江戸から帰ってきてからの近藤は、妙に浮わついている。
(人が、かわった)
と、歳三はおもった。
——どういうことだろう。
歳三は、一時はとまどった。が、いまではつめたい眼で、そういう近藤を見るようになっている。
「総司よ」
と、あるとき、行きつけの木屋町の小料理屋の二階で、沖田総司を相手にいった。この若者にだけは、肚の中のどういうこともいえるのである。
「まあ、ここだけの話だがね。近藤さんがちかごろ、こう、おかしかねえか」
「ええ」
沖田は、くすっ、と笑った。同感らしい。この若者は、さっきから刺身のツマばかりを食べている。ひどい偏食家で、なまものは、たべない。
「人間、栄誉にはもろいものだな。江戸では、老中に会っている。どうもそこから、人間が妙になったらしい」
「そりぁ」
そうだろう、と、沖田は内心おもった。近藤といっても、うまれは、たかが多摩の百姓の子で、家には氏素姓も、苗字《みようじ》さえもなかった。その近藤が、老中と膝をまじえて政務を談じてきたというのである。はじめは、
(ほんとかなあ)
と、沖田はおもった。ひょっとすると、玄関わきの用人部屋で、老中の家老ぐらいと話をしてきたのを、近藤は大げさに|ほら《ヽヽ》を吹いているのではないか、とさえおもった。
近藤は、帰洛してからしばらくの間、まるで念仏のように、
——伊豆どのは、伊豆どのは。
といった。御老中松前伊豆守様とはいわない。同僚づきあいをしている口ぶりであった。新参の隊士などのあいだでは、
(さすが、新選組局長といえば大名なみだな)
と、感心する者もいた。
二条城へも、三日に一度は登城している。
この城は、徳川家の家祖家康が京都市中に築城したもので、将軍上洛のときの駐旆所《ちゆうはいじよ》として用いられてきた。いまは、「禁裏御守衛総督」である一橋慶喜《ひとつばしよしのぶ》(のちの十五代将軍)が在城している。
近藤はここで京都守護職の公用方と談じたり、右の一橋家の公用方と、天下の情勢を論じたりしている。
その近藤の登城の容儀は、江戸からの帰洛後、ほとんど大名行列に似てきた。むろん、乗物は用いない。馬上ではある。しかしつねに隊士二、三十人を従えて堀川通を練ったというから、小諸侯であろう。
(一介の草莽《そうもう》の志士ではなくなってきた)
そんな悪口を、結盟以来の幹部である山南敬助が蔭でいっているのを、沖田はきいたことがある。
「しかし、土方さん」
と、沖田はいった。
「近藤さんを大名に仕立てる、とこっそり近藤さんをおだてたのは土方さんじゃありませんか」
「ふむ」
歳三は、眼をそらした。
「そうさ」
「じゃ、わるいのは土方さんですよ」
「ちがう。おれは、新選組というものの実力を、会津、薩摩、長州、土州といった大藩と同格のものにしたい、とはいった。いまでもそのつもりでいる。むろんそのあかつきは、首領はあくまでも近藤勇|昌宜《まさよし》だから、近藤さんが大名になるのと同じ意味ではあるが、気持はちがう」
「どうもね」
小首をかしげた。
「なんだ」
「土方さんのおっしゃるそんな混み入った言葉裏が、近藤さんにはわかりませんよ。あのひとは、土方さんとちがって、根がお人好しだから」
「——とちがって、とは何事だ、総司」
「うふ」
箸で、焼魚をつついている。沖田は利口な若者だから、それ以上の理屈はいわない。しかし、近藤のいまの滑稽さも、歳三のほんとうの心境も、手にとるようにわかっている。
近藤が大名気取りになった理由のひとつには、隊士の飛躍的増加があった。
江戸で、あらたに五十人を徴募した。これがいま、隊務についている。
それに伊東一派の加盟が大きい。かれらはすべて文武両道の達人ぞろいで、いままでの隊士とは毛並がちがっている。
