私は知り合いと、昼間、お芝居を見にいったときのことである。最初はおなかはすいていなかったのに、時がたつにつれ
て、腹の虫がもぞもぞと動きだしてしまい、体内から「クークー」と小さな音を発し始めたのだ。この音が大きくなっていくの
は時間の問題であった。私は目の前のお芝居の展開よりも、腹の虫のほうが気になり、
(こんなことになるんだったら、やっぱりお昼はサンドウイッチじゃなくて、カツ丼にしておけばよかった???)
などとつまらない後悔までしてしまった。
ほんの小さな音だったのが、だんだん大きな音となって体内に響いてくる。
(どうしよう、どうしょう)
周囲に人はまだ私の腹の虫には気がついていないようであった。私はどうしたら音をごまかせるか、そればかりを考えて
いた。必要もないのにディッシュペーパーが入っているビニール袋をくしゃくしゃと音がするように握りしめたり、コホコホと
小さく咳払いをしたりした。腹の中にはいかにも大きな音をたてそうな虫が動く気配があった。
(ああ、もうだめだ???)
と思ったとたん、劇場中に、
「ジャーン」
と大きな効果音が鳴り響いた。腹の虫が「グー」と大きな音をたてたものの、グッど?タイミングの効果音のおかげで、私
は命拾いしたのだ。
しかし運がよかったのはそのときだけだった。ますます元気になっていく腹の虫は、よりによって、芝居の山場で、観客
が固唾ののんで舞台を見詰めているそのとき、
「ぐおおおおお」
とまるで大地を揺るがすかのような大音響で、吠えてしまったのである。
前に座っていたおじさんは静かに私のほうを振り返り、音源を確認するとまた前を向いた。私は体中から汗を噴き出しな
がら身を縮めていた。そしてつらいながらも、好きな男性と一緒じゃなくて本当によかったと、安堵のため息をついたのだった。