仕事でも事業でも、これをやっていくうえでは、つねに二つの目をもっていることが必要である。遠景を見渡す望遠鏡と細部をも見落とさない顕微鏡、大胆に進む勇気と細心な注意深さ__この二つの視点がバランスしてこそ、初めて、現実的になにかを処理できるものである。
若い人は議論が好きだ。「アイデアを出してほしい」というと、喜んで集まり、いろいろ知恵を出す。ところが、では、それを実行してほしいというと、いやがる人が多い。つまり、こまごましたことはめんどうくさいのだ。
ところが、人生のことはなんでも、こんなめんどうくさいことの積み重ねがなければ、成立たないのだ。
だれでもごちそうを食べるのは大好きだ。しかし、見事なごちそうが食卓に並ぶまでには、魚や野菜を洗い、切り、煮たり焼いたりして調理して、きれいに盛りつける、というたいへんな努力が払われているわけだ。また、食べたあと、皿やなべを洗ってしまうという後始末もある。
仕事でも同じである。ある目的を達成する仕事の過程には、その準備段階や副次的仕事や後始末というような、メイン活動をささえる活動が必ず必要である。普通、これが四十パーセントを越えると能率が悪いというが、三十パーセント前後は必ずある。いわば、必要悪とでもいうような、仕事の必然的なプロセスである。
たとえば、コンピューターを使えば計算が速いからといって、 ソロパンのように、いきなり、パチパチ使えるものではない。データをコンピューターにかけられるように、コンピューターの用語に翻訳し、コンピューターを操作できるようにプログラミングしなければならない。それは、専門技術とかなりの時間と労力を要することなのである。
しかし、この部分の仕事のやり方がなおざりにされていると、けっしてよい結果が出ない。
仕事のうまい人、仕事のできる人、というのは、この細部を能率的にこなしていく人、細部にけっして手を抜かない人のことだ。
よく「仕事のカンがよい」とか「コツがわかっている」というが、カンやコツは、この点をしっかりやることから生まれてくるものである。名刀を鍛え出す刀工のカンとコツは、精魂こめて打ち付ける槌の一打ち一打ちに秘められている。