伊東は一流の国学者である。議論でも学問でも、近藤は、伊東甲子太郎の足もとにもおよばない。ひょっとすると、竹刀をとっても、近藤は伊東に及ばないのではないか。
事実、伊東が加盟してからというものは、隊士間の人気は大変なもので、副長の歳三などは影が薄くなり、近藤の人気までややおされ気味になった。
(だから、近藤さんは、格でおさえようとしているのだろう)
と、沖田はみている。すべての点で伊東にかなわないとすれば、近藤は、
「大名格」
になるしかしかたがない。
(おれだけは別格だよ)
というところを、伊東にも、隊士一同にも近藤は見せている。いかにも、多摩の田舎壮士あがりらしい感覚である。
しかし。
と、山南敬助が、沖田にいったことがある。
——われわれは、近藤の家臣ではない。結盟の当初、ともに攘夷の先駆をつとめようというので、はるばる江戸からのぼってきたのだ。新選組は、同志の集団であって、主従の関係ではない。近藤もまた、平隊士と同格の志士であるべきである。その近藤が、大名気取りで登城するとは、どういうことか。
(ちがいない)
と、沖田は心中、おもっている。
(近藤さんは、のぼせすぎている。ひょっとすると、伊東甲子太郎に足もとをすくわれるのではあるまいか)
「総司」
と、歳三はいった。
「近藤さんが大名気取りになるのは、まだ早すぎる。天下の争乱がおさまってからのことだ。すくなくとも、長州の討伐をやり、長州をほろぼし、その旧領の半分でももらってからのことだ」
(あっ)
と、沖田はおもった。新選組の真の考えが、そういうところにあるとは、沖田総司でさえ、はじめて知らされる思いだった。
「土方さん。——」
と、沖田は箸をおいた。
「いまの話、本当ですか」
「なんのことだ」
「長州領の半分を新選組がもらうということです」
「もののたとえだよ。武士が戦功によって所領を貰うのは、源平以来のならいだ。この争乱がおさまれば、幕府もだまっていまい」
「おどろいたな」
まるで、戦国武士の考えではないか。単純というか、旧弊というか、旧弊とすれば、おっそろしく時代ばなれのした話である。
「土方さん、あなたは大名になりたい、というのですか」
「馬鹿野郎」
歳三は、ひくく怒鳴った。
「なりたかねえよ」
「たしかに?」
「あたりめえだ。武州多摩の生れの喧嘩師歳三が、大名旗本の|がら《ヽヽ》なもんか。おれのやりたいのは、仕事だ。立身なんざ」
「なんざ?」
「考えてやしねえ。おれァ、職人だよ。志士でもなく、なんでもない。天下の事も考えねえようにしている。新選組を天下第一の喧嘩屋に育てたいだけのことだ。おれは、自分の分《ぶん》を知っている」
「安堵した」
沖田は明るく笑ってから、
「近藤さんは、どうなんです」
「心底か」
「ええ」
「そんなことは知らん。あの人が、時世《ときよ》時節を得て大名になろうと、運わるくもとの武州多摩|磧《がわら》をほっつきあるく芋剣客に逆戻りしようと、どっちにしてもおれはあの人を協《たす》けるのが仕事さ。しかしおれは、あの人がみずから新選組を捨てるときがおれがあの人と別れるときだ、と思っている」
(そこが、この人の本領だな)
沖田は、ほれぼれと歳三をみた。一種の異常者である。が、こういう異常者がいなければ、新選組はとっくに破裂しているかもしれない。
「だからよぅ」
と、歳三は多摩ことばでいった。
「まだ、大名気取りは早いというんだ、近藤の。伊東がきた。伊東に人気が集まっている。近藤がひとりお大名で浮きあがってちゃ、いずれ隊がこわれるよ」
