまで御足労願ったのだ。
ところが京都駅をおりて、編集部の人は私との約束時間に遅れるといけないと思ったのだろう、駅前の客の並んでいる小型タクシー乗り場をさけて空車のある中型乗り場に行った。
西岡さんはそれがモッタイない、モッタイないと口惜しそうに言われるのである。
「たった十円、馬鹿にしたら、あきまへんで。十円かて積もれば百円になる。百円は千円になる」
わたしはねえ……と西岡さんは一つの例をだした。「電車に乗りますと、必ず左右を見ますねん。あみ棚も見ますねん。すると客の読み捨てた新聞があちこちにありますやろ。わたしはアレを集めて家に持って帰りますウ。家族にもさしてます。それを集めて屑屋に売るんやったら、誰かてすることや。だがわたしは人と話をしとる時、テレビを見とる時、遊んどる手を働かせてこの新聞の皺をば奇麗にのばし、キチンとたたんで、配達された時と同じよにしときますねん。するとそれを買う屑屋かて気持をようして、十円、余計にくれまんがな」
「その十円が大事だす」
私は何だか子供の時、読んだ二宮尊徳の話を聞いているような気がした。遠い昔のことであるいは記憶が間違っているかもしれないが、二宮尊徳も子供の頃、道におちている縄一つでも拾って、それをキチンと集めていたそうである。
貧乏人の見栄っ張り。金持のケチという言葉がある。
貧乏人ほど浪費家が多く、やたらと見栄で友だちに奢ったり、身分不相応なものを買ったりするそうだ。六畳一間のアパートに生活しているのにカラーテレビやトランジスタラジオを買ったり、なかには車まで持っているのは日本人だけだそうだが、私をふくめてそんな連中は、生涯決して金持になれぬものらしい。
それにくらべて金持はたしかにケチである。実はこの西岡さんと会う前々日、私は京都でも指折りの金持の家を訪れたのだが、立派な応接間で一時間、私が出されたのはたった番茶一杯だけだった。前日、私はこの家の娘姉妹に食事を奢り、彼女たちはそれこそパクパクたべたくせに、いざ逆に自分たちが饗応する段になると番茶一杯というのは余りといえば余りだったという話をすると、西岡さんは我意をえたりとうなずいて、
「わたしの家でもお客さんには、番茶しかだしません。その代り、何もおもてなし出来んで失礼しますと言います。言葉はいくら言うてもただやからな」
西岡さんは現在、船場問屋の連合会会長である。年齢はうかがうのを忘れたが、六十代ぐらいであろう。だが先にも書いたように大阪で長い間、警官として働いていたこの人が巨額の資産を貯いえたのは「一円を笑うものは一円に泣く」「貧乏人は浪費をし、金持はケチなり」という鉄則を守ったからである。
「あんた、金を貯めるということは、己に克《か》つということですっせ。欲しゅうても我慢する。飲みとうても飲まん。これは努力がいりますウ。たとえばあんたはんのその着とられる洋服、いつ買われたんでっか」
「さア。昨年かなア」
「ごらん。わたしのこの洋服は十年前のものや。十年前でもキチンとしてまっしゃろ。わたしは毎日、ブラシ、かけますねん。あと二十年ぐらいは使うたろと思うてます」
「その靴は?」
「これは二年前です」
「大分、イタんどるな。使い方が悪いのや。わたしら、路あるく時も靴がイタまん所をえらんで歩くから、これで五年目やが、まだはけますな」
私は編集部の人の顔をソッと見た。これは大変な人に会ったという気持である。さっきから、こちら二人は叱られてばかりいる。取材どころではない。
ようし。そんならこっちも負けるもんか。向うがケチなら、こっちもケチでいこう。そう思ったからちょうど食事時、ホテルの和食堂で鰻を食うことにしたが、椅子に腰かけてから私はこう言ってやった。
「特、上、並と三種類ありますが、西岡さん、我々は並でいいでしょう」
