物理学者寺田寅彦先生の随想の中にたしかこんな一文があった。ネコが用をたそうと、庭に穴を掘っている。一度掘ってしゃがむが、どうも具合が悪いらしく、また別のところに行って穴を掘って、シリを落とす。しかしまだ、どうも具合が悪いらしい。そこで、また別の箇所を捜して掘る。ネコはバカだから、穴の位置や穴の掘り方が悪いのでなく、自分の姿勢が悪いということに気づかないらしい。
人間にも、これに似たようなことがある。どうも居心地が悪い。やろうとすることがなんとなくうまくいかない。勝手に違ったような感じがする。
しかし、よく考えてみれば、たいていの場合、これは環境や周囲の状態が悪いのでなく、当人の姿勢が悪いのである。まちがっているのは、当人の姿勢なのである。
姿勢というのは、なにかに対して、心の構えが外に現われたものである。「気をつけ」の姿勢ができないものは、何をやらせてもダメ、と関西財界のリーダー日向方斎氏はいっているが、「気をつけ」の姿勢は、心身を緊張させて、これからどんな命令が出ても、すぐ動作に移ることのできる心構えを示した姿勢である。つまり、何事に対しても反応しようと構えた態度なのである。
仕事をするには、仕事をする姿勢がある。遊ぶときには遊ぶときの態度がある。この態度ができていないと、仕事もうまくいかないし、また、たとえ遊んでいてもおもしろくも楽しくもないだろう。人間は鋳型にはまるのを好まない。それぞれ個性的でありたい、と望んでいる。にもかかわらず、銀行マンなら銀行マンらしい、新聞記者なら新聞記者らしい、技術者なら技術者らしいタイプができるのはなぜか。
人間は、仕事は仕事、生活は生活というように、切り離してしまえない面がある。ある仕事に取り組むとき、その仕事にいちばん取り組みやすい姿勢がある。それが自然としみこみ、考え方や行動様式までがそれにふさわしいようになる。○○タイプやXX気質はけっして当人が望んでることではないが、ある仕事に打ち込むと自然にそうなるのである。これは重要なことである。ゴルフをしても姿勢が悪いとタマは飛ばない。姿勢ができていなくて急に動作をするとき、いちばん事故が多い。徹夜でマージャンをやって、赤い目をして出勤するのでは第一に体が仕事をやるようになっていない。何事をするにつけ、まず姿勢が肝心である。