歳三のいうことは、かつて近藤に「大名気取りでやれ」といったことと、矛盾している。しかし、あのときはあの時、いまは今、すでに伊東の加盟によって事態がかわっている。伊東ほどの男だ、きっと新選組を奪う、歳三は、むしろ恐怖に近い感情で、そうみていた。
そんなころ、歳三の眼からみればじつにばかばかしいことが、おこった。
この年、ちょうど年号がかわって慶応元年の正月のことだが、歳三は大坂へ出張した。
もどると、もう京では松飾りがとれてしまっている。
屯営の門を入ると、庭で隊士がざわめいている。
(なんだろう)
廊下を、近藤がゆく。
なんと、顔を真白にぬたくって、公卿も顔負けの化粧をしているのである。
(野郎、とうとう気がくるいやがったか)
かっとなって、庭から廊下へはねあがり、近藤のあとを追った。
「やあ、お帰りですか」
と、途中、伊東甲子太郎が部屋から出てきて、鄭重にあいさつした。
色が女のように白い。眉が清げで、秀麗な容貌である。微笑すると、芝居に出てくる平家の貴公子のようであった。
(まさか、近藤がこいつと張りあうために、白粉《おしろい》を塗りたくって歩いているわけではあるまい)
歳三は、近藤の部屋の障子をあけた。
「おっ」
棒立ちになった。
近藤が、真白ですわっている。
「どうしたんだ」
「これか」
近藤はにこりともせずに自分の顔を指さし、
「|ほと《ヽヽ》がら《ヽヽ》よ」
(畜生。……)
歳三はこわい顔ですわった。京都では、化粧のことを|ほと《ヽヽ》がら《ヽヽ》とでもいうのだろう。
「きょうは、はっきりというがね。お前さんは近頃料簡がおかしかねえか」
歳三は、沖田にいったようなことを、ずけずけといい、
「人間、栄誉の座にのぼると|ざま《ヽヽ》ァなくなるというが、お前さんがそうだね。おれはお前さんをそんな薄っ気味のわるい白首の化物にするために、京へのぼったんじゃないよ」
「歳、言葉をつつしめ。おらァ、おめえの多摩の地言葉でまくしたてられると、頭がいたくなってくる」
近藤は、むっとして、部屋を出、中庭へ降りた。
庭の中央に、敷物が敷かれている。近藤はその上に、むっつりとすわった。
やがて、儒者風の男が一人、それと医者の薬箱持ちのような男が三人あらわれて、近藤のまわりをとりかこんだ。
「なんだ、ありァ」
歳三は、その辺にいる隊士たちにきいた。隊内では朝からの騒ぎだったらしく、みなそのことについてくわしい知識をもっていた。
「|ほと《ヽヽ》がら《ヽヽ》ですよ」
現今《いま》の写真術というものである。感光力のにぶい湿板《しつばん》に写すのだから、被写体の人間には、真白にシナ白粉をぬりつけ、しかもその背後《バツク》に白布を張りめぐらせる。
大村藩士の上野彦馬がこの名人で、長崎の舎密《せいみ》(化学)研究所で蘭人ポンペから教わった。最初に上野彦馬が写した人物は、のちに近藤と親交を結んだ松本良順(蘭医、将軍家茂の侍医で法眼《ほうげん》となった。末期の新選組にはずいぶんと好意を示した人物である。維新後、順と改名し、軍医総監となり、のち男爵)で、場所は長崎の南京寺《ナンキンでら》である。
上野彦馬は、いやがる良順の顔にシナ白粉をぬった。
良順は、地顔が黒い。それを白くするためには、大量の白粉が要った。そのうえ、凹凸の多い顔である。厚塗りにするとおそるべき顔になったが、
——なにごとも学問のためだ。
と、辛抱した。さらに写真家上野彦馬は、感光をよくするために、その良順を寺の大屋根にのぼらせ、長時間、直立不動の姿勢をとらせた。それをみて、長崎の町のひとは、「南京寺にあたらしい鬼瓦ができた」とかんちがいして、ぞろぞろ見物にきたというはなしがのこっている。
いま、近藤を撮影しつつあるのも、その上野彦馬であった。