「ああ、結構。何も特を食うことはおまへん。しかしゼイタクな話でんな。(女中が持ってきた鰻をみて)こんなところは栄養がないワ。うちではこんなもん食う時、ハンスケかカモの皮買わしまんねん。栄養ある上、安いさかいな」
「西岡さんは毎日、どんなもの食べておられますか」
「朝はトースト一枚。それに紅茶バッグあれ一袋で三人、使えますからな。三人を一袋でやっとります。昼はうどん。夜はハンスケみたいなもので一汁一菜」
「そんなもので栄養とれますか」
「よく噛む。噛めばみんな栄養になります。噛むのは金がかかりません」
食事が終ってロビーで編集部の人がケーキと紅茶をたのむ。食堂で少し漬物を残したため、
「あんた全部、たべなさいな。残してカッコええとこ見せる必要ないがな」
と叱られたばかりの私たちは紅茶も全部、飲みほし、ケーキもすべて平らげて、
「今度は文句ないでしょう。西岡さん」
いささかザマミロという気持でそう言うと彼はジッと皿をみて、おもむろに首をふった。
「まだケーキを包んだ銀紙が残ってま。わたしなら、その銀紙、持って帰る。子供の運動会の時、役だちまんがな。弁当箱のおカズをつつめます」
「はアー」
もう恐れ入るばかりなり。
「それにあんたら、さっき鰻食うたあと、食堂を手ぶらで出ましたやろ」
「へえ」
「その心がけが悪い。わたしはこのように(ポケットからいつの間に取ったのやら、爪楊枝《つまようじ》十本とマッチ三コを出して)ちゃーんと、もろうて来てます。この爪楊枝かて家に持ってかえれば使える。マッチのジクかて、あんたらさっきからポンポン捨ててるようやが」
「いや、捨ててません。勿論、火をつけてから捨ててますがな」
「あれを持ってかえりなされや。風呂たく時、ツケ木の代りになりまっせ」
私は思わず吹きだしてしまった。
しかし話をきいているうちに、私もケチが面白くなってきた。ケチをやると言うことはアイディアがいる。それにユーモアがある。たとえば西岡さんはこう言う。
「うちの娘の普段着など、私の洋服の裏地で作ってやりましてん。イヤや言うてましたがな。嫁にいってから、その精神がわかったと申してます。店の者にも歩けるところは電話かけたらいかん。歩いて用を言いに行け、京都、名古屋への用件なら急用でない限り、電話代より葉書のほうが安うつく、コンポウの縄も全部、捨てるな、そう命じてます」
「それで、店の人がやめませんか」
「やめまへん。若いもんはなキビしゅう仕付ければやめまへん。甘やかすとやめるもんだす」
こういうのは生活訓である。合理的である。
「よし、俺も今日からケチになるぞ。君もなれよ」
編集部の人にそう奨めると、この人も大きくうなずき、一九七〇年はケチに徹すると誓った。その二人の決意を満足げに笑いながら聞いていた西岡さん、ケチ志望の初心者に与える四ヵ条の秘伝を教えてくれた。
読者にもお伝えしよう。
一、収入が入れば考えこまず、全部、銀行に入れよ。人間、金がなければ何とかする。決して死にはせん。手元にあるから使うのである。
二、株に手を出すな。銀行に入れろ。貯ったら当分、土地を買え。
三、一円が十枚たまったら十円にすぐ変えよ、十円が十枚たまったら百円にすぐ変えよ。百円が十枚たまったら千円札に変えて銀行に入れよ。人間、小銭だとすぐ使う気持になるが、これが札《さつ》になると使う気にならぬからである。(西岡さんは私の小銭入れをみてその心がけが全くないと叱った)
四、誕生日、結婚記念日などで女房、子供が何ぞ買ってくれと言ったら「次の収入の時、買ってやる」と言え。そうすれば(と西岡さんはニヤッと笑い声をひそめて)そのうち女房、子供も自分の言いだしたことを忘れます。
以上の四ヵ条がケチを今年から志す初心者向けの第一課程なのだそうである。
西岡さんは更に続けて、
