窓ガラス(19)
だんだん春になって陽射しが明るくなってくると、私は毎年窓ガラスを見てため息をつく。いままで日の短さと光の柔らかさにごまかされていた、窓ガラスの汚れがくっきりと浮かび上がってくるからである。大掃除でちゃんと磨いたはずなのに、明るい陽射しのもとで見ると、雑巾でふいたあとがしっかり残っている。もともと掃除が嫌いで、嵐と共に横なぐりの雨が降ってくると、
「これで窓ガラスを磨かなくてもいいや」
と安心してしまうくらいだから、きれいにしたつもりでも、他人から見たら相当ひどいものなのだろう。
私が小学校の低学年のころのことだった。母親と一緒に買い物にいく途中、彼女は顔見知りのおばさんの家の前で立ち止まった。そのおばさんはいつもつんとあごを上げて歩いているような人で、私は好きではなかった。
「ほら、ごらん」
母親はおばさんの家の窓ガラスを見ながらいった。
「ここの奥さんは好きじゃないけど、いつもあんなに窓ガラスをピカピカにしていることだけは感心しているんだよ」
私は、「ふーん」といいながら話を聞いていたのだが、そういわれてよく見ると、うちではカラスを磨いても桟の角の部分にちょっぴり汚れがたまっていたが、そこの家の窓枠にはきっちり四角形のガラスがはまっているように見えたのだ。
そして自分の部屋を借りてからは、いかに窓ガラスをいつもピカピカにしておくのが大変かわかった。あのおばさんは、丸一日にかけてガラスを磨いていたのではないかといいたくなってくる。へたをすると磨く前よりも汚れなったりするのだ。曇りの日に新聞紙で磨くといいとか、ゴムベラみたいなものでこすりとるのがいいとかいわれていろいろやってみたが、どれもうまくいかない。
今ではほとんどサジをなげてしまう、透明度がいまひとつの窓ガラスを見ながら、春の大嵐を期待している状態なのである。