歳三が、まわりの隊士からきくと、上野彦馬は、どうやら二条城から差しまわされてきたらしい。
禁裏御守衛総督一橋慶喜が、
——近藤を写してやれ。
と、じきじきいったという。そういえば慶喜は大の|ほと《ヽヽ》がら《ヽヽ》好きで、二条城に登城してくる大名をつかまえては、写真《ほとがら》をとらせる。大名への機嫌とりのつもりで写真を馳走がわりにしている、という噂を、歳三もきいたことがある。
(なるほど、近藤もそういう大名なみになったのか)
もはや、一介の浪士ではない。歳三の知らぬ場所で、近藤は、異常に|出世《ヽヽ》しつつあるようであった。
「どうぞ、息をお詰めくださるように」
と、|ほと《ヽヽ》がら《ヽヽ》の術師はいった。
——こうか。
「左様」
術師は、レンズのふたをひらいた。その大きな木製の暗箱のなかに、近藤の映像がうつりはじめた。
(………)
近藤は、息をつめている。
術師は、容易に呼吸の再開をゆるさない。
やがて、近藤の首筋が充血してきた。ただでさえ迫っている眉が、嶮《けわ》しくなった。苦しさに、歯がみしはじめている。
やっと術者は、レンズのふたを閉め、
「どうぞ」
といった。
近藤は、吐息をついた。
歳三は、ばかばかしくなった。京都政界の大立者になった近藤の写真は、これで永久に残るだろう。息をつめて、それがために悪鬼のような形相《ぎようそう》になっている近藤の写真が。
「歳、お前もどうだ」
「いや、ご免蒙《こうむ》る」
と、廊下にもどった。
廊下にもどってからふと気づいたことは、見物の隊士のなかに、伊東甲子太郎の姿がみえない。
伊東だけではない。伊東派の幹部は、たれもいないのである。これに気づいたのは、歳三だけだったろう。
(部屋には、いるはずだが)
出て、かれらは見ようとはしない。たれにとっても|ほと《ヽヽ》がら《ヽヽ》はめずらしかるべきはずだが、伊東らは、一顧もしようとしなかった。
(愛嬌のないやつらだ)
歳三は、腹が立ってきた。
理由は想像がつく。伊東は、国学者流の攘夷論者である。おなじ攘夷主義でも、この系統の主義者は、ほとんど神がかりに近い神国思想の持ちぬしで、洋夷のものといえば、異人の足跡でも不浄であるとした。ましてや、|ほと《ヽヽ》がら《ヽヽ》を見物するなどは、
——眼がけがれる。
というわけであろう。
みな、伊東の部屋に集まっているらしい。
歳三は、わざとその部屋の前を通った。障子が、わずかにひらいている。見ると、みな大火鉢をかこんで、談じている様子であった。
伊東が、おだやかに微笑している。そのまわりを、ちょうど信徒がとりまくように、篠原、服部、加納、中西、内海ら、伊東派の隊士がすわり、ほかに、山南敬助の顔もまじっていた。
(山南の野郎。——)
歳三は、おもわず肚の底でうなった。
伊東が入隊してからというもの、山南の伊東への接近の仕方が、異常なほどであった。山南は、総長の職にある。その職をすててあたかも伊東の弟子になったとしか思えない。
(あいつ、近藤を、見限るつもりか)
妙なものだ。
こうなれば、新参の異分子伊東甲子太郎への憎しみよりも、むしろ、結盟以来の古い同志の山南の離反を憎む気持のほうが、はるかに強くなってくる。
歳三は、部屋の前を通りすぎた。そのあと、部屋の中でどっと笑い声があがった。
べつに、歳三を笑ったわけではない。が、歳三の顔は、廊下のむこうを見つめながら、真蒼《まつさお》になっている。おそらく、近藤がシナ白粉などをぬってよろこんでいる間に、いまあがった笑い声の群れが、新選組の主導権をにぎるときがくるのではないか。
(わかるもんか)
歳三は、そんな予感がする。
が、その予感は、意外な形で、事実となってあらわれた。
山南敬助が脱走した。