「金使いの荒いのとシマリ屋とはこれは生れつきでんなア。だから、わたしは店の者を採用する時も、学歴とか成績表は見ません。その代り……小学校、中学校の時、使うたノートと鉛筆もてこいと、こう言いますウ」
「ほオ……それは何故ですか」
「そりゃ、あんた鉛筆一本、見ただけでわかりますがな。チビても小そうなっても鉛筆大事にとっとく男はこれ、シマリ屋や。わたしはその男は経理の方に採用しますねん」
「なるほど。で金使いの派手なのは」
「外交のほうにまわします」
そう言って西岡さんはニヤリと笑った。
「しかし、あなたのようなやり方だと友だちとつき合えなくなるでしょう」
西岡さんが映画も芝居もほとんど見に行かぬというので、私は彼が友人とどのように交際するのか、興味をもった。
「交際でっか。相手を見きわめます」
「と言うと」
「相手もわたしと同じシマリ屋やったら、ワリカンでつき合います。相手が金使いの荒い男やったら……何とか口実つけて、逃げることにしてますねん」
「はア。逃げることに」
「当り前ですがな」
「しかし店の経営上、客を接待することはあるでしょ」
「これは、あんた違います。この接待は儲けるための接待や。だから言うなれば、こっちが奢っとるんやない。向うが奢っとるようなものですがな、接待した分の十倍、儲ければええのですがな」
西岡さんの話によると船場というのは大体、シマリ屋精神で貫かれているという。ただ、自分はその中でも格別、シマリ屋なので有名になったのだと呟いた。
「だから、わたしの家は家計簿などありません。大体、あんた、家計簿には収入と支出と二つの項目がある。うちは出費さえ睨んどけばええのや」
「あなたが家庭のなかで一番、出費するので残念だと思っているものは」
「電気代でんなア。ほんま。正直いうて一部屋だけに灯つけて家族はそこだけに集まって、あとは全部、消せばええやねが、そうもいかんわ。子供は独りで勉強せねば気が散る言うし、夜中、便所のそばの廊下には灯もつけとかなあかんし——電気代だけはかかるなあ」
「あなたの考えでは、今の若夫婦は、全部でいくらあったら暮せると思いますか」
「二万五千円で暮せます。それ以上は貯金すべきですウ」
私は最後に西岡さんに、最も聞きたいと思っていた質問をした。
「しかし……西岡さん。あなた、何のためにそう金を貯めるんですか」
この質問は今まで色々な人からされたのであろう。彼は大きくうなずき、あごをひきしめて力強く答えたのである。
「金を貯めるのに何のためか[#「何のためか」に傍点]、考える必要はあらしまへん。とにかく貯める[#「とにかく貯める」に傍点]。貯めるために貯める[#「貯めるために貯める」に傍点]」
「うむッ」
今日まで私も色々な人物と出会ってきたが、しかし今日の西岡さんのような発想法をする人に会ったのは始めてである。
他人からの影響をすぐ受けやすい私は、もうすっかり面白くなり、先ほども書いたように、今年はこの人を師として自分もケチに徹しようと考えたのである。
西岡さんと同行した「潮」編集部の若い人も、自分もケチ男に変身すると宣言したくらいだった。
だが東京に戻って、一週間、ケチに徹するべく努めて見たが、諸君、これはなかなかムツかしいものである。マッチ一本すってもその燃えかすを取っておくだけでも努力を要する。家の者には、
「新聞の広告も捨てるな。あとで包紙にする。封筒だって裏返せばメモになるぞ」
西岡さんに教えられた通り、やってみたが、それは手数がかかる。くたびれる。外に出ればできるだけバスもタクシーも使わず、「靴のへらぬ場所をえらんで」歩いてみたが、結局は足が棒みたいになって帰宅するとグッタリだ。
「ほれ、ごらんなさい。いい加減にすればいいのに」
家人に笑われ、結局、一週間後にはモトのモクアミになってしまった。
私と同じようにケチ男に変身すると言った編集部の人のほうは、どうなったか、まだ聞